農耕が“戦争”を引き起こす…縄文人が「中国文明」を拒んだ本当の理由
農耕が“戦争”を引き起こす…縄文人が「中国文明」を拒んだ本当の理由
古代の日本人は大陸の先進文明を遠ざけていた節がある――。彼らはなぜ、農耕や金属生産などのテクノロジーに対して拒絶反応を示したのか? 彼らが、大陸と行き来していた海人たちの情報から知った「文明の恐怖」とは? ...
歴史街道 » #関裕二の記事一覧
古代の日本人は大陸の先進文明を遠ざけていた節がある――。彼らはなぜ、農耕や金属生産などのテクノロジーに対して拒絶反応を示したのか? 彼らが、大陸と行き来していた海人たちの情報から知った「文明の恐怖」とは? ...
『日本書紀』の大きな謎である「天孫降臨」そして「神武東征」は、本当は何を意味しているのだろうか? たんなる神話と、切り捨てることなどできない。実はそこには、天皇家と倭の海人たちとの深い関係が見え隠れしてい...
天皇家の最高神。天照大神は女神ではなく、もともとは男神であった。なぜすり替えが起きたのか? それは、時の権力者にとって、天照大神を女神に仕立てあげなければならない理由があったからだ。いったい誰が、何のため...
纒向遺跡を代表する箸墓古墳 ヤマト政権のはじまりを証明する重要な遺跡である、纒向(まきむく)。そこに全国の広範囲から人が集まってきたことが、出土した外来系土器から分かっている。 驚くべきことに、外来...
『日本書紀』によれば、初代神武天皇は西の九州からやってきた。『日本書紀』には明らかに東軽視の態度が見られる。 しかし、多くの歴史学者が今上天皇の直系と考えるのは26代継体天皇だ。なぜ継体天皇は東(越の国...
※写真はイメージです 古代日本を大きく動かしたのは「鉄」をめぐる争いである。 生産工具や武器など、当時最先端の利器であった鉄をいかに独占するか? 北部九州勢力はヤマト勢力に対し、関門海峡という格好の...
ヤマトを代表する霊山・三輪山 ※本稿は、関裕二著『万葉集に隠された古代史の真実』(PHP文庫)より、一部を抜粋編集したものです。 『万葉集』とヤマトへの郷愁 『万葉集』と聞くと、どこか牧...
大宰府政庁跡 (福岡県太宰府市) ※本稿は、関裕二著『万葉集に隠された古代史の真実』(PHP文庫)より、一部を抜粋編集したものです。 「令和」の典拠「梅花の宴」とはいかなる場面だったのか ...
※本稿は、関裕二著『「縄文」の新常識を知れば日本の謎が解ける』(PHP新書)より、一部を抜粋編集したものです。 縄文人が水田稲作をはじめていた証拠 長い間、弥生時代は「弥生土器を使用した...
※本稿は、関裕二著『「縄文」の新常識を知れば日本の謎が解ける』(PHP新書)より、一部を抜粋編集したものです。 三内丸山遺跡の衝撃 日本人は縄文時代に関して無関心だったが、三内丸山遺跡の...
国指定特別史跡 三内丸山遺跡(青森県青森市) ※本稿は、関裕二著『「縄文」の新常識を知れば日本の謎が解ける』(PHP新書)より、一部を抜粋編集したものです。 一度、教科書から消えた縄文時代 ...
更新:11月21日 00:05