歴史街道 » #PHP新書の記事一覧

#PHP新書の記事一覧

大河ドラマ『べらぼう』蔦屋重三郎が生まれ育った町・吉原はどんな場所だったのか?

安藤優一郎(歴史家)

大河ドラマ『べらぼう』蔦屋重三郎が生まれ育った町・吉原はどんな場所だったのか?

安藤優一郎(歴史家)

『吉原大通会』に描かれた蔦屋重三郎(手前の左から2人目、国立国会図書館蔵) 2025年の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の主人公は、写楽を世に送り出した江戸時代のメディア王・蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶ...

平安貴族は"におい"を好んだ...和歌にみる「王朝のフェティシズム」

山口博(富山大学・聖徳大学名誉教授)

平安貴族は"におい"を好んだ...和歌にみる「王朝のフェティシズム」

山口博(富山大学・聖徳大学名誉教授)

平安時代に詠まれた和歌をみてみると、今では驚くような「平安貴族の恋愛模様」が浮かび上がってきます。貴族が好んだ「におい」や「下着」へのフェティシズムとは? 歴史書には載っていない平安貴族の裏話を紹介します。 ...

二人の愛人を同時進行...平安貴族たちの「色好みは当たり前」な恋愛事情

山口博(富山大学・聖徳大学名誉教授)

二人の愛人を同時進行...平安貴族たちの「色好みは当たり前」な恋愛事情

山口博(富山大学・聖徳大学名誉教授)

平安時代の傑作『源氏物語』にも表れているように、平安貴族は現代とは全く異なる倫理観で恋愛をしていました。夜這いや複数人と関係を持つことも当たり前...。当時の驚くべき恋愛模様の実態について、文学作品から探ります。...

清少納言は軽薄な女? 紫式部が綴った「ライバルへの痛烈な批判」

山口博(富山大学・聖徳大学名誉教授)

清少納言は軽薄な女? 紫式部が綴った「ライバルへの痛烈な批判」

山口博(富山大学・聖徳大学名誉教授)

紫式部は、日本古典の最高傑作と評される『源氏物語』を生み出しました。華やかな宮廷のラブロマンスを描いて人気を誇った天才作家ですが、『紫式部日記』・『紫式部集』といった記録を見てみると、実は宮廷生活に馴染めてい...

清少納言の「宮廷女房への成り上がり」 を叶えた和歌の才能

山口博(富山大学・聖徳大学名誉教授)

清少納言の「宮廷女房への成り上がり」 を叶えた和歌の才能

山口博(富山大学・聖徳大学名誉教授)

『枕草子』の筆者として知られる清少納言。華やかな平安宮中で、一条天皇の中宮・定子の女房として活躍しました。紫式部も嫉妬したという、清少納言の"和歌の才能"は当時どう評価されていたのでしょうか? 女房社会...

なぜ、徳川家の重臣・石川数正は寝返ったのか? チャンスを迎えた秀吉の企み

河合敦(歴史研究家/多摩大学客員教授)

なぜ、徳川家の重臣・石川数正は寝返ったのか? チャンスを迎えた秀吉の企み

河合敦(歴史研究家/多摩大学客員教授)

小牧・長久手の戦いの後、旧武田領内の動揺をおさめるのに手を焼いていた家康。真田昌幸の裏切りと、それを助ける上杉景勝の登場によって、家康は上田城を諦める羽目に。 そして家康にさらなる試練が訪れる。徳川一...

小牧・長久手の戦いは“徳川家康の勝利”と言い切れない理由

河合敦(歴史研究家/多摩大学客員教授)

小牧・長久手の戦いは“徳川家康の勝利”と言い切れない理由

河合敦(歴史研究家/多摩大学客員教授)

本能寺の変、羽柴秀吉は山崎合戦、清須会議、賤ヶ岳の戦いを経て、天下人として振る舞い始める。そんな秀吉に対して、織田信長の次男・信雄が不満を募らせ、徳川家康を頼るようになる。やがて両陣営は決戦へと至るが、は...

上杉謙信の「車懸り」戦法、ルーツは村上義清だった?!

乃至政彦(歴史家)

上杉謙信の「車懸り」戦法、ルーツは村上義清だった?!

乃至政彦(歴史家)

「車懸りの陣」といえば上杉謙信が得意とする戦法として有名である。事実、この戦法により川中島の合戦で武田信玄は窮地に追い込まれている。しかし、この戦法を編み出したのは謙信ではなく北信濃の雄・村上義清だったと...

農民あがりの秀吉には屈しない...忍城を奮戦させた“成田長親の人望”

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

農民あがりの秀吉には屈しない...忍城を奮戦させた“成田長親の人望”

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

忍城(埼玉県行田市) 豊臣秀吉によって決行された「小田原攻め」。豊臣方の攻勢により、北条氏の本拠・小田原城はあえなく降伏開城したが、なんと支城である「忍城」は孤城となりながら攻防戦を続けた。戦国時代最後...

実は全国統一を考えていなかった? 最新研究が覆す「織田信長の実像」

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

実は全国統一を考えていなかった? 最新研究が覆す「織田信長の実像」

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

日本史で最も有名な武将・織田信長。信長のイメージは人々に広く定着している。しかし近年では、研究の進歩と共に「新たな信長像」が提唱され始めているのだ。真の信長はどのような人物だったのか。小和田哲男氏が解説す...

北条氏康が志した「関東独立国家」...領民の支持を獲得できた民主政治とは?

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

北条氏康が志した「関東独立国家」...領民の支持を獲得できた民主政治とは?

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

小田原城 相模の戦国大名・北条氏康は「関東独立国家」の樹立を目指して、領国を統治するための組織づくり、そして撫民政策に注力した。北条氏の政権運営は民主的と捉えられるものだったという。小和田哲男氏が、氏康...

なぜ丹後で勾玉が多く出土するのか?...遺跡が現代に伝えてくれること

長野正孝(元国土交通省港湾技術研究所部長、工学博士)

なぜ丹後で勾玉が多く出土するのか?...遺跡が現代に伝えてくれること

長野正孝(元国土交通省港湾技術研究所部長、工学博士)

古代の日本人は縄文時代から、各集落を舟で結んで、玉やヒスイの取引を行なっていた。そして弥生時代になると凄い技術力のある集落が連合体を形成するようになる。彼らはどのような技術を持ち、どのような交易を行なった...

武田氏と内通していた? 徳川家康が嫡男・信康に切腹を命じた真相

河合敦(歴史研究家)

武田氏と内通していた? 徳川家康が嫡男・信康に切腹を命じた真相

河合敦(歴史研究家)

徳川家康は、織田信長に命じられ、妻・築山殿と息子・信康を処刑している。一体なぜ、信長はこのような命令を出したのか。歴史研究家の河合敦氏が、徳川家の一大事件について解説する。 ※本稿は、河合敦著『徳川家...

「桶狭間の戦い」が徳川家康の運命を分けた? 今川義元の討死のその後

河合敦(歴史研究家)

「桶狭間の戦い」が徳川家康の運命を分けた? 今川義元の討死のその後

河合敦(歴史研究家)

桶狭間古戦場伝説地(愛知県豊明市) 徳川家康は、幼年より今川氏の人質として過ごしていた。そんな家康が、桶狭間合戦において今川義元が討ち死にした後、いかにして織田軍の攻勢から逃れ、大名として独立するに至っ...

琉球使節の中国装束は誇りの現れ? 世を賑わせた「江戸上り」の実像

原口泉(志學館大学教授)

琉球使節の中国装束は誇りの現れ? 世を賑わせた「江戸上り」の実像

原口泉(志學館大学教授)

沖縄はかつて琉球王国とよばれた独立国家であり、彩り豊かな独自の歴史を紡いできた。 ところが、17世紀初頭には、薩摩の島津氏に侵略され、琉球王国は中国との君臣関係を保ちながらも、薩摩藩と徳川幕府に従属する...

児玉源太郎と後藤新平 満洲経営の幕開けの歴史に秘された人間ドラマ

江宮隆之(作家)

児玉源太郎と後藤新平 満洲経営の幕開けの歴史に秘された人間ドラマ

江宮隆之(作家)

児玉源太郎(国立国会図書館) 満洲を清国に早期返還すれば再びロシアが占領し、日本人が大量の血を流した日露戦争が無に帰すだろう…。満洲軍総参謀長として日露戦争を勝利に導いた児玉源太郎は、そのように考...

「近くて遠い隣国・中国」日中両国はなぜ衝突を繰り返してきたのか

岡本隆司(京都府立大学文学部教授)

「近くて遠い隣国・中国」日中両国はなぜ衝突を繰り返してきたのか

岡本隆司(京都府立大学文学部教授)

日清講和記念館・料亭 春帆楼(山口県下関市) グローバル社会にますます影響力が高まる中国。古代より長い歴史をもつ日本とこの隣国との関係は、これからどうなっていくのでしょうか。本稿では、近代アジア史の研究者...

圧倒的不利だった日本海軍...真珠湾攻撃を成功に導いた「世界初の空母機動部隊」

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

圧倒的不利だった日本海軍...真珠湾攻撃を成功に導いた「世界初の空母機動部隊」

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

現在の真珠湾 空母搭載の航空機の役割は偵察と着弾観測が常識とされる時代、日本海軍は世界初の空母機動部隊を築き上げた。世界が驚愕した、その奇抜ともいえる戦術の発想は、どこから生まれてきたのか? ※本稿...

武田信虎は、なぜ「首都甲府」の建設を決断したのか~再評価すべきその先駆性

平山優(日本中世史研究家/大河ドラマ『真田丸』時代考証)

武田信虎は、なぜ「首都甲府」の建設を決断したのか~再評価すべきその先駆性

平山優(日本中世史研究家/大河ドラマ『真田丸』時代考証)

武田神社(山梨県甲府市) 「暴君」というイメージが強い武田信虎だが、実は内政面で「先駆的」と評価されている事績を残している。甲斐国の首都、甲府の建設である。新たに中心都市を建設した信虎の狙いとは、何だっ...

武田勝頼の最期とその辞世……歴史家が語る天目山、武田滅亡の瞬間とは

平山優(日本中世史研究家/大河ドラマ『真田丸』時代考証)

武田勝頼の最期とその辞世……歴史家が語る天目山、武田滅亡の瞬間とは

平山優(日本中世史研究家/大河ドラマ『真田丸』時代考証)

2021年は武田信玄生誕500年。戦国武田家の歴史を再検証する動きが多くみられるが、この記事では武田家が滅亡した瞬間について取り上げたい。日本を代表する戦国武田氏の研究者が、木曾義昌や穴山梅雪に裏切られて窮地に追...

武田軍も鉄砲を使っていた? 「鉛の研究」で見えた長篠合戦の新事実

平山優(日本中世史研究家/大河ドラマ『真田丸』時代考証)

武田軍も鉄砲を使っていた? 「鉛の研究」で見えた長篠合戦の新事実

平山優(日本中世史研究家/大河ドラマ『真田丸』時代考証)

武田勝頼率いる武田軍が織田軍に大敗した長篠の合戦――その構図は、旧式の騎馬軍団が先進的な鉄炮隊に敗れ去ったというのが常識的な理解だった。しかし、近年の研究でその常識は根底から崩れつつある。 ※本稿は、平...

家宝・御旗と楯無とは? 戦国武田家を滅亡にも導いた「名門源氏意識」

平山優(日本中世史研究家/大河ドラマ『真田丸』時代考証)

家宝・御旗と楯無とは? 戦国武田家を滅亡にも導いた「名門源氏意識」

平山優(日本中世史研究家/大河ドラマ『真田丸』時代考証)

武田信虎・信玄・勝頼の戦国武田三代には、強烈な源氏意識があったという。その源氏名門としての誇りと、足利将軍家への絶対的な忠誠を行動原理にして、武田家は織田信長との戦いに身を投じていくことになる――。 ※...

「俺たちがいたことをみんなに…」若くして散った回天制空隊パイロットからの言葉

安部龍太郎(作家)

「俺たちがいたことをみんなに…」若くして散った回天制空隊パイロットからの言葉

安部龍太郎(作家)

左が佐藤亨伍長(写真提供:筑前町立大刀洗平和記念館) 昭和20年、重要拠点ゆえにB29に爆撃され、壊滅的被害を受けた福岡県大刀洗飛行場――国民学校を卒業したばかりの15歳の少年たちは、この地で即製され、ある者は整...

知覧から出撃した特攻隊員の「一冊のノート」が語りかけるもの

安部龍太郎(作家)

知覧から出撃した特攻隊員の「一冊のノート」が語りかけるもの

安部龍太郎(作家)

博多湾から引き揚げられた97式戦闘機(写真提供:筑前町立大刀洗平和記念館) 大正8年(1919)、日本は対米戦争を見据え、大々的に戦闘機の生産にかかるため、福岡県に東洋一の規模を誇る「大刀洗飛行場」を建設する。...

農耕が“戦争”を引き起こす…縄文人が「中国文明」を拒んだ本当の理由

関裕二(歴史作家)

農耕が“戦争”を引き起こす…縄文人が「中国文明」を拒んだ本当の理由

関裕二(歴史作家)

古代の日本人は大陸の先進文明を遠ざけていた節がある――。彼らはなぜ、農耕や金属生産などのテクノロジーに対して拒絶反応を示したのか? 彼らが、大陸と行き来していた海人たちの情報から知った「文明の恐怖」とは? ...

「天孫降臨」は敗者の逃避行だった?…日本の歴史を築いた“海人たち”

関裕二(歴史作家)

「天孫降臨」は敗者の逃避行だった?…日本の歴史を築いた“海人たち”

関裕二(歴史作家)

『日本書紀』の大きな謎である「天孫降臨」そして「神武東征」は、本当は何を意味しているのだろうか? たんなる神話と、切り捨てることなどできない。実はそこには、天皇家と倭の海人たちとの深い関係が見え隠れしてい...

鎌倉幕府の内部で巻き起こった壮絶な「権力闘争」…引き金となった13人

坂井孝一(創価大学文学部教授)

鎌倉幕府の内部で巻き起こった壮絶な「権力闘争」…引き金となった13人

坂井孝一(創価大学文学部教授)

梶原景時終焉の地・梶原景時親子供養塔(梶原山公園・静岡市清水区)   日本史上初の本格的な武家政権である鎌倉幕府では、創設者頼朝の源氏の血統は三代で途絶え、継承されなかった。 その断絶に...

将軍を暗殺した男・公暁は、なぜ凶行に至ったのか

坂井孝一(創価大学文学部教授)

将軍を暗殺した男・公暁は、なぜ凶行に至ったのか

坂井孝一(創価大学文学部教授)

鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市) 日本史上初の本格的な武家政権である鎌倉幕府では、創設者頼朝の源氏の血統は三代で途絶え、継承されなかった。 その断絶に至るまでの幕府内の権力闘争の歴史を描いた1冊、坂井...

意外にアバウトだった戦国合戦~現場は敵味方の兵力も把握できずに戦っていた?

鈴木眞哉(歴史研究家)

意外にアバウトだった戦国合戦~現場は敵味方の兵力も把握できずに戦っていた?

鈴木眞哉(歴史研究家)

  戦国時代の大誤解! 歴史もののテレビドラマが果たしている役割は大きい。ことに大河ドラマには教科書にはない物語性があり、歴史知識を深めることができる。 しかし、ドラマチックな合戦や名場面...

伊達政宗による父・輝宗射殺事件は、ほんとうにやむをえなかったのか?

鈴木眞哉(歴史研究家)

伊達政宗による父・輝宗射殺事件は、ほんとうにやむをえなかったのか?

鈴木眞哉(歴史研究家)

歴史もののテレビドラマが果たしている役割は大きい。ことに大河ドラマには教科書にはない物語性があり、歴史知識を深めることができる。 しかし、ドラマチックな合戦や名場面にはフィクションが多く含まれており、...

山内一豊とその妻…有名な「馬」の美談はほんとうなのか?

鈴木眞哉(歴史研究家)

山内一豊とその妻…有名な「馬」の美談はほんとうなのか?

鈴木眞哉(歴史研究家)

山内一豊と妻の像 (岐阜県郡上市、郡上八幡城)   戦国時代の大誤解! 歴史もののテレビドラマが果たしている役割は大きい。ことに大河ドラマには教科書にはない物語性があり、歴史知識を深めること...

命令か、志願か…『あゝ同期の桜』の 生き残りが語る特攻の真実

海軍反省会

命令か、志願か…『あゝ同期の桜』の 生き残りが語る特攻の真実

海軍反省会

特攻出撃の準備をする零戦 本稿は平成元年9月26日に行われた、第116回「海軍反省会」において議論された内容である。 『[証言録]海軍反省会』第11巻 に収録されている。 海軍飛行予備学生で要務士であった小池猪...

海軍が特攻兵器を造る決意をした日~回天特攻作戦参謀による証言

海軍反省会

海軍が特攻兵器を造る決意をした日~回天特攻作戦参謀による証言

海軍反省会

昭和19年10月25日、敷島隊の特攻機が命中した、空母セント・ロー 本稿は昭和58年6月9日に行われた、第42回「海軍反省会」において議論された内容である。 『[証言録]海軍反省会』の第5巻 に収録されている。 ...

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