歴史街道 » #武田信玄の記事一覧

#武田信玄の記事一覧

「甲斐」が家康の天下取りを支えた? 戦国最強・武田軍と徳川の深い関係

歴史街道編集部

「甲斐」が家康の天下取りを支えた? 戦国最強・武田軍と徳川の深い関係

歴史街道編集部

右左口宿の観音堂から 甲府盆地を望む 徳川家康が甲斐平定のために布陣した地、家康や徳川家と縁のある寺、徳川家と戦国最強・武田軍団とのつながりを感じさせる場所...。山梨県といえば武田家だが、家康に注目して訪...

上杉謙信の「車懸り」戦法、ルーツは村上義清だった?!

乃至政彦(歴史家)

上杉謙信の「車懸り」戦法、ルーツは村上義清だった?!

乃至政彦(歴史家)

「車懸りの陣」といえば上杉謙信が得意とする戦法として有名である。事実、この戦法により川中島の合戦で武田信玄は窮地に追い込まれている。しかし、この戦法を編み出したのは謙信ではなく北信濃の雄・村上義清だったと...

武田勝頼の最期とその辞世……歴史家が語る天目山、武田滅亡の瞬間とは

平山優(日本中世史研究家/大河ドラマ『真田丸』時代考証)

武田勝頼の最期とその辞世……歴史家が語る天目山、武田滅亡の瞬間とは

平山優(日本中世史研究家/大河ドラマ『真田丸』時代考証)

2021年は武田信玄生誕500年。戦国武田家の歴史を再検証する動きが多くみられるが、この記事では武田家が滅亡した瞬間について取り上げたい。日本を代表する戦国武田氏の研究者が、木曾義昌や穴山梅雪に裏切られて窮地に追...

家宝・御旗と楯無とは? 戦国武田家を滅亡にも導いた「名門源氏意識」

平山優(日本中世史研究家/大河ドラマ『真田丸』時代考証)

家宝・御旗と楯無とは? 戦国武田家を滅亡にも導いた「名門源氏意識」

平山優(日本中世史研究家/大河ドラマ『真田丸』時代考証)

武田信虎・信玄・勝頼の戦国武田三代には、強烈な源氏意識があったという。その源氏名門としての誇りと、足利将軍家への絶対的な忠誠を行動原理にして、武田家は織田信長との戦いに身を投じていくことになる――。 ※...

戦国最強武将・立花宗茂と真田信繁、それぞれの「返り咲き」

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

戦国最強武将・立花宗茂と真田信繁、それぞれの「返り咲き」

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

主家の盛衰、父からの影響、豊臣秀吉による引き立て、そして関ケ原での活躍と敗戦……。 戦国最強と称される立花宗茂と真田信繁(幸村)は、実は共通点が多い。 彼らの生き方が、現代人に問いか...

品野城・河野島・明知城…織田軍はこんなにも敗北を喫していた

楠戸義昭(歴史作家)

品野城・河野島・明知城…織田軍はこんなにも敗北を喫していた

楠戸義昭(歴史作家)

岩村城跡に残る石垣。岩村城は明治維新後に廃城とされるまで存続していた(岐阜県恵那市) 浅井・朝倉や本願寺との戦いで、時に敗れ、時に絶体絶命の窮地に陥ったこともあったが、織田信長はそれ以外でも、数多くの戦...

歴史上の人物で「守備の天才」といえば誰?ランキング

歴史街道脇本陣

歴史上の人物で「守備の天才」といえば誰?ランキング

歴史街道脇本陣

「守備の天才」ということで、プロ野球選手にも予想以上に票が集まりましたが、今回は現代を「歴史」には入れないことといたしました。申し訳ございません! 過去の「日本史において活躍した外国人」「特集で取り上げて...

武田信玄と上杉謙信、戦国のライバルはお互いをどう見ていたのか

鈴木眞哉(歴史研究家)

武田信玄と上杉謙信、戦国のライバルはお互いをどう見ていたのか

鈴木眞哉(歴史研究家)

戦国武将イメージの「通説」は江戸時代以降に作られたものが多い。鈴木眞哉著『「まさか!」の戦国武将 人気・不人気の意外な真相』(PHP文庫)では、名将たちの意外な評価を解き明かしているが、ここでは本書より、...

松永久秀はなぜ、織田信長に裏切りの罪を許されたのか?

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

松永久秀はなぜ、織田信長に裏切りの罪を許されたのか?

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

大河ドラマ「麒麟がくる」によって、足利義輝と松永久秀に対する注目が高まっている。月刊誌『歴史街道』2020年7月号でも、「足利義輝と松永久秀―『剣豪将軍』と『梟雄』の正体」と題し、最新研究を踏まえて二人の実像に...

信長を追い詰めた“戦国の雄”朝倉五代と一乗谷の真実

吉川永青(作家)

信長を追い詰めた“戦国の雄”朝倉五代と一乗谷の真実

吉川永青(作家)

一乗谷朝倉氏遺跡復元町並で展示されている一乗谷のジオラマ(写真:近戸秀夫) 《越前の戦国大名・朝倉氏というと、「朝倉義景は凡庸だった」というイメージで語られることがある。しかし、果たしてそうした見方は正...

もっと長く生きてほしかった歴史上の人物 ランキング

歴史街道脇本陣

もっと長く生きてほしかった歴史上の人物 ランキング

歴史街道脇本陣

前々回の「社長になってもらいたい人物」、前回の「歴史好きになったきっかけの人物」に引き続き、今回のお題でも、「あの二人」が1位と2位にランクイン! 脇本陣史上、3連続で上位2位の顔ぶれが変わらなかったのは...

松永久秀、別所長治、荒木村重…「信長を裏切った男たちの誤算」

垣根涼介(作家)

松永久秀、別所長治、荒木村重…「信長を裏切った男たちの誤算」

垣根涼介(作家)

松永久秀の居城となった信貴山城跡 (奈良県生駒郡平群町) 織田信長ほど、家臣に裏切られ続けた武将も珍しい。しかし明智光秀以外の裏切りは、いずれも失敗に終わっている。それは、なぜなのか──。信長を裏切り、...

三方原の戦い~いちばんの敵は味方だった !? 家康を大敗させたダメ家臣団

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

三方原の戦い~いちばんの敵は味方だった !? 家康を大敗させたダメ家臣団

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

  三河武士団は、家康に心服していなかった! 武田信玄が侵攻してきた三方原の戦いで、いったいなぜ徳川家康は負けることを承知で浜松城から出撃したのだろうか―。 巷説では、同盟者の信長に対す...

武田と真田。織田の侵攻で明暗が分かれた両家のその後

『歴史街道』編集部

武田と真田。織田の侵攻で明暗が分かれた両家のその後

『歴史街道』編集部

武田家と真田家。天文15年(1546)頃に武田信玄のもとへ真田幸綱が出仕して以来、ともに乱世を歩んできた両家だが、織田信長の侵攻とともに、別々の道を歩むこととなる。 天正10年(1582)3月3日、真田昌幸による...

片倉景綱~ 「攻め」のトップ政宗を補佐し、危機を救った「守り」のナンバー2

童門冬ニ(作家)

片倉景綱~ 「攻め」のトップ政宗を補佐し、危機を救った「守り」のナンバー2

童門冬ニ(作家)

白石城三階櫓(宮城県白石市) 白石城は別名、益岡城、桝岡城。仙台藩の南の要衝に位置し、関ヶ原の戦いの後、明治維新までの260余年、伊達家の重臣片倉氏の居城であった。   ご学友型ナンバー2 ...

太原雪斎~ 坊主頭にはちまきをし、戦の指揮をとった、今川義元のナンバー2

童門冬ニ(作家)

太原雪斎~ 坊主頭にはちまきをし、戦の指揮をとった、今川義元のナンバー2

童門冬ニ(作家)

臨済寺(静岡市) 駿河の戦国大名・今川家の菩提寺で太原雪斎が中興。今川館(現在の駿府城)北西の賤機山麓に位置する。徳川家康も竹千代時代にここで学んだ。   今川義元の後見人となる 太原雪斎...

山本勘助と真田幸村。時代劇のスターは歴史学では厄介者?

井沢元彦(歴史作家)

山本勘助と真田幸村。時代劇のスターは歴史学では厄介者?

井沢元彦(歴史作家)

学校では教えてくれない日本史の授業 山本勘助と真田幸村といえば時代劇のスターといってもよいでしょうが、実はこの二人、日本の歴史学の上では厄介者扱いなのです。 山本勘助、つまり武田信玄の「軍師」と...

今川氏真~はたして愚将だったのか? 相手が強すぎ? 運も悪かった?

12月28日 This Day in History

今川氏真~はたして愚将だったのか? 相手が強すぎ? 運も悪かった?

12月28日 This Day in History

  悔しともうら山し共思はねど……今川氏真が没 今日は何の日 慶長19年12月28日 慶長19年12月28日(1614年1月27日)、今川氏真が没しました。今川義元の息子で、父の死後、武田信玄と徳川...

三方ヶ原の戦い~武田信玄の巧みな戦術と徳川家の内部事情

12月22日 This Day in History

三方ヶ原の戦い~武田信玄の巧みな戦術と徳川家の内部事情

12月22日 This Day in History

  三方ヶ原の合戦、家康は恐怖のあまり脱糞? 今日は何の日 元亀3年12月22日 元亀3年12月22日(1573年1月25日)、三方ヶ原の合戦が起こりました。武田信玄の西上作戦の一環で行なわれた戦いで、徳川家...

あなたが家臣として仕えてみたい戦国武将は?ランキング

歴史街道脇本陣

あなたが家臣として仕えてみたい戦国武将は?ランキング

歴史街道脇本陣

戦国武将をモデルにしたリーダー論がよく語られますが、一般的には優れたリーダーとされる武将であっても、自分と相性が悪そうであれば、その下で働きたいとは思わないでしょう。ということで、今回のアンケートでは、家...