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山内一豊とその妻…有名な「馬」の美談はほんとうなのか?

2019年10月09日 公開
2023年07月31日 更新

鈴木眞哉(歴史研究家)

馬の美談は史実なのか?

そんなことよりも気になるのは、こういう話を流している人たちは、それまで一豊は馬に乗っていなかったと考えているのだろうか、ということである。金がなかったのだから、乗ってなかったに決まってるだろうという声も多そうだが、それはこの時代の常識ではない。

一豊の時代には、馬に乗るには、それだけの資格が必要であった。どこの大名家でも、原則として一定の地位・身分にある者でなければ、乗馬することは許されなかったからである。馬を買う金さえあれば、だれでも勝手に乗れたというわけではない。

このように馬に乗ることは一種の権利であったが、それは同時に義務でもあった。そういう資格のある者には、主人のほうでも、それだけの処遇をしているわけであるから、いざというときには馬に乗って出ていかねばならない。もらうものはもらっておきながら、乗る馬がありませんなどという言い訳は許されない。

通勤手当はたしかにもらったが、飲んで使ってしまったので出社できませんと言うようなものだ。

そこまで申し上げればおわかりだろうが、それ以前は一豊が馬に乗っていなかったとすれば、懐具合とは関係がなく、それだけの地位・身分にいなかったまでのことである。いや、それまでも乗ってはいたが、もっとよい馬が欲しかっただけだというなら、それなりに理屈は通る。しかし、馬も身分相応のものを選べばよいのだから、それ以上は贅沢というものである。夫婦で深刻に悩んだり、信長が褒めてやったりするような話ではない。

じつは、山本さんの紹介している話には、もっとひどいものもある。一豊が金がないからと言って、仮病をかまえて出陣を免れようとしたのを見た奥さんが、いまだって小禄でたいへんなのに、そんなことをしたらクビになってしまうではありませんかと言って、金を出してやったのだという。これがほんとうなら、ズル休みしたがるサラリーマンと変わらない。

馬の話はこんな具合で信ずるに足らないが、関ケ原のとき、家康に従って東国にいた一豊に奥さんが使いを送り、家康に味方するようすすめたというのは事実であろう。一豊は、奥さんの判断を信じて、書状の封を切らずに家康に提出した。さらに居城も提供すると申し出たので、家康の覚えはめでたかった。関ケ原の本戦では、布陣の関係もあって格別の戦功がなかったにもかかわらず、土佐一国を与えられたのは、そのためだといえる。

これこそ〈内助の功〉というものだが、それは東軍が勝ったがゆえの結果論にすぎない。この戦いの勝敗については、彼女などの知らない要因がいくらもあった。通説では、東軍は勝つべくして勝ったということになっているが、これは〈徳川様御用達史観〉の名残というものである。近年の研究を踏まえて考えると、西軍にも十分勝ち目はあったといえる。

そうなっていたら、一豊は、小賢しい奥さんの言うことを信じたばかりに、遠江掛川6万石を棒に振ったマヌケな男として後世に記憶されていただろう。

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