歴史街道 » 本誌関連記事

本誌関連記事

2023年04月20日

「石田三成襲撃事件」で襲撃は起きていない? 画策した7人の武将、そして家康はどうした?

渡邊大門(歴史学者)

「石田三成襲撃事件」で襲撃は起きていない? 画策した7人の武将、そして家康はどうした?

「石田三成襲撃事件」で襲撃は起きていない? 画策した7人の武将、そして家康はどうした?

渡邊大門(歴史学者)

加藤清正、福島正則らを含む7人の武将が、石田三成への恨みから襲撃事件を決行した。しかし近年の研究によって、襲撃自体は無かったことが指摘されている。「石田三成襲撃事件」が起きた背景、そして真相について、歴史学...

2023年04月18日

実は全国統一を考えていなかった? 最新研究が覆す「織田信長の実像」

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

実は全国統一を考えていなかった? 最新研究が覆す「織田信長の実像」

実は全国統一を考えていなかった? 最新研究が覆す「織田信長の実像」

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

日本史で最も有名な武将・織田信長。信長のイメージは人々に広く定着している。しかし近年では、研究の進歩と共に「新たな信長像」が提唱され始めているのだ。真の信長はどのような人物だったのか。小和田哲男氏が解説す...

2023年04月17日

上杉景勝が家康に送った「直江状」は偽文書か? “否定派vs.肯定派”専門家の見解

渡邊大門(歴史学者)

上杉景勝が家康に送った「直江状」は偽文書か? “否定派vs.肯定派”専門家の見解

上杉景勝が家康に送った「直江状」は偽文書か? “否定派vs.肯定派”専門家の見解

渡邊大門(歴史学者)

上杉景勝(左)と直江兼続(右)像 徳川家康が会津征伐に乗り出すきっかけになったとされている「直江状」。これは上杉景勝の家老・直江兼続が家康側に宛てた書簡であるが、研究者の間ではいまも「直江状」は偽文書な...

2023年04月14日

北条氏康が志した「関東独立国家」...領民の支持を獲得できた民主政治とは?

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

北条氏康が志した「関東独立国家」...領民の支持を獲得できた民主政治とは?

北条氏康が志した「関東独立国家」...領民の支持を獲得できた民主政治とは?

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

小田原城 相模の戦国大名・北条氏康は「関東独立国家」の樹立を目指して、領国を統治するための組織づくり、そして撫民政策に注力した。北条氏の政権運営は民主的と捉えられるものだったという。小和田哲男氏が、氏康...

2023年04月12日

なぜ丹後で勾玉が多く出土するのか?...遺跡が現代に伝えてくれること

長野正孝(元国土交通省港湾技術研究所部長、工学博士)

なぜ丹後で勾玉が多く出土するのか?...遺跡が現代に伝えてくれること

なぜ丹後で勾玉が多く出土するのか?...遺跡が現代に伝えてくれること

長野正孝(元国土交通省港湾技術研究所部長、工学博士)

古代の日本人は縄文時代から、各集落を舟で結んで、玉やヒスイの取引を行なっていた。そして弥生時代になると凄い技術力のある集落が連合体を形成するようになる。彼らはどのような技術を持ち、どのような交易を行なった...

2023年04月03日

植物学者・牧野富太郎が、家族を犠牲にしてまで貫いた「草木への熱烈な恋心」

鷹橋忍(作家)

植物学者・牧野富太郎が、家族を犠牲にしてまで貫いた「草木への熱烈な恋心」

植物学者・牧野富太郎が、家族を犠牲にしてまで貫いた「草木への熱烈な恋心」

鷹橋忍(作家)

牧野富太郎(国立国会図書館蔵) 牧野富太郎は、NHK連続テレビ小説『らんまん』の主人公のモデルとなった人物だ。小学校を中退し、極貧生活の中でも植物への情熱を持ち続け、「日本植物学の父」と言われるほどの学者と...

2023年03月06日

織田信長の妻・帰蝶は“本能寺の変の後も生きていた”と思える理由

諸田玲子(作家)

織田信長の妻・帰蝶は“本能寺の変の後も生きていた”と思える理由

織田信長の妻・帰蝶は“本能寺の変の後も生きていた”と思える理由

諸田玲子(作家)

斎藤道三の娘・帰蝶(濃姫)は、15歳で織田家に嫁ぐ。絵に描いたような政略結婚だったが、夫は〈大うつけ〉とも噂される織田家の嫡男・信長だった。 いつ実家と婚家が敵対するかわからない緊迫した状況のなか、帰蝶...

2023年01月31日

長宗我部信親は、なぜ戸次川で討たれたのか?華々しい最期に隠された“秀吉への訴え”

赤神諒(小説家)

長宗我部信親は、なぜ戸次川で討たれたのか?華々しい最期に隠された“秀吉への訴え”

長宗我部信親は、なぜ戸次川で討たれたのか?華々しい最期に隠された“秀吉への訴え”

赤神諒(小説家)

戸次川古戦場(大分県大分市) 武勇に優れるだけでなく、親孝行で、家臣領民から慕われた──。かくも完全無欠のように語られる長宗我部信親は、戦国の世をいかに生き、なぜ、若くして戦場で散らねばならなかったのか&he...

2022年12月21日

「風神雷神図屛風」が日本に現存する奇跡 海外流出を免れたのは偶然?

原田マハ(作家)

「風神雷神図屛風」が日本に現存する奇跡 海外流出を免れたのは偶然?

「風神雷神図屛風」が日本に現存する奇跡 海外流出を免れたのは偶然?

原田マハ(作家)

俵屋宗達の「風神雷神図?風」が所蔵されていた建仁寺 日本人の多くが目にしたことがある「風神雷神図?風」。この作品を描いた絵師が、俵屋宗達である。しかし、安土桃山から江戸時代にかけて活躍した彼の生涯は、その...

2022年12月08日

島津義久は「朝鮮出兵の失敗」を見抜き秀吉に謀反? 最新研究にみる島津氏の実像

新名一仁(戦国史研究者)

島津義久は「朝鮮出兵の失敗」を見抜き秀吉に謀反? 最新研究にみる島津氏の実像

島津義久は「朝鮮出兵の失敗」を見抜き秀吉に謀反? 最新研究にみる島津氏の実像

新名一仁(戦国史研究者)

島津氏に関する研究は、日々進展している。「島津義久は朝鮮出兵の際、明との提携を図っていたのか」「義弘は、島津家第17代当主になっていたのか」など、注目すべきトピックスを紹介していこう。 新名一仁 戦国...

2022年12月07日

前田家はなぜ幕末まで続いた? “利家の娘・麻阿、豪、千世の政略結婚”とその後

諸田玲子(作家)

前田家はなぜ幕末まで続いた? “利家の娘・麻阿、豪、千世の政略結婚”とその後

前田家はなぜ幕末まで続いた? “利家の娘・麻阿、豪、千世の政略結婚”とその後

諸田玲子(作家)

戦国時代には、いつ滅びてもおかしくなかった前田家。前田利家の娘に生まれた麻阿、豪、千世も、家のために嫁ぎ、生きることを求められました。 婚家で務めを果たし、実家に戻り、第二の人生を歩んだ姉妹。この10月...

2022年11月23日

“戦国大名6割の墓”がある聖地も? 信長に秀吉、真田親子ゆかりの地・和歌山の名所

歴史街道編集部

“戦国大名6割の墓”がある聖地も? 信長に秀吉、真田親子ゆかりの地・和歌山の名所

“戦国大名6割の墓”がある聖地も? 信長に秀吉、真田親子ゆかりの地・和歌山の名所

歴史街道編集部

和歌山城(写真:松村シナ、以下同) 信長、秀吉、家康の三傑だけでなく、真田信繁など、和歌山には戦国武将ゆかりの地が数多く残っている。戦国時代から江戸時代初期にかけて、彼らは和歌山とどのような関わりを持っ...

2022年11月17日

なぜ高野山は焼き討ちを逃れた? 秀吉を絶句させた“僧侶が説いた天下人の在りよう”

片山洋一(作家)

なぜ高野山は焼き討ちを逃れた? 秀吉を絶句させた“僧侶が説いた天下人の在りよう”

なぜ高野山は焼き討ちを逃れた? 秀吉を絶句させた“僧侶が説いた天下人の在りよう”

片山洋一(作家)

高野山金剛峰寺(和歌山県伊都郡) 天正13年(1585)、高野山は窮地に立たされていた。羽柴秀吉が10万の大軍で紀州攻めを始め、高野山に圧力をかけてきたのである。 だがその時、ひとりの僧侶・木食応其が秀吉の...

2022年11月14日

信長6万の軍勢をも退けた雑賀孫一と鉄砲衆...秀吉・家康も恐れた「雑賀衆」の強さとは?

江宮隆之(作家)

信長6万の軍勢をも退けた雑賀孫一と鉄砲衆...秀吉・家康も恐れた「雑賀衆」の強さとは?

信長6万の軍勢をも退けた雑賀孫一と鉄砲衆...秀吉・家康も恐れた「雑賀衆」の強さとは?

江宮隆之(作家)

『太平記英勇傳』に描かれる鈴木孫市(部分)。別名、雑賀孫ー(東京都立中央図書館蔵) 時には一斉射撃で織田軍をなぎ倒し、時には狙撃で信長を負傷させる...。10年に及ぶ石山合戦で信長の前に立ちはだかったのは、雑賀...

2022年11月11日

信長・秀吉・家康が恐れた紀伊国...一大勢力「雑賀衆」の消滅とその後

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

信長・秀吉・家康が恐れた紀伊国...一大勢力「雑賀衆」の消滅とその後

信長・秀吉・家康が恐れた紀伊国...一大勢力「雑賀衆」の消滅とその後

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

火縄銃 日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスが「百姓たちの共和国」と表した紀伊。戦国時代には、信長、秀吉、家康の三傑に抗い、江戸時代には、御三家のひとつとなり、二人の将軍まで輩出した。その数奇な歴史をもた...

2022年11月07日

50歳にして「北海道開拓」に挑んだ平野弥十郎...江戸育ちの父子が人生を捧げた偉業

梶よう子(作家)

50歳にして「北海道開拓」に挑んだ平野弥十郎...江戸育ちの父子が人生を捧げた偉業

50歳にして「北海道開拓」に挑んだ平野弥十郎...江戸育ちの父子が人生を捧げた偉業

梶よう子(作家)

伊藤一隆(左)、平野弥十郎(右)<写真提供:北海道大学大学文書館> 新橋〜横浜間の日本初となる鉄道敷設工事に、土木請負人として携わった平野弥十郎は、鉄道開業の日を目前にして北海道に渡り、道路建設に邁進する。 ...

2022年10月31日

日本初の鉄道は海の上? 高輪で発見された「築堤」にみる文明開化の面影

梶よう子(作家)

日本初の鉄道は海の上?  高輪で発見された「築堤」にみる文明開化の面影

日本初の鉄道は海の上? 高輪で発見された「築堤」にみる文明開化の面影

梶よう子(作家)

東京汐留鉄道舘蒸気車待合之図(国立国会図書館蔵) 明治5年(1872)、日本で最初の鉄道が新橋と横浜の間に敷かれた。その遺構である「築堤」部分が、2020年に発見されたが、その海上に堤を造る工事に携わったのが、著者...

2022年10月17日

武田氏と内通していた? 徳川家康が嫡男・信康に切腹を命じた真相

河合敦(歴史研究家)

武田氏と内通していた? 徳川家康が嫡男・信康に切腹を命じた真相

武田氏と内通していた? 徳川家康が嫡男・信康に切腹を命じた真相

河合敦(歴史研究家)

徳川家康は、織田信長に命じられ、妻・築山殿と息子・信康を処刑している。一体なぜ、信長はこのような命令を出したのか。歴史研究家の河合敦氏が、徳川家の一大事件について解説する。 ※本稿は、河合敦著『徳川家...

2022年10月14日

「桶狭間の戦い」が徳川家康の運命を分けた? 今川義元の討死のその後

河合敦(歴史研究家)

「桶狭間の戦い」が徳川家康の運命を分けた? 今川義元の討死のその後

「桶狭間の戦い」が徳川家康の運命を分けた? 今川義元の討死のその後

河合敦(歴史研究家)

桶狭間古戦場伝説地(愛知県豊明市) 徳川家康は、幼年より今川氏の人質として過ごしていた。そんな家康が、桶狭間合戦において今川義元が討ち死にした後、いかにして織田軍の攻勢から逃れ、大名として独立するに至っ...

2022年09月27日

二日酔い出陣で反省...武士・北条泰時の禁酒の誓いのその後

羽生飛鳥(作家)

二日酔い出陣で反省...武士・北条泰時の禁酒の誓いのその後

二日酔い出陣で反省...武士・北条泰時の禁酒の誓いのその後

羽生飛鳥(作家)

北条泰時墓所(鎌倉市大船 常楽寺) 鎌倉幕府の公式歴史記録書である『吾妻鏡』。物語性が薄いはずの歴史書であるが、よく読んでみると、鎌倉幕府に関わった人物たちの個性豊かなエピソードが数多く記載されている。本...

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