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本能寺の変、羽柴秀吉と黒田官兵衛の関与はあったのか?

2014年09月05日 公開
2022年07月25日 更新

童門冬二(作家)

本能寺の変

本能寺の変で織田信長横死。関与の有無は別にせよ、その報せを聞いた時、羽柴秀吉と黒田官兵衛はどんな感情を抱いただろうか。

※本稿は、『歴史街道』2014年9月号より一部抜粋・編集したものです。

 

秀吉の不安、官兵衛の不信

信長横死――。関与の有無は別にせよ、その報せを聞いた時、秀吉はどんな感情を抱いただろうか。私は、2つの想いが交錯していたと推測する。ひとつは、織田信長という絶対的な存在を失ったことへの不安感だ。信長に見出され、信長に頼って生きてきた秀吉にすれば、これからどう生きていけばいいのか、大きな戸惑いがあったのは間違いない。

しかし一方で、半分以上は「喜び」が心中を占めていただろう。それは、絶対君主・信長に対する、尋常ならざる恐怖心からの解放によるものだ。

信長といえば、出自や家格を無視して能力本位で人物の登用をしたと語られる。しかし本能寺の変が起きる天正10年頃になると、一族重用の傾向が明らかになっていた。甲斐の武田氏討滅戦の総大将には嫡男の信忠を任じ、三男の神戸信孝には四国征伐を命じている。また、その他の息子たちにも大事な役目を任せている。

こうした信長の動きを純粋に「お館様もご一族に真っ当な愛情を示されるようになられた」と捉える向きもあったろう。しかし、それは柴田勝家や丹羽長秀といった織田家譜代のごく限られた重臣だけであったはずだ。

というのも、それまで信長が好んで激戦地に送り込んだのは、「中途採用者」であった。言わば使い勝手の良い存在であり、その代表例が明智光秀であり、滝川一益であり、中国攻めを任せられた羽柴秀吉であった。

「信長様は、我々を使い捨てになさるおつもりでは…」

今は城や恩賞を充分に与えられていても、それが今後も続くのかは、信長の性格からすれば分からない…。一族重用の動きを見て、聡い秀吉が恐怖心を抱いたのは当然であった。

また秀吉にとって、信長の恐怖政治は疑問が多かったのではないか。「人たらし」秀吉のマネージメントは下意上達を主とし、部下は自ずと動いた。そんな秀吉からすれば、威圧的に無理やり部下を動かす信長の統治体制は、極めて危うく見えたはずだ。

特に本能寺の変直前の信長は、安土城の中に摠見寺という寺を建立し、石ころ(盆山)を信長に見立てて崇めるよう厳命したという逸話も残り、明らかに常軌を逸していた。「俺なら、もっと上手く軍団をまとめられる」。そんな思いを、秀吉は密かに抱いていたかもしれない。

もちろん秀吉に関しては、光秀が信長に打擲されたというような「不仲」を示す決定的な逸話は残らない。しかし、不満を表に出さず、面従腹背を貫くのもまた、秀吉一流の“したたかさ”であろう。ともあれ、信長・秀吉主従が見かけ以上に不安定な関係だったことは間違いない。

では、秀吉の軍師を務める官兵衛は、信長をどう見ていたか。実は、官兵衛も秀吉と同じく、いや秀吉以上に、信長の人間性については信用を置いていなかった。

天正6年(1578)、官兵衛は信長に叛逆した荒木村重を翻意させるべく、単身で有岡城に乗り込んだ。しかし、決死の説得も虚しく土牢に閉じ込められる。幸い1年後に救出されるが、この間、「官兵衛戻らず」の報せを受けた信長は、官兵衛が村重と通じて裏切ったと断じ、人質にとっていた官兵衛の嫡男・松寿丸(後の長政)を殺すよう秀吉に命じた。

竹中半兵衛の計らいにより松寿丸の命は助かったものの、救出後に事の顛末を聞いた官兵衛が、涙ながらに半兵衛(官兵衛が囚われている間に病没)に感謝するとともに、信長に対する不信感を大いに募らせたことは言うまでもない。

そもそも官兵衛は、信長に直接引き立てられた訳ではない。恩義を感じ、忠誠を誓う相手はあくまで秀吉だ。そんな秀吉が、自身も信用を置かない信長を取り除こうと考えたならば…。秀吉に天下を取らせるべく、官兵衛が様々な策を講じた可能性はありえる。

さらに言えば、当時の秀吉にとって出世争いのライバルともいえる存在が、明智光秀だった。織田家の中で、最初に「一国一城の主」となったのは、坂本城などを拝領した光秀であり、2番目が秀吉であった。2人は境遇も似ており、光秀も秀吉同様「途中入社の外様」でありながら、その才を遺憾なく発揮して家中でのし上がっている。

この事実を踏まえると、こうも考えられる。巧妙に光秀に謀叛をけしかければ、成功すれば天下への道が開け、たとえ失敗してもライバルである光秀を蹴落とせる…。切れ者の官兵衛が、そこまで考えを巡らせていなかったと断言できようか。秀吉、そして官兵衛にとって、「事」を起こす動機は十分にあったのだ。

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