歴史街道 » #織田信長の記事一覧

#織田信長の記事一覧

評価が180度変わった? 福井で見えた、隠れた名将「朝倉義景」の手腕

歴史街道編集部

評価が180度変わった? 福井で見えた、隠れた名将「朝倉義景」の手腕

歴史街道編集部

↑一乗谷を流れる一乗谷川 いまから450年ほど前の天正元年(1573)、越前の戦国大名・朝倉義景は織田信長によって攻め滅ぼされ、その本拠の一乗谷も灰燼に帰した。だが研究の進展により、義景と一乗谷については、知ら...

実は全国統一を考えていなかった? 最新研究が覆す「織田信長の実像」

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

実は全国統一を考えていなかった? 最新研究が覆す「織田信長の実像」

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

日本史で最も有名な武将・織田信長。信長のイメージは人々に広く定着している。しかし近年では、研究の進歩と共に「新たな信長像」が提唱され始めているのだ。真の信長はどのような人物だったのか。小和田哲男氏が解説す...

織田信長の妻・帰蝶は“本能寺の変の後も生きていた”と思える理由

諸田玲子(作家)

織田信長の妻・帰蝶は“本能寺の変の後も生きていた”と思える理由

諸田玲子(作家)

斎藤道三の娘・帰蝶(濃姫)は、15歳で織田家に嫁ぐ。絵に描いたような政略結婚だったが、夫は〈大うつけ〉とも噂される織田家の嫡男・信長だった。 いつ実家と婚家が敵対するかわからない緊迫した状況のなか、帰蝶...

“戦国大名6割の墓”がある聖地も? 信長に秀吉、真田親子ゆかりの地・和歌山の名所

歴史街道編集部

“戦国大名6割の墓”がある聖地も? 信長に秀吉、真田親子ゆかりの地・和歌山の名所

歴史街道編集部

和歌山城(写真:松村シナ、以下同) 信長、秀吉、家康の三傑だけでなく、真田信繁など、和歌山には戦国武将ゆかりの地が数多く残っている。戦国時代から江戸時代初期にかけて、彼らは和歌山とどのような関わりを持っていた...

信長6万の軍勢をも退けた雑賀孫一と鉄砲衆...秀吉・家康も恐れた「雑賀衆」の強さとは?

江宮隆之(作家)

信長6万の軍勢をも退けた雑賀孫一と鉄砲衆...秀吉・家康も恐れた「雑賀衆」の強さとは?

江宮隆之(作家)

『太平記英勇傳』に描かれる鈴木孫市(部分)。別名、雑賀孫ー(東京都立中央図書館蔵) 時には一斉射撃で織田軍をなぎ倒し、時には狙撃で信長を負傷させる...。10年に及ぶ石山合戦で信長の前に立ちはだかったのは、雑賀...

信長・秀吉・家康が恐れた紀伊国...一大勢力「雑賀衆」の消滅とその後

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

信長・秀吉・家康が恐れた紀伊国...一大勢力「雑賀衆」の消滅とその後

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

火縄銃 日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスが「百姓たちの共和国」と表した紀伊。戦国時代には、信長、秀吉、家康の三傑に抗い、江戸時代には、御三家のひとつとなり、二人の将軍まで輩出した。その数奇な歴史をもた...

武田氏と内通していた? 徳川家康が嫡男・信康に切腹を命じた真相

河合敦(歴史研究家)

武田氏と内通していた? 徳川家康が嫡男・信康に切腹を命じた真相

河合敦(歴史研究家)

徳川家康は、織田信長に命じられ、妻・築山殿と息子・信康を処刑している。一体なぜ、信長はこのような命令を出したのか。歴史研究家の河合敦氏が、徳川家の一大事件について解説する。 ※本稿は、河合敦著『徳川家...

「桶狭間の戦い」が徳川家康の運命を分けた? 今川義元の討死のその後

河合敦(歴史研究家)

「桶狭間の戦い」が徳川家康の運命を分けた? 今川義元の討死のその後

河合敦(歴史研究家)

桶狭間古戦場伝説地(愛知県豊明市) 徳川家康は、幼年より今川氏の人質として過ごしていた。そんな家康が、桶狭間合戦において今川義元が討ち死にした後、いかにして織田軍の攻勢から逃れ、大名として独立するに至っ...

なぜ「織田信長の二男と三男」は後継者になれなかったのか?…信雄と信孝の争いと“その後”

谷口克広(戦国史研究家)

なぜ「織田信長の二男と三男」は後継者になれなかったのか?…信雄と信孝の争いと“その後”

谷口克広(戦国史研究家)

織田信長の二男・信雄と三男・信孝は同年の生まれ。本能寺の変の後、二人は後継者の地位を巡り争いを繰り広げた。彼らはどのような人物だったのか、その実像に迫る。 ※本稿は、『歴史街道』2021年3月号より、内容を...

四国政策に原因? 足利義昭が黒幕? 史料が語りかける「明智光秀、謀反の真実」

渡邊大門(歴史学者)

四国政策に原因? 足利義昭が黒幕? 史料が語りかける「明智光秀、謀反の真実」

渡邊大門(歴史学者)

琵琶湖岸の坂本城跡と明智光秀像(滋賀県大津市) 本能寺の変で明智光秀が織田信長を討った理由については、これまでも多くの説が提唱された。研究が進み、従来説の誤りが指摘されてきている一方で、いまだに説は定ま...

松永久秀は教養の高い知略家だった?…最新研究で見えてくる「梟雄の真相」

天野忠幸(天理大学文学部准教授)

松永久秀は教養の高い知略家だった?…最新研究で見えてくる「梟雄の真相」

天野忠幸(天理大学文学部准教授)

「松永久秀の終焉の地とされる信貴山城址(奈良県生駒郡)」 大河ドラマ『麒麟がくる』で吉田鋼太郎さん演じる松永久秀が注目されている。久秀はなぜ、三好長慶に重用されたのか。幕府の重鎮としての地位を、どのよう...

能登・七尾城 ~"軍神"上杉謙信をうならせた難攻不落の堅城

鷹橋忍(作家)

能登・七尾城 ~"軍神"上杉謙信をうならせた難攻不落の堅城

鷹橋忍(作家)

七尾城本丸跡(石川県七尾市) 天正4年(1576)、織田信長との対決を決意した上杉謙信の前に、難攻不落の城が立ちはだかった。能登の七尾城である。 攻城戦は約1年の長きにわたり、信長の援軍派遣により、事態は...

品野城・河野島・明知城…織田軍はこんなにも敗北を喫していた

楠戸義昭(歴史作家)

品野城・河野島・明知城…織田軍はこんなにも敗北を喫していた

楠戸義昭(歴史作家)

岩村城跡に残る石垣。岩村城は明治維新後に廃城とされるまで存続していた(岐阜県恵那市) 浅井・朝倉や本願寺との戦いで、時に敗れ、時に絶体絶命の窮地に陥ったこともあったが、織田信長はそれ以外でも、数多くの戦...

明智光秀だけではない! 織田信長を裏切った6人の思惑と悲惨な末路

和田裕弘(戦国史研究家)

明智光秀だけではない! 織田信長を裏切った6人の思惑と悲惨な末路

和田裕弘(戦国史研究家)

織田信長を裏切った武将としては、まず明智光秀の名前が挙がるだろう。しかし、信長を裏切ったのは光秀だけではない。 天下統一への道のりで、多くの者に裏切られているのだ。その中から、代表的な6人を紹介しよう。 ...

金ヶ崎の退き口~朝倉義景の猛攻で信長は「生涯最大のピンチ」に

吉川永青(作家)

金ヶ崎の退き口~朝倉義景の猛攻で信長は「生涯最大のピンチ」に

吉川永青(作家)

金ヶ崎城址遠景 織田信長にとっての生涯最大のピンチ「金ヶ崎の退き口」。それを演出したのが、越前・朝倉義景である。 朝倉は、いかにして信長を危機に陥れたのか。対する信長は、どうやって脱することができた...

細川藤孝~「文武両道」の男は、かくして戦国乱世を生き抜いた

渡邊大門(歴史学者)

細川藤孝~「文武両道」の男は、かくして戦国乱世を生き抜いた

渡邊大門(歴史学者)

丹後田辺城二層櫓(京都府舞鶴市) 関ケ原の戦いが勃発すると、 隠居していた細川藤孝は田辺城に入城し、西軍を迎え撃った。 織田信長に対する足利義昭の挙兵、明智光秀が信長を討った本能寺の変、豊臣秀吉死後に...

松永久秀はなぜ、織田信長に裏切りの罪を許されたのか?

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

松永久秀はなぜ、織田信長に裏切りの罪を許されたのか?

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

大河ドラマ「麒麟がくる」によって、足利義輝と松永久秀に対する注目が高まっている。月刊誌『歴史街道』2020年7月号でも、「足利義輝と松永久秀―『剣豪将軍』と『梟雄』の正体」と題し、最新研究を踏まえて二人の実像に...

明智光秀、美濃を追われ、越前で過ごした「謎の十年間」

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

明智光秀、美濃を追われ、越前で過ごした「謎の十年間」

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

明智光秀はなぜ、美濃から越前に向かったのか。 そこで何をしていたのか。そしてなぜ、足利義昭と 織田信長の側近くに仕えることになったのか。生国を追われた 明智光秀が、世に出るまでの空白の期間に、いったい何があっ...

93歳の関ケ原!大島光義~信長・秀吉・家康から認められ、大名となった弓の名手

近衛龍春(作家)

93歳の関ケ原!大島光義~信長・秀吉・家康から認められ、大名となった弓の名手

近衛龍春(作家)

岐阜・長良川 還暦を過ぎて織田信長に仕え、90を過ぎて 「関ケ原」に参戦した遅咲きの大名・大島光義。 彼が得意としたのは弓。 長井、織田、丹羽、豊臣、徳川……。 次々と主家を変えながらも生き抜くこ...

明智光秀は、ほんとうに家康に腐った料理を出して、饗応役を解任されたのか?

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

明智光秀は、ほんとうに家康に腐った料理を出して、饗応役を解任されたのか?

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

本能寺の変の直前、明智光秀は織田信長から徳川家康の饗応役を命じられる。光秀は心を込めて家康を迎える準備をする。しかし、信長は「腐った魚を料理に出した」と難癖をつけ、光秀の饗応役を突然解任してしまう。 ...

社長になってもらいたい歴史上の人物は?ランキング

歴史街道脇本陣

社長になってもらいたい歴史上の人物は?ランキング

歴史街道脇本陣

2014年1月号の「上司にしたい歴史上の人物」ランキングでは、第1位が織田信長、同率第2位が坂本龍馬と西郷隆盛でした。果たして、「上司」と「社長」では求める人物像が変わるのか──それでは、今回の結果を細かく見て...

「新戦法対旧戦法」ではない! 長篠合戦の知られざる構図

平山優(日本中世史研究家/大河ドラマ『真田丸』時代考証)

「新戦法対旧戦法」ではない! 長篠合戦の知られざる構図

平山優(日本中世史研究家/大河ドラマ『真田丸』時代考証)

雑誌『歴史街道』2019年4月号で、歴史家の平山優氏は、世界史の波が武田氏と北条氏の滅亡に与えた影響について論じている。しかしそもそも、武田氏が織田・徳川連合軍に敗れた長篠合戦について、誤解があるという。それは...

松永久秀、別所長治、荒木村重…「信長を裏切った男たちの誤算」

垣根涼介(作家)

松永久秀、別所長治、荒木村重…「信長を裏切った男たちの誤算」

垣根涼介(作家)

松永久秀の居城となった信貴山城跡 (奈良県生駒郡平群町) 織田信長ほど、家臣に裏切られ続けた武将も珍しい。しかし明智光秀以外の裏切りは、いずれも失敗に終わっている。それは、なぜなのか──。信長を裏切り、...

武田と真田。織田の侵攻で明暗が分かれた両家のその後

『歴史街道』編集部

武田と真田。織田の侵攻で明暗が分かれた両家のその後

『歴史街道』編集部

武田家と真田家。天文15年(1546)頃に武田信玄のもとへ真田幸綱が出仕して以来、ともに乱世を歩んできた両家だが、織田信長の侵攻とともに、別々の道を歩むこととなる。 天正10年(1582)3月3日、真田昌幸による...

織田信雄~不肖の息子と呼ばれながらも、戦国を生き抜いた男

4月30日 This Day in History

織田信雄~不肖の息子と呼ばれながらも、戦国を生き抜いた男

4月30日 This Day in History

  今日は何の日 寛永7年4月30日、信長の次男・織田信雄が没 信長の次男。幼名は茶筅。生母は生駒吉乃 寛永7年4月30日(1630年6月10日)、織田信雄が没しました。織田信長の次男で、北畠氏の養子に入...

本能寺で討たれた信長の首は富士山麓に葬られた!?~西山本門寺にある首塚の謎

楠戸義昭(歴史作家)

本能寺で討たれた信長の首は富士山麓に葬られた!?~西山本門寺にある首塚の謎

楠戸義昭(歴史作家)

織田信長公の首塚(静岡県富士宮市、西山本門寺)   なぜ、信長の首塚が富士山麓にあるのか? 戦国時代、最も衝撃的といわれる本能寺の変―それだけに多くの謎を秘める。墓もまた様々な謎に包まれている。 ...

松永弾正久秀~「戦国の梟雄」と呼ばれた男の意外な教養と革新性

10月10日 This Day in History

松永弾正久秀~「戦国の梟雄」と呼ばれた男の意外な教養と革新性

10月10日 This Day in History

  松永弾正久秀が爆死 今日は何の日 天正5年10月10日 天正5年10月10日(1577年11月19日)、松永弾正久秀が没しました。戦国を代表する梟雄の一人で、織田信長に二度も背き、最期は爆死を遂げたといわ...

第六天魔王・織田信長が比叡山焼き討ちにこめた「決意」

9月12日 This Day in History

第六天魔王・織田信長が比叡山焼き討ちにこめた「決意」

9月12日 This Day in History

今日は何の日 元亀2年9月12日 織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ち 元亀2年9月12日(1571年9月30日)、織田信長が比叡山を焼き討ちしました。鎮護国家の寺として、平安時代には白河法皇をも意のままにならぬと嘆か...

斎藤龍興~信長に徹底抗戦した男は、ほんとうに暗愚だったのか

8月14日 This Day in History

斎藤龍興~信長に徹底抗戦した男は、ほんとうに暗愚だったのか

8月14日 This Day in History

今日は何の日 天正元年8月14日 斎藤龍興が没 天正元年8月14日(1573年9月10日)、斎藤龍興が没しました。斎藤義龍の子で、美濃を織田信長に奪われたことで知られます。 龍興は天文17年(1548)、美濃の戦...

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