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信長・秀吉・家康が恐れた紀伊国...一大勢力「雑賀衆」の消滅とその後

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

小和田哲男
火縄銃

日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスが「百姓たちの共和国」と表した紀伊。戦国時代には、信長、秀吉、家康の三傑に抗い、江戸時代には、御三家のひとつとなり、二人の将軍まで輩出した。その数奇な歴史をもたらしたものとは何か。また、徳川幕府の成立以降、紀州藩はなぜ御三家のひとつとなったのか。

※本稿は『歴史街道』2022年11月号より、抜粋・編集したものです。

 

百姓たちの共和国

太平洋に面し、熊野など豊かな自然に囲まれた紀伊国。戦国時代、紀伊では一世紀にわたり、雑賀衆、根来衆などの国人・地侍や、宗教勢力が各地域を統治していた。

これを「紀伊惣国一揆」といい、統治共同体(一揆)による支配が一国規模(惣国)で展開された。イエズス会の宣教師ルイス・フロイスは、「百姓たちの共和国」と表現している。

中世後期の農民支配には、2つの形態がある。ひとつは、武士が百姓を縦社会の序列の下に置いて搾取する体制。もうひとつは、国人層(有力名主)が連合して一向宗と結びつき、半ば独立・自治を確立した体制だ。たとえば加賀一向一揆では、本願寺勢力が守護大名を滅ぼし、一国支配を確立した。

紀伊国の場合も、後者に当てはまる。紀伊には、雑賀衆、根来衆、高野山、粉河寺など、5つの「共和国」があったと、フロイスの『日本史』に記されている。名主を中心にした百姓たちの自治組織「惣」と宗教とが結びつき、縦の支配ではなく横の連携による自治集団が形成されていたのだ。

永禄11年(1568)、足利義昭を奉じて上洛した織田信長は、一向一揆の総本山・大坂の本願寺に対し、大坂の地を引き渡すよう要求した。信長の目指す中央集権的な全国支配にとって、民衆に入り込んだ宗教勢力はもっとも邪魔な存在であったからだ。しかし、当時の法主・顕如はこれを拒否、元亀元年(1570)にいわゆる石山合戦が始まる。

この石山合戦で活躍したのが、雑賀衆である。天正4年(1576)5月には、大坂本願寺を取り囲んだ織田軍を、天王寺砦の攻防などで撃退。7月の木津川口の海戦では、毛利・村上水軍に協力して、織田方の九鬼水軍を壊滅させ、本願寺に兵糧を搬入した。

このときの中心となった人物が、雑賀衆の棟梁・雑賀孫一(鈴木孫一、孫市とも)である。孫一は、雑賀鉄炮衆を率いて、本願寺側に立って信長と戦った。

彼らを脅威に感じた信長は天正5年(1577)2月、6万の大軍で雑賀に侵攻したが、雑賀衆のゲリラ戦に手を焼き、戦況が膠着したまま和議を結ぶ。8月には再び7万の軍勢で攻めるが、またしても徹底的に追いやられ苦杯を喫した。

 

信長を苦戦させた雑賀衆

紀伊が信長の侵攻を防ぐ一方、大坂本願寺は10年にわたる激戦の末、天正8年(1580)3月に降伏を決断した。大坂を退去した顕如は、雑賀の鷺森御坊に迎えられている。しかし一向一揆が鎮圧され、信長の天下統一事業が進んでも、紀伊は独立を保ち続けた。

そもそも、なぜ雑賀衆が本願寺に肩入れしたのか。それは、9世紀に弘法大師空海が高野山金剛峯寺を建立したことが大きく影響している。武士の時代より前から、真言宗総本山のお膝元では、戦国大名が台頭することはなかったのだ。

現代の感覚ではわかりにくいが、室町期までの有力寺院は直接的に領地を持ち、僧兵を養って武力を保持していた。後に豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)に攻められた紀伊の新義真言宗・根来寺は、室町末期には総石高72万石の寺領を持ち、3万もの僧兵を養っていたという。

たとえば天正5年の信長の最初の雑賀攻めは、紀伊の武将・畠山貞政が雑賀の一向宗門徒や根来寺の僧兵と謀って挙兵したのが、討伐理由とされる。

宗教の存在そのものより、こうして在地勢力と結びついて反乱の芽になることが、信長が一向一揆を徹底的に潰そうとした動機であったと考えられる。

中世の農村は、宗教的なつながりである「講」でまとまっていた。戦国期の一向宗では「講」がとくに盛んで、雑賀衆が本願寺のために戦ったのも当然といえる。

雑賀衆の強みといえば、やはり鉄炮の製造技術の高さであろう。この時代の鉄炮製造というと、大坂の堺や近江の国友村が挙げられるが、紀伊でも盛んであった。

なぜ、紀伊に鉄炮の製造技術が伝わったのか。それは、国際交易都市だった堺と近かったことや、雑賀衆が精強な水軍を持ち、海外と交易できたことなどが指摘される。

さらに、雑賀衆は製造技術のみを磨いていた堺や国友村とは違い、射手も育成し、戦闘集団として確立していた。常時5千から8千挺もの鉄炮を保有し、独立・自治を貫くための自衛手段として、また他国の合戦に雇われて戦うための武器として活用していたのだ。

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