2019年10月09日 公開
2023年07月31日 更新
山内一豊と妻の像
(岐阜県郡上市、郡上八幡城)
歴史もののテレビドラマが果たしている役割は大きい。ことに大河ドラマには教科書にはない物語性があり、歴史知識を深めることができる。
しかし、ドラマチックな合戦や名場面にはフィクションが多く含まれており、必ずしもすべて真実の歴史を伝えているとは言えない。
戦国時代もまた然り。やはり一度は通説を疑ってみることも重要なのではないだろうか。
※本書は、鈴木眞哉著『戦国時代の大誤解』より、一部を抜粋編集したものです。
山内一豊の名前は、明治の末から敗戦まで、30数年間にわたって国定教科書に載っていた。ただし、〈山内一豊の妻〉の夫として出てきたまでである。戦後になると、司馬遼太郎さんが『功名が辻』を書き、それが大河ドラマにもなったわけだが、これだって一豊本人に興味があってできたものではあるまい。要するに、一豊というのは、奥さんと抱き合わせでなければ主役になれる人ではないのだ。
その奥さん(正確な名前はわかっていない)が何をしたかということは、みなさんもよくご存じだろう。東国の馬商人が牽いてきた名馬を見た一豊が、あれを欲しいなと言っているのを聞いてヘソクリで買ってやった。その金は、実家の父親から与えられたものだったというが、そのことがきっかけで一豊は信長に認められ、出世の一歩を踏み出した。
この話はいろいろな本に載っているが、大筋は共通である。だが、歴史学者の山本大さんによると、一豊が馬を買った時期や場所、奥さんに金を与えた人間などといった点になると、かなりバラツキがあるということだ。なかには、一豊に金を与えたのは母親だったという説もあるそうだが、それでは、いい年をした息子に母親が過保護だったのか、一豊がマザコンだったのかということにもなりかねない。
大河ドラマでは、場所は安土の城下、馬の値は金十両、時期は天正9年(1581)に信長が行った馬ぞろえの数カ月前という設定で、それによって信長に認められるという筋立てになっていた。これは諸説の最大公約数のようなものだが、山本さんも指摘するように、もともと名馬を買ったという事実そのものが当時の史料に出てこないのだから、これ以上とやかく言うのはヤボというものかもしれない。
更新:11月21日 00:05