山田勝監修 『武器で読み解く日本史 』(PHP文庫)では、古代の弓・矛・剣から、近代の戦車・戦闘機まで、日本史に登場する武器・兵器が、いつどのように生まれ、時代にどのような影響を及ぼしたかを解説しています。本稿では、その一部を抜粋編集し、「武器」という視点から日本史を見直します。
今回は、日本の合戦を変えた足軽の主要武器「槍」をとりあげます。
槍が戦史に最初に登場したのは南北朝時代の初期のこと。具体的には、1347年ごろに成立したとされる『後三年合戦絵巻』に槍のような長柄武器が描かれたのが最初だといわれている。
以降、槍は文献にも多く登場するようになるが、そこに描かれている戦場の武器は鎌倉時代中期の合戦を参考にしたものだ。そのため、槍が普及しはじめたのは鎌倉時代末期と考えられている。
この時代に武将の戦い方に変革が起こる。鎌倉時代半ばまでは、騎馬武者による個人の戦いや一族郎党による小集団ごとの戦いが主流だった。
ところが、当時の武将たちは蒙古襲来で苦戦した経験から、大規模集団戦術に目を向けるようになっていく。やがて鎌倉時代末期に足軽部隊が登場して合戦は大規模な集団戦へと移行し、近世の歴史の転換点となった。
足軽とは、武士ではない最下級の雑兵のことだ。保元の乱(1156年)のころ、騎馬武者に徒歩でつき従う雑兵のことを「足軽く、よく走る兵」という意味から足軽と呼ぶようになった。
その足軽部隊が加わって各軍隊の規模は拡大していった。当時、刀身や柄を加工する技術が発達し、素槍は量産できたので、戦力アップをはかる武将や諸大名は大量の槍を職人に発注したことだろう。
こうして当時の武将は、プロ戦士である武士からなる従来の騎馬隊のほかに、圧倒的な数の足軽たちに弓や槍などの武器を与えて「弓歩兵部隊」や「槍部隊」を作っていった。
足軽を大量動員した集団戦と槍の普及によって、圧倒的な軍事力を有する戦国大名を生みだす転換点となったのだ。
そんな時代の幕開けを予告するかのような戦術を紹介しよう。
時は鎌倉時代末期。後醍醐天皇が発した倒幕計画に加わった播磨(現在の兵庫県)守護の赤松円心( 則村)は大量雇用した足軽を主力とする戦術を実行し、ある程度の戦果を挙げたのだ。