2013年05月15日
アベノミクスの手本! 高橋是清の「運」をつかむ生き方

アベノミクスの手本! 高橋是清の「運」をつかむ生き方
人間、失うものは何もない……なぜ、高橋是清は「日本の運」をつかみ得たのか 「顧みれば予の前半生もまた波瀾重畳、種々なる逆境を嘗めて来た」 自身が述懐するように、高橋是清の前...
歴史街道 » 本誌関連記事
2013年05月15日
人間、失うものは何もない……なぜ、高橋是清は「日本の運」をつかみ得たのか 「顧みれば予の前半生もまた波瀾重畳、種々なる逆境を嘗めて来た」 自身が述懐するように、高橋是清の前...
2013年05月02日
『歴史街道』』2013年5月号 より いざ天下分け目の大戦へ! 渾身の決断に見る漢たちの魅力 三成の西軍か、家康の東軍か…。天下分け目の戦いに臨んだ武将たちの決断を、後世の価値観をもって判...
2013年04月01日
昭和63年 (1988) 4月に創刊された月刊誌「歴史街道」は、今月で25周年を迎えます。 創刊以来、弊誌は「時代を見抜く座標軸」をキーワードに、歴史の中から現代に活かせる生き方・考え方を探ってまいりました。読者...
2013年03月28日
大正18年(1590)、徳川家康が入封するまで、江戸城のまわりは湿地だらけで、竹の生い茂る荒れ地だった。 そんな関東の片田舎の江戸を、100万の人口を擁する大郡市に変貌させた男がいる。南光坊天海。家康の宗教政...
2013年03月12日
『歴史街道』2013年4月号 より 山本覚馬の墓(京都市) 「今、日本にとって急務なのは、内戦ではない」。 戊辰戦争の最中、薩摩藩に幽閉されながらも、日本の近代化を進めるための方策を、新政府...
2013年02月02日
『歴史街道』2013年2月号 より 「戦う女」八重の獅子奮迅の働き 新島八重−旧姓・山本八重は、幕末の弘化2年(1845)に会津藩の砲術(銃術)師範の家に生まれ、会津戦争では当時最新鋭の7連発式スペンサー...
2013年02月01日
『歴史街道』2013年3月号 [特集・川中島合戦の謎]より 謙信と信玄、名将2人の決戦は戦国史上最も謎に満ちていた! 意外にも、川中島合戦の実態はほとんどわかっていない。 その理...
2013年01月09日
《 『歴史街道』2013年1月号 より/ イラスト:山下正人 》 <滝山> は、大奥に40年以上奉公し「大奥の生き字引」といわれる御年寄(大奥最高位)。新参の娘 <おささ> の教育のため、その質問に答えます。 &...
2012年11月24日
《『歴史街道』2012年12月号より》 「内府は獅子身中の虫。治郎少はそういうてきたのではないのか」 昌幸の問いかけに信幸は応える。 「されど父上、内府はわが舅にございまする」 慶長5年(160...
2012年11月08日
『歴史街道』2012年12月号では、真田信之と幸村兄弟を取り上げ、戦国時代の歴史の狭間で信じる道を貫いた2人の生き様を描いています。 ※本稿は、『歴史街道』2012年12月号総力特集「真田信之と幸村」より、内容を一...
2012年10月23日
「源田サーカス」の異名をとったスター・パイロットで、真珠湾攻撃を航空参謀として成功させた源田実。ミッドウエーの失敗などで毀誉褒貶はあるものの、彼の合理的発想と海軍省を動かす豪腕がなければ、343空は決して...
2012年10月23日
「源田サーカス」の異名をとったスター・パイロットで、真珠湾攻撃を航空参謀として成功させた源田実。ミッドウエーの失敗などで毀誉褒貶はあるものの、彼の合理的発想と海軍省を動かす豪腕がなければ、343空は決して...
2012年10月11日
(画像はイメージです) 「忍び」といえば、まず伊賀、甲賀である。忍びの強さは「神妙奇異の働き」として全国に鳴り響いていたというが、実際にはどのような人物が忍びとして生きていたのだろうか。伊賀、甲賀で中心...
2012年09月21日
没後間もない時期に書かれた『太平記』や『梅松論』ですでに智略あふれる英雄として描かれ、戦国時代には、あの竹中半兵衛が「昔楠木、今竹中」と評され、江戸時代には講談などで庶民のヒーローとなり、さらに幕末の志士...
2012年07月27日
「目に見えぬ 神にむかひてはぢざるは 人の心のまことなりけり」 権力者には常に厳しい倫理を持って相対し、国民には自愛に満ちた御心で臨まれた明治天皇。それは日々祈りを捧げられ、御製を通じて御心を磨かれ、...
2012年03月08日
その生涯において、3度もの「奇跡」を起こした樋口季一郎。彼はどんな状況においても、「日本人として大切にすべき人道」と「合理的な思考に立脚した正しい決断力」を失うことはなかった。樋口を通して見えてくる、当時...
2012年02月24日
歴史街道』2012年2月号より 宋人たちの目を瞠らせた清盛の美 嘉応元年、すなわち西暦にして1169年の頃、瀬戸内の波はどのような色をしていたのだろう。 恐らく透き通るような瑠璃色に煌めい...
2012年02月06日
『歴史街道』2012年3月号 特集「関ケ原籠城列伝」より あの大軍が関ケ原に現れれば… 関ケ原本戦に影響を与えたという点では、何といっても、敵大軍の本戦参加を阻止した籠城戦に注目すべきだ...
2012年02月06日
『歴史街道』2012年3月号 特集「関ケ原籠城列伝」より 籠城戦を見ずして、関ケ原は語れず 天下分け目の戦い。この言葉からは、ほとんどの人が慶長5年(1600)9月15日の関ケ原合戦を思い浮かべるだろう。...
2012年01月08日
『歴史街道』2012年2月号 より 平家が源氏によって滅ぼされたため、歴史上、悪人のレッテルを貼られた平清盛。しかし、そのスケールは鎌倉幕府を開いた源頼朝を遥かに凌ぐ。なぜ清盛は旧弊な身分社会に風穴を開け...
更新:08月14日 00:05