なぜ本土から遠く離れたラバウルに、航空隊の一大拠点が置かれたのか。なぜ数多くのエースパイロットを輩出したのか。そして苛酷な消耗戦を続けざるをえなかったのはなぜか…。ラバウル航空隊の基本知識を紹介しよう。
※本稿は『歴史街道』2014年8月号より一部抜粋・編集したものです。
――ニューギニアの東、ニューブリテン島に置かれたラバウル基地。なぜ、僻遠の地に基地が置かれたのですか?
日本海軍がなぜラバウルを重要視し、基地を置いたのかを知るには、まず太平洋戦争の大まかな流れと、海軍の基本戦略を知る必要があります。
太平洋戦争は、日本がアメリカ、イギリスの勢力を駆逐して、南方の資源を獲得するために行なわれた戦争です。そして日本海軍は、太平洋上の最大拠点であるトラック島を南方作戦の要としました。
しかし、日本軍が南方に勢力を伸ばせば、連合軍はオーストラリアから北上して、南方の要地を取り返そうと躍起になるでしょう。そこで、トラック島を北上してくる連合軍から護るため、海軍はオーストラリア、そしてソロモン諸島の押さえとなるラバウルに航空拠点を設けたのです。
しかし、陸軍はラバウルに基地を置くことに反対でした。敵地に近く、本土から遠すぎるためです。海軍に派兵を求められた際の塚田攻参謀次長の「そんなところに捨て子にする兵力はない」との言葉が陸軍の姿勢を象徴しています。
ただし、陸軍は自らの南方作戦に海軍の航空兵力が必要だったため、最終的にはラバウル派兵に同意することとなります。
――ラバウル航空隊は、どんな部隊で構成されていましたか?ラエなどの周辺基地の航空隊も含まれるのですか?
実は、「ラバウル航空隊」という名の航空隊は存在しません。ラバウル一帯に展開した航空部隊の総称がラバウル航空隊なのです。ラエやブインなどラバウル周辺の基地もラバウル基地群に含まれますから、同地の部隊もラバウル航空隊です。
また、ラバウルには戦闘機隊の他に、爆撃・偵察・水上各航空隊や、陸軍の航空隊も展開していました。こうした航空隊もラバウル航空隊に入ります。
なお、ラバウル航空隊という呼称は戦時中から用いられていましたが、これは軍にとっても都合のよいものでした。というのも、前線の部隊の所在は基本的に秘匿され、たとえば「台南空はラエ基地にある」とは作戦上、公にできません。
部隊の人間は家族にも告げられませんでした。その点、ラバウル航空隊という言い方をすれば、少なくとも相手には南方の前線基地にいることが伝わり、情報の防衛にもなるので、非常に便利だったのです。
更新:11月22日 00:05