日本平・日本武尊像(静岡県静岡市)
山田勝監修 『武器で読み解く日本史 』(PHP文庫)では、古代の弓・矛・剣から、近代の戦車・戦闘機まで、日本史に登場する武器・兵器が、いつどのように生まれ、時代にどのような影響を及ぼしたかを解説しています。本稿では、その一部を抜粋編集し、「武器」という視点から日本史を見直します。
今回は、「古代出雲王国」の高い技術を示し、現代の皇室にも伝わる儀礼用の武器「剣」をとりあげます。
弥生時代から古墳時代にかけて、出雲(現在の島根県)を中心とした地域では、技術の進んだ金属製武器を大量に保有する強大な勢力が存在したと考えられている。これを、俗に古代出雲王国という。
島根県出雲市で発見された弥生時代のものである荒神谷遺跡では、358本もの銅剣が出土している。この数は、ひとつの遺跡から出たものとしては最多だ。
すべての銅剣が長さ50センチ前後、重さ500グラム前後とほぼ均一のため、同一地域で作られたものと考えられている。
時代の特定はできていないが、島根県の山間部では、古代の製鉄法である「野たたら」の遺跡も見つかっている。
古代出雲王国が保有していた金属製武器のうち、国内生産品と輸入品の割合はわからない。ただ、この王国が朝鮮半島や大陸との太いパイプを有していたことはたしかなようだ。
紀元前108年から313年まで、朝鮮半島北部に楽浪郡という中国の植民地が存在した。そして紀元前4世紀~紀元前1世紀ごろのものとされる島根県松江市の田和山遺跡からは、楽浪郡製とみられる硯が出土している。
だが、隆盛を誇った古代出雲王国も、古墳時代に新興勢力であるヤマト政権に征服されてしまう。その史実が反映されているのが、『古事記』や『日本書紀』に記される「国譲り神話」だといわれている。
この神話によれば、日本にもともといた国津神である大国主神が支配する出雲の地に、天上界である高天原にいた天津神の建御雷神が送られ、国を譲るように迫ったという。これに、大国主神の息子である建御名方神は反発したが、建御雷神に手を握りつぶされ、諏訪湖まで逃亡。その結果、出雲は天津神の支配する土地になった。
このストーリーは、ヤマト政権の古代出雲王国に対する軍事的・外交的圧力、およびその結果としての「併合」の隠喩とも考えられているのだ。
ところで、出雲の地に降り立った際、建御雷神は天之尾羽張という剣を携えていたという。鉄剣などの金属製武器をほかの地域よりも多く持っていたことで栄えた古代出雲王国が、剣に敗れるとはどういうことだろう。
時代を経るにつれ、各地に金属製武器が普及したため、優位性が崩れたことを意味しているのかもしれない。製鉄技術は6世紀以降、ヤマト政権が拠点とした近畿地方にまで広まっていたと考えられている。