天皇家の最高神。天照大神は女神ではなく、もともとは男神であった。なぜすり替えが起きたのか? それは、時の権力者にとって、天照大神を女神に仕立てあげなければならない理由があったからだ。いったい誰が、何のために!?
※本稿は、関裕二著『こんなに面白かった 古代史「謎解き」入門』(PHP文庫)を一部抜粋・編集したものです。
『日本書紀』は伊勢の天照大神を「太陽神で女神」と言っているが、最初この神は、「大日孁貴(おおひるめのむち)」の名で『日本書紀』神話に登場していた(是に共に日の神を生みたまふ。大日孁貴と号す)。大日孁を分解すると、「大日巫女(おおひみこ)」となり、太陽神を祀る巫女の意味となる。
このあと、大日孁貴は、天照大神の名に変わる。一般的に、祀る巫女が祀られる神に昇華したのだと説明されるが、太陽は「陽」で、本来男性がふさわしい。伊勢内宮の神も、本当は男性なのではあるまいか。
伊勢の天照大神は、最初単独で祀られていた。ところが、「独り身で寂しいから」と、丹後の豊受大神(とようけのおおかみ・女神)を呼び寄せ、御饌(みけ・食事)を作らせるようになった。豊受大神は現在、外宮の祭神となっている。
「独り身で寂しい」という発言を忖度すれば、ただ単に「食事を作ってほしい」のではなく、性的関係を求めたのではなかったか。
歴代天皇は、娘や姉、妹、オバを斎王(いつきのひめみこ)に立て、伊勢斎宮に派遣し、伊勢の神を祀らせた。
巫女が神を祀る時、性的関係がともなう。斎王は、未婚の女性で、解任されたあとも、原則として結婚は許されない。神の妻になったからだろう。
斎王のもとには、夜な夜な伊勢の神が通い、朝目が覚めると、寝床には蛇のウロコが落ちていたと言い伝えられる。大神(おおみわ)神社の周辺には、「三輪と伊勢の神は、一体分身」という教義が残され、謡曲にも取り入れられている。
大神神社自身が言い出したことではなく、伊勢外宮が発信元だが、伊勢内宮の祭神が男性という認識は、ある時代まで「暗黙の了解」だったのではなかろうか。
祇園祭の山車に飾られる天照大神の人形のアゴに、ふさふさのヒゲが生えていることは有名で、高野山の曼荼羅の天照大神も、やはり老翁だ。
伊勢神宮本殿床下に、謎めく木柱が屹立していて、これこそ「伊勢の秘中の秘=心(しん)の御柱(みはしら)」なのだが、これを祀ることができるのは、大物忌(おおものいみ)という童女だけだ。
心の御柱は、天照大神がこの地に祀られる以前の、伊勢の土着の神で、男神のシンボル(リンガ)ではないかとも疑われている。あるいは、伊勢祭祀の秘密が、この心の御柱の中に隠されているのかもしれない。つまり、伊勢の神は、男神ということである。
天皇は大嘗祭のクライマックスに、天の羽衣を着る。本来この衣は、天女がまとうものだ。丹後の伝承では、この天女は豊受大神として祀られたとある。つまり羽衣は豊受大神が着ていた服だ。
天皇は天の羽衣を着た瞬間から、神聖な存在になっていくのだが、これは「女装しているのではないか」と疑われている。すなわち、擬制的に神と性的に結ばれるのではないか、というのだ。
するとやはり、天皇家がもっとも大切にしていた天照大神は、女神ではなく男神であり、天皇家はそれをひた隠しにしていたことになる。