2019年02月25日 公開
2022年12月21日 更新
最近はめっきり聞かなくなりましたが、ひと昔前であれば、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」「時に及んでまさに勉励すべし、歳月人を待たず」といった言葉をひいて、「お前らもっと努力しないといかんぞ」とハッパをかけてくる年配者が学校や会社に結構いたりしました。ところが何とも皮肉なことに、これらの名句は二つとも、単純に学問を勧めた言葉ではない、という説があるのです。
まず前者について。一般には中国、南宋の大学者である朱熹(朱子学の創始者)の言葉だと伝えられていますが、ところがその朱熹の文集を探してもこの言葉は見当たりません。
そこで出典を探すと、どうも作ったのは日本の中世のお坊さんであり、内容としては、
「男色の相手のお稚児さんはすぐ老いるし、ぼやぼやしていると学問も進まないぞ」
という意味だ、とする説があるのです。この場合、学問を勧めてはいますが、その対比で「お稚児さんも年をとるから」というのは、いやはや何とも、という感じですね……。
さらに後者になりますと、驚くことに、実は学問すら勧めていないのです。
出典は、南北朝のころに活躍した詩人・陶淵明の『雑詩』ですが、「其一」の結尾はこうです。
喜ばしいことがあれば、楽しまない手はない 酒を用意して、隣人をあつめよう。
(歓を得てはまさに楽しみを作すべし 斗酒比隣を聚めん)
若い時は一度きり 一日に朝は2度来ないのだ。
(盛年 重ねて来らず 一日 再び晨(あした)なり難し)
時をのがさず、楽しみにふけろう 歳月は、人を待ってはくれないのだ。
(時に及んでまさに勉励すべし 歳月 人を待たず)『雑詩』其一
読んでおわかりの通り、「人に与えられた時間は少ないのだから、酒を飲んで楽しんでしまえ」と詠った詩句に他なりませんでした。歓楽を勧めていたはずの詩句が、後世では、努力不足に対する説教の題材──この変わりようには、陶淵明も草葉の陰で苦笑いを浮かべているかもしれません。
しかし話はここで終わりません。この解釈にはもう一つ裏があります。
陶淵明は、東晋王朝が劉宋王朝に乗っ取られる激動の時代に生きて、乱れた世相を避け、田舎に暮らしていました。「田園まさに蕪(あれ)なんとす 帰りなんいざ」という有名な名句も、彼の田園詩人としての一面を如実に物語っています。
では、彼は仙人のように、社会情勢や天下国家に無関心で淡々と生きていたか、というと、まったくそうではありませんでした。
もともと陶淵明は、東晋王朝を支えた名家の出身。陶淵明自身も、一時出仕していました。しかしたいした役職にはつけず、忸怩たる思いを抱いていました。しかも、東晋王朝を滅ぼし、新たな王朝を開いた劉裕は、なんと彼の官僚時代の同僚だったのです。
陶淵明は、天下国家への思いを心のうちに抑え込みながら、自然を賛美し、歓楽を称揚し続けました。
歳月は、人を待ってくれない。だが自分には何が出来たのだろう……そんな陶淵明の悲痛な思いが、実はこの詩句の底流には流れているのです。そして、そんな折り重なった人生への思いが尽きない味わいとなり、彼の詩は歳月を超越し続けてもいるのです。
※本稿は、守屋淳著『本当の知性を身につけるための中国古典』(PHP研究所)より、一部を抜粋編集したものです。
更新:11月21日 00:05