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本誌関連記事

2018年10月19日

真田信之の末裔に今も伝わる「真田家の家訓」と「伝統のクルミ」

真田幸光(愛知淑徳大教授/真田信之末裔)

真田信之の末裔に今も伝わる「真田家の家訓」と「伝統のクルミ」

真田信之の末裔に今も伝わる「真田家の家訓」と「伝統のクルミ」

真田幸光(愛知淑徳大教授/真田信之末裔)

<<国際金融論の専門家である真田幸光氏。愛知淑徳大学の教授を務めつつ、官民問わず多くの顧問やアドバイザー業務、メディア出演、論文・雑誌の寄稿を多数行う。世界各国に独自の情報網を築き、各国の政治経済動向に精...

2018年10月18日

中間管理職こそ西郷に学べ!~作家・童門冬二が西郷隆盛を書いた理由

童門冬二(作家)

中間管理職こそ西郷に学べ!~作家・童門冬二が西郷隆盛を書いた理由

中間管理職こそ西郷に学べ!~作家・童門冬二が西郷隆盛を書いた理由

童門冬二(作家)

西郷の手法はリストラそのもの 現代は国の内外を問わず、さまざまな問題が山積している。国際化とか情報化という言葉をひんぱんに耳にするが、裏を返せばいまは日本の片隅に生きていても、一個人の考え方や一企業の...

2018年10月17日

安国寺恵瓊~毛利は動かず…それでも外交僧が胸に抱き続けたもの

岩井三四二(作家)

安国寺恵瓊~毛利は動かず…それでも外交僧が胸に抱き続けたもの

安国寺恵瓊~毛利は動かず…それでも外交僧が胸に抱き続けたもの

岩井三四二(作家)

西軍の総大将に毛利輝元が収まった裏には、外交僧・安国寺恵瓊の働きがあった。しかし関ケ原合戦において、毛利軍は動かず、西軍は敗れた。そのとき、恵瓊は何を思ったのか。 岩井三四二(作家) 昭和33年(1958...

2018年10月11日

アレクサンドロス大王はなぜ、世界を征服しようと考えたのか

佐藤賢一(作家)

アレクサンドロス大王はなぜ、世界を征服しようと考えたのか

アレクサンドロス大王はなぜ、世界を征服しようと考えたのか

佐藤賢一(作家)

  マケドニアがギリシアを征服できた理由 バルカン半島の付け根の東側、テルマイコス湾の奥、ピエリア山脈の裾に版図を構えたマケドニアは、ギリシアのポリスからみれば遥か北の外れです。 建国が前...

2018年10月09日

宇佐美定満~主君・上杉謙信のために湖中に沈んだ伝説のナンバー2

童門冬ニ(作家)

宇佐美定満~主君・上杉謙信のために湖中に沈んだ伝説のナンバー2

宇佐美定満~主君・上杉謙信のために湖中に沈んだ伝説のナンバー2

童門冬ニ(作家)

  乱れきっていた戦国時代の越後 上杉謙信は、のちに、いまでいえば新潟県、富山県、石川県、それに長野県の一部まで領地とするような戦国大名になるが、若いころはいろいろと苦労した。それは、これらの国...

2018年10月04日

片倉景綱~ 「攻め」のトップ政宗を補佐し、危機を救った「守り」のナンバー2

童門冬ニ(作家)

片倉景綱~ 「攻め」のトップ政宗を補佐し、危機を救った「守り」のナンバー2

片倉景綱~ 「攻め」のトップ政宗を補佐し、危機を救った「守り」のナンバー2

童門冬ニ(作家)

白石城三階櫓(宮城県白石市) 白石城は別名、益岡城、桝岡城。仙台藩の南の要衝に位置し、関ヶ原の戦いの後、明治維新までの260余年、伊達家の重臣片倉氏の居城であった。   ご学友型ナンバー2 ...

2018年10月01日

天丼 銀座 天國~池波正太郎の江戸を食べ歩く

山口恵以子(作家)

天丼 銀座 天國~池波正太郎の江戸を食べ歩く

天丼 銀座 天國~池波正太郎の江戸を食べ歩く

山口恵以子(作家)

銀座 天國の天丼 今なお、多くの人に親しまれ続けている池波作品。『鬼平犯科帳』や『剣客商売』は、小説で広く読まれるだけでなく、CS放送ホームドラマチャンネルで放送されて人気を博してもいる。ここでは、その池波さん...

2018年10月01日

太原雪斎~ 坊主頭にはちまきをし、戦の指揮をとった、今川義元のナンバー2

童門冬ニ(作家)

太原雪斎~ 坊主頭にはちまきをし、戦の指揮をとった、今川義元のナンバー2

太原雪斎~ 坊主頭にはちまきをし、戦の指揮をとった、今川義元のナンバー2

童門冬ニ(作家)

臨済寺(静岡市) 駿河の戦国大名・今川家の菩提寺で太原雪斎が中興。今川館(現在の駿府城)北西の賤機山麓に位置する。徳川家康も竹千代時代にここで学んだ。   今川義元の後見人となる 太原雪斎...

2018年09月28日

間宮林蔵 樺太が島だと発見した有能役人は、50歳を越えてから隠密に転身?

日本史・あの人の意外な「第二の人生」より

間宮林蔵 樺太が島だと発見した有能役人は、50歳を越えてから隠密に転身?

間宮林蔵 樺太が島だと発見した有能役人は、50歳を越えてから隠密に転身?

日本史・あの人の意外な「第二の人生」より

間宮林蔵と日本最北端の石碑   「樺太(サハリン)は大陸とつながっていない! 独立した島だったんだ!」 1809(文化6)年、樺太へ調査に訪れた間宮林蔵(1775〜1844)は、樺太とシベリアの間に海...

2018年09月27日

忠誠心に個人的な感情を交えるな~勝海舟の人生訓

童門冬ニ(作家)

忠誠心に個人的な感情を交えるな~勝海舟の人生訓

忠誠心に個人的な感情を交えるな~勝海舟の人生訓

童門冬ニ(作家)

※本記事は、童門冬二著『勝海舟の人生訓』より一部を抜粋編集したものです。 勝海舟という男は、西洋の学問を学んだから、かなり合理的な人物である。日本人的なウエットさはあまりない。その考え方や、感じ方や、...

2018年09月26日

直江兼続 みずからの収入を減らしてまで、藩の財政逼迫を立て直した贖罪

日本史・あの人の意外な「第二の人生」より

直江兼続 みずからの収入を減らしてまで、藩の財政逼迫を立て直した贖罪

直江兼続 みずからの収入を減らしてまで、藩の財政逼迫を立て直した贖罪

日本史・あの人の意外な「第二の人生」より

上杉景勝(左)と直江兼続(右)像   直江兼続 直江状、関ケ原のその後 背が高く容姿端麗。忠信厚く聡明で学問にも通じており、ひとたび戦場に身を置けば、愛染明王の化身となって軍略の才を発揮す...

2018年08月31日

龍造寺隆信~討ち死に後、その首はなぜ受け取りを拒否されたのか

楠戸義昭(歴史作家)

龍造寺隆信~討ち死に後、その首はなぜ受け取りを拒否されたのか

龍造寺隆信~討ち死に後、その首はなぜ受け取りを拒否されたのか

楠戸義昭(歴史作家)

  龍造寺隆信は沖田畷でいかに討たれたか 肥前の龍造寺隆信は「五州二島の太守」と称され、九州を大友氏、島津氏と三分する勢力にのし上がった。 だが慢心して独善的になり、周囲の意見を聞かず、島...

2018年08月24日

徳川慶喜 写真投稿するも採用されず?ヘタの横好きだった「最後の将軍」

日本史・あの人の意外な「第二の人生」より

徳川慶喜 写真投稿するも採用されず?ヘタの横好きだった「最後の将軍」

徳川慶喜 写真投稿するも採用されず?ヘタの横好きだった「最後の将軍」

日本史・あの人の意外な「第二の人生」より

徳川慶喜   徳川慶喜、明治維新後の隠居生活 江戸幕府最後にして、日本史上でも最後の「征夷大将軍」となった、第15代将軍・徳川慶喜(1837〜1913)。1866(慶応2)年に30歳で将軍に就任したものの、...

2018年08月13日

統帥権⼲犯問題と憲法改正反対―「⼤⽇本帝国」の失敗

瀧澤中(作家/政治史研究家)

統帥権⼲犯問題と憲法改正反対―「⼤⽇本帝国」の失敗

統帥権⼲犯問題と憲法改正反対―「⼤⽇本帝国」の失敗

瀧澤中(作家/政治史研究家)

本記事は、瀧澤中著『「??本帝国」失敗の研究【1868-1945】』(PHP?庫)より?部を抜粋編集したものです。   ロンドン軍縮條約は、?字通り軍縮のための條約である。 軍縮には?所・短所、2つの側?があ...

2018年08月13日

蘇我馬子~聖徳太子に手柄を奪われた!? じつはよき為政者だった古代豪族

日本史・あの人の意外な「第二の人生」より

蘇我馬子~聖徳太子に手柄を奪われた!? じつはよき為政者だった古代豪族

蘇我馬子~聖徳太子に手柄を奪われた!? じつはよき為政者だった古代豪族

日本史・あの人の意外な「第二の人生」より

蘇我馬子の墓と推測されている石舞台古墳(奈良県明日香村)   なぜ、蘇我馬子が悪人として語られることになったのか 蘇我馬子(?〜626)といえば、聖徳太子とともに語られる古代日本史のビッグネー...