『源氏物語』を書いたのは孤独を紛らわすため? 紫式部が執筆を始めた動機
『源氏物語』を書いたのは孤独を紛らわすため? 紫式部が執筆を始めた動機
大河ドラマ『光る君へ』では、一条天皇と中宮・彰子との仲を深めようとする藤原道長の求めにより、紫式部は『源氏物語』を書くこととなる。実際のところはどうだったのだろうか? 著述家の古川順弘氏が解説しよう。 ※本...
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大河ドラマ『光る君へ』では、一条天皇と中宮・彰子との仲を深めようとする藤原道長の求めにより、紫式部は『源氏物語』を書くこととなる。実際のところはどうだったのだろうか? 著述家の古川順弘氏が解説しよう。 ※本...
(国立公文書館蔵) 大ヒット映画『キングダム 大将軍の帰還』を観て、古代中国の戦国時代に興味を抱いたという方も多いのではないか。その時代を知るための史料といえば『史記』が有名だが、その史書としての真価といえば、ほ...
大河ドラマ『光る君へ』を見ていると、当時の結婚制度がどうなっているのか、気になる方も多いだろう。そして結婚制度を知ることは、『源氏物語』を読解するうえでの鍵ともなる。著述家の古川順弘氏が、『源氏物語』の時代の...
大河ドラマ『光る君へ』で注意される『源氏物語』。しかしその文体については「読みにくく、難解」とされてきた。だが、文筆家の古川順弘氏はそれについて、紫式部による計算ずくのレトリックとみることもできるという。その...
大河ドラマ『光る君へ』によって、『源氏物語』に興味を抱く人も多いだろう。だが、大長編であることから、臆してしまう方もいるのではないだろうか。そこで本稿では、「これだけは押さえておきたい」というあらすじを、ダイ...
牧野富太郎(国立国会図書館蔵) NHK連続テレビ小説『らんまん』の主人公のモデルである牧野富太郎。「日本植物学の父」と呼ばれる偉大な学者だが、富太郎は金銭的に非常に苦しい生活を送っていた。 しかし、関...
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/328/) NHK連続テレビ小説『らんまん』の主人公のモデルである牧野富太郎。「日本植物学の父」と呼ばれる偉大な学者だが、富太郎は金...
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/328/) NHK連続テレビ小説『らんまん』の主人公のモデルである牧野富太郎。「日本植物学の父」と呼ばれ、どこまでも植物一筋に生き続...
牧野富太郎(国立国会図書館蔵) NHK連続テレビ小説『らんまん』の主人公のモデルである牧野富太郎。「日本植物学の父」と言われるほど誰もが知る学者であるが、実は恩師の主任教授に教室を追放された経験を持っている...
加藤清正、福島正則らを含む7人の武将が、石田三成への恨みから襲撃事件を決行した。しかし近年の研究によって、襲撃自体は無かったことが指摘されている。「石田三成襲撃事件」が起きた背景、そして真相について、歴史学...
上杉景勝(左)と直江兼続(右)像 徳川家康が会津征伐に乗り出すきっかけになったとされている「直江状」。これは上杉景勝の家老・直江兼続が家康側に宛てた書簡であるが、研究者の間ではいまも「直江状」は偽文書な...
牧野富太郎(国立国会図書館蔵) 牧野富太郎は、NHK連続テレビ小説『らんまん』の主人公のモデルとなった人物だ。小学校を中退し、極貧生活の中でも植物への情熱を持ち続け、「日本植物学の父」と言われるほどの学者と...
天皇家の最高神。天照大神は女神ではなく、もともとは男神であった。なぜすり替えが起きたのか? それは、時の権力者にとって、天照大神を女神に仕立てあげなければならない理由があったからだ。いったい誰が、何のため...
纒向遺跡を代表する箸墓古墳 ヤマト政権のはじまりを証明する重要な遺跡である、纒向(まきむく)。そこに全国の広範囲から人が集まってきたことが、出土した外来系土器から分かっている。 驚くべきことに、外来...
『日本書紀』によれば、初代神武天皇は西の九州からやってきた。『日本書紀』には明らかに東軽視の態度が見られる。 しかし、多くの歴史学者が今上天皇の直系と考えるのは26代継体天皇だ。なぜ継体天皇は東(越の国...
※写真はイメージです 古代日本を大きく動かしたのは「鉄」をめぐる争いである。 生産工具や武器など、当時最先端の利器であった鉄をいかに独占するか? 北部九州勢力はヤマト勢力に対し、関門海峡という格好の...
戦国武将イメージの「通説」は江戸時代以降に作られたものが多い。鈴木眞哉著『「まさか!」の戦国武将 人気・不人気の意外な真相』(PHP文庫)では、名将たちの意外な評価を解き明かしている。ここでは本書より、明...
戦国武将のイメージの「通説」は江戸時代以降に作られたものが多い。鈴木眞哉著『「まさか!」の戦国武将 人気・不人気の意外な真相』(PHP文庫)では、名将たちの意外な評価を解き明かしているが、ここでは本書より...
戦国武将イメージの「通説」は江戸時代以降に作られたものが多い。鈴木眞哉著『「まさか!」の戦国武将 人気・不人気の意外な真相』(PHP文庫)では、名将たちの意外な評価を解き明かしているが、ここでは本書より、...
戦国武将イメージの「通説」は江戸時代以降に作られたものが多い。信長、秀吉、家康の「三英傑」もまた然り、である。ここでは、秀吉自身が語ったという「天下をとれた理由」「天下人の3要素」について紹介する。 ...
大政奉還の舞台となった二条城(二の丸御殿) 今年3月29日、63歳で亡くなられた山本博文氏(東京大史料編纂所教授・日本近世史)。92年「江戸お留守居役の日記」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞し、テレビ番組等で...
日本平・日本武尊像(静岡県静岡市) たった一つの武器の誕生が、日本の歴史を大きく変えた! 山田勝監修 『武器で読み解く日本史 』 (PHP文庫)では、古代の弓・矛・剣から、近代の戦車・戦闘機ま...
天正10年(1582)6月13日、明智光秀は、中国大返しを強行した羽柴秀吉と、摂津国と山城国の境で激突した。いわゆる天王山の戦い、山崎合戦である。その戦いの経過とその後の光秀について、 小和田哲男著『明智光秀と本能...
たった一つの武器の誕生が、日本の歴史を大きく変えた! 山田勝監修 『武器で読み解く日本史 』(PHP文庫)では、古代の弓・矛・剣から、近代の戦車・戦闘機まで、日本史に登場する武器・兵器が、いつど...
たった一つの武器の誕生が、日本の歴史を大きく変えた! 山田勝監修 『武器で読み解く日本史 』(PHP文庫)では、古代の弓・矛・剣から、近代の戦車・戦闘機まで、日本史に登場する武器・兵器が、いつどのように生...
本能寺の変の直前、家康の饗応役をはずれ、ライバル・秀吉への援軍を命じられた明智光秀。このとき、信長は、丹波・近江志賀郡の領地を召し上げ、まだ敵国である出雲・石見を与えると通告する。信長を深く怨んだ光秀は、...
本能寺の変の直前、明智光秀は織田信長から徳川家康の饗応役を命じられる。光秀は心を込めて家康を迎える準備をする。しかし、信長は「腐った魚を料理に出した」と難癖をつけ、光秀の饗応役を突然解任してしまう。 ...
ヤマトを代表する霊山・三輪山 ※本稿は、関裕二著『万葉集に隠された古代史の真実』(PHP文庫)より、一部を抜粋編集したものです。 『万葉集』とヤマトへの郷愁 『万葉集』と聞くと、どこか牧...
たった一つの武器の誕生が、日本の歴史を大きく変えた! 山田勝監修 『武器で読み解く日本史 』(PHP文庫)では、古代の弓・矛・剣から、近代の戦車・戦闘機まで、日本史に登場する武器・兵器が、いつど...
大宰府政庁跡 (福岡県太宰府市) ※本稿は、関裕二著『万葉集に隠された古代史の真実』(PHP文庫)より、一部を抜粋編集したものです。 「令和」の典拠「梅花の宴」とはいかなる場面だったのか ...
たった一つの武器の誕生が、日本の歴史を大きく変えた! 山田勝監修 『武器で読み解く日本史 』(PHP文庫)では、古代の弓・矛・剣から、近代の戦車・戦闘機まで、日本史に登場する武器・兵器が、いつどのように生...
細川忠興・玉夫妻の像 (京都府長岡京市、勝竜寺城公園) 山田勝監修 『武器で読み解く日本史 』(PHP文庫)では、古代の弓・矛・剣から、近代の戦車・戦闘機まで、日本史に登場する武器・兵器が、いつどのように生ま...
たった一つの武器の誕生が、日本の歴史を大きく変えた! 山田勝監修 『武器で読み解く日本史 』(PHP文庫)では、古代の弓・矛・剣から、近代の戦車・戦闘機まで、日本史に登場する武器・兵器が、いつどのように...
優れた大名が数多く存在した戦国時代において、なぜ家康は天下人たりえたのか。また、徳川幕府はなぜ260年も続いたのか。 現代的視座から多角的な比較・分析を行い、家康が行なった巧妙な分断政策、世界に例を見な...
「江戸は町民が主役!」と言うけれど、実は江戸の面積の7割は武家地で、さらにその大半を、参勤交代で全国から集まる殿様と家臣の大名屋敷が占めていた。そんな大名屋敷と殿様の生活に迫ります。 ※本稿は、安藤優...
旧加賀藩本郷上屋敷の庭園(育徳園)に造られた心字池。現在は「三四郎池」とも呼ばれる 「江戸は町民が主役!」と言うけれど、実は江戸の面積の7割は武家地で、さらにその大半を、参勤交代で全国から集まる殿様と家...
「江戸は町民が主役!」と言うけれど、実は江戸の面積の7割は武家地で、さらにその大半を、参勤交代で全国から集まる殿様と家臣の大名屋敷が占めていた。そんな大名屋敷と殿様の生活に迫ります。 ※本稿は、安藤優...
心優しき猛将・立花宗茂 立花宗茂は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将だ。筑後(福岡県)柳川に拠点を構え、豊臣秀吉に可愛がられた。秀吉が宗茂を知ったのは、島津征伐のときだ。当時、北九州を...
上杉鷹山と松平定信の違い 「下の者の意見を聞く」 ということは、現在でもトップ・ミドルのリーダーがよく口にすることだ。しかし、意見を聞くといっても、 ●誰から聞くか、という範囲の問題 ...
三河武士団は、家康に心服していなかった! 武田信玄が侵攻してきた三方原の戦いで、いったいなぜ徳川家康は負けることを承知で浜松城から出撃したのだろうか―。 巷説では、同盟者の信長に対す...