始皇帝陵
大ヒット漫画『キングダム』を読み、秦王政、のちの始皇帝に興味を抱いたという方も多いだろう。彼の時代を知るための貴重な史料が『史記』だ。その中には、『キングダム』の主人公・信のエピソードや、秦王政の人物像についても記されている。
本稿では歴史作家・島崎晋氏が、全130巻に及ぶ超大作『史記』原典のおもしろさを損なうことなく一冊にまとめた書籍『いっきに読める史記』よりご紹介する。
※本稿は、島崎晋著『いっきに読める史記』(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです
秦王政の22年、秦は魏を併合した。ついで政は、楚を滅ぼそうと考えた。漫画『キングダム』の主人公の登場である。若い将軍、李信(りしん)に、「いかほどの兵があれば十分か」と尋ねたところ、李信は、「20万人でけっこうでございます」と答えた。
政は老将の王翦(おうせん)にも同じことを尋ねた。すると王翦は、「60万人なくてはかないますまい」と答えた。政は、「王将軍、そちも年をとられたな。何を恐れるのか。李将軍は勇壮果敢だ。言う言葉もよい」と言って、李信と蒙恬(もうてん)に20万人の兵を授け、楚の討伐に向かわせた。王翦は自分の意見が採用されなかったので、病気と称して頻陽(ひんよう)に引き込んだ。
王翦が予測したとおり、楚にはまだ相当の抵抗力が残っていた。そのため李信は敵中深く攻め入ったところで反撃にあい、敗走につぐ敗走を重ねた。急を告げる使者がくるにおよび、政は自分の過ちを悟った。政はみずから頻陽まで足を運び、頭を下げて、王翦に出馬を要請した。王翦は最初に言ったように、60万人の兵を率いるのを条件に出馬を承知した。
出陣にあたり、王翦はよい田畑屋敷をたくさん賜りたいと要求した。政は快くそれを了承した。進軍中、王翦は五度もそのことを確認する使者を送った。あまりに度を過ぎたねだりかたではと諫める者があったが、王翦はその理由をこう説明した。
「王様は気性が激しく、容易に人を信じない。このたび秦の兵をこぞって動員して、わし一人に預けておる。わしが物欲を示して、恩賞目当てであることを強調しておかなかったら、王様がわたしに謀反の疑いをかけたとき、どう申し開きをすればよいのか」
かくして王翦は李信に代わって楚に侵攻した。しかし、王翦は戦いを急がない。着任するや、防壁を堅くして守るばかりで、出撃しようとしなかった。楚の軍がどんなに挑発しても、まるでとりあわない。それでいて、兵士には毎日入浴をさせ、うまい物を飲み食いさせ、自分も彼らといっしょに食事をした。
しばらくして、王翦は人をやって調べさせた。すると、兵士らは石投げや跳躍をして遊んでいるという。それを聞いた王翦は満足げにうなずいた。
「これで使えるようになったぞ」
楚軍は、秦軍が一向に戦いに応じないので、東へ軍を後退させた。王翦はすかさず追撃を開始して、楚の軍をさんざんに打ち破り、将軍の項燕(こうえん)を討ち取った。王翦は勢いに乗じて楚の城や町をつぎつぎと攻略し、王の負芻(ふすう)を虜にし、ついには楚の全土を併合して、秦の郡・県を置いた。王翦はさらに勢いに乗じて越の国も併合した。
このように、『史記』で描かれる王翦は『キングダム』でのそれと大きく性格を異にし、『史記』上の王翦はむしろ『キングダム』上の蒙驁(もうごう)に近い。
更新:07月12日 00:05