海軍乙事件の全容 漂流する中将らが投棄した“機密文書”が、その後の戦局を左右した
海軍乙事件の全容 漂流する中将らが投棄した“機密文書”が、その後の戦局を左右した
マリアナ沖海戦の3カ月前、日本海軍はその後の作戦に大きな影響を及ぼすミスを犯していた。昭和19年(1944)3月、機密文書を紛失したのである。世にいう「海軍乙事件」だが、日本海軍はその対処においても、過誤を重ねてしま...
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マリアナ沖海戦の3カ月前、日本海軍はその後の作戦に大きな影響を及ぼすミスを犯していた。昭和19年(1944)3月、機密文書を紛失したのである。世にいう「海軍乙事件」だが、日本海軍はその対処においても、過誤を重ねてしま...
現在の真珠湾 空母搭載の航空機の役割は偵察と着弾観測が常識とされる時代、日本海軍は世界初の空母機動部隊を築き上げた。世界が驚愕した、その奇抜ともいえる戦術の発想は、どこから生まれてきたのか? ※本稿...
太平洋戦争の最後の決戦といっても過言ではない「マリアナ沖海戦」。日本海軍はなぜ敗れたのか。そしてこの戦いは、その後の日米戦争にどんな影響を与えたのか─。 ※本稿は、歴史街道編集部編『日本陸海軍、失敗の研...
(写真提供:HPS) 「もしも山口多聞が機動部隊を指揮していたなら……」強大な米英海軍と戦わざるを得なかった昭和の日本海軍で、最後まで「見敵必戦」の姿勢を貫き、数々の果断を示したのが、海軍少将・...
山本五十六 真珠湾攻撃。その知らせに世界が驚愕したのは、米太平洋艦隊主力を壊滅させた戦果だけではなく、航空攻撃による奇襲という常識を覆す革命的な発想にあった。連合艦隊司令長官山本五十六はなぜ、この博打に...
※本稿は『歴史街道』2012年6月号に掲載されたものです。 北太平洋のハワイ諸島北西・ミッドウェイ島 「兵は拙速を尊ぶ」。孫子以来語り継がれている、戦いの極意の1つである。日米の機動部隊が激突したミッドウ...
世界で初めて空母同士が対決した珊瑚海海戦は、試行錯誤の連続だった。それだけに「洋上の航空戦」の戦訓を得る、絶好の機会でもあった。しかし、日本海軍はこのチャンスを見逃して、ミッドウェー海戦へと突入していく。...
令和元年(2019)の今年は、日清戦争の開戦から125年、日露戦争の開戦から115年にあたる。現在発売中の月刊誌『歴史街道』7月号の特集1では、「日清・日露戦争 名将の決断」と題して、当時のリーダーたちの選択がいかに...
上村彦之丞(国立国会図書館蔵) 日本海海戦の完勝に貢献 日露戦争の最中、「無能」と揶揄された提督がいる。 第二艦隊司令長官の上村彦之丞(かみむらひこのじょう)である。 日露戦争が...
今日は何の日 明治17年(1884)4月4日 連合艦隊司令長官・山本五十六が生まれる 明治17年(1884)4月4日、山本五十六が生まれました。太平洋戦争開戦時の連合艦隊司令長官で、卓抜な実行力で戦争を指導し...
初代連合艦隊司令長官・伊東祐亨が没 今日は何の日 大正3年(1914)1月16日 大正3年(1914)1月16日 、伊東祐亨が没しました。日清戦争の際に連合艦隊を率いて黄海海戦に勝利した、初代連合艦隊...
島村速雄が没 今日は何の日 大正12年(1923)1月8日 大正12年(1923)1月8日、島村速雄が没しました。海軍軍人で日露戦争開戦時の連合艦隊参謀長。その智謀は底知れず、また功績はすべて他者に譲るこ...
第三次ソロモン海戦がはじまる 今日は何の日 昭和17年(1942)11月12日 昭和17年(1942)11月12日から15日にかけて、第三次ソロモン海戦が起こりました。壮絶な夜戦が展開された戦いとして知られます。今回は海...
空母機動部隊の生みの親・小沢治三郎が没 今日は何の日 昭和41年(1966)11月9日 昭和41年(1966)11月9日、小沢治三郎が没しました。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦の指揮官であり、最後の連合艦隊司令長官と...
レイテ沖海戦、シブヤン海の戦い 今日は何の日 昭和19年10月24日、 昭和19年(1944)10月24日、レイテ沖海戦におけるシブヤン海の戦いが行なわれました。栗田健男中将率いる第一遊撃部隊(栗田艦隊)にアメリカ...
島津源蔵(ニ代目)が没 今日は何の日 昭和26年10月3日 昭和26年(1951)10月3日、島津源蔵(2代目)が没しました。国産初の実用蓄電池を生み、「日本のエジソン」と謳われたことで知られます。 ...
今日は何の日 明治25年(1892)8月17日 ミッドウェーの闘将・山口多聞が生まれる 明治25年(1892)8月17日、山口多聞が生まれました。昭和の日本海軍きっての闘将で、ミッドウェー海戦で敵に一矢報い...
今日は何の日 昭和17年8月8日 「全軍突撃セヨ」…第一次ソロモン海戦 昭和17年(1942)8月8日、第一次ソロモン海戦が行なわれました。夜戦における日本軍艦隊の圧勝として知られます。 ミッドウェ...
今日は何の日 昭和19年6月19日 マリアナ沖海戦、日本は壊滅的な敗北を喫する 昭和19年(1944)6月19日から20日にかけて、マリアナ沖海戦が起こりました。日米機動部隊が激突した最後の戦いであり、日本海軍は...
今日は何の日 昭和17年6月5日 ミッドウェー海戦で南雲機動部隊が壊滅的な敗北 昭和17年(1942)年6月5日(現地時間6月4日)、ミッドウェー海戦があり、南雲忠一司令長官率いる4隻の空母から成る機動部隊が敗北を...
今日は何の日 明治38年5月27日 日本海海戦で連合艦隊がバルチック艦隊を撃滅 明治38年(1905)5月27日、日本海海戦が起こりました。日本海軍の連合艦隊と、ロシア海軍のバルチック艦隊との戦いです。 NH...
今日は何の日 昭和17年4月5日 インド洋でセイロン沖海戦が始まる 昭和17年(1942)4月5日、インド洋でセイロン沖海戦が始まりました。「艦爆の神様」と呼ばれた江草隆繁(えぐさたかしげ)率いる艦爆(艦上爆撃機...
イラスト:谷井建三 艦隊同士の決戦はどう行なわれる? ミッドウェー、ソロモン、マリアナ、レイテ…。70年前に終結した太平洋戦争において、日本海軍は多くの艦隊決戦を経験した。しかし、海戦とはそもそ...
実際の、連合艦隊とバルチック艦隊の実力は? これまで多くの類書が、明治日本海軍・連合艦隊(司令長官/東郷平八郎大将)と、ロシア海軍・バルチック艦隊(艦隊司令長官/A・ロジェストウ...
昭和9年(1934)5月30日、東郷平八郎が没しました。日本海海戦を勝利に導いた連合艦隊司令長官として知られます。今回は晩年の東郷についてご紹介してみます。 明治38年(1905)5月27日、日本海海戦においてロシア・バ...
バルチック艦隊を見ていた男 日露戦争は、まさしく国民が一丸となって戦った戦争であった。ある日、戦地に赴く兵が馬車に乗ると、御者から「お国のために運賃は要らない」と告げられた。理由を訊くと、...
下瀬雅允(国立国会図書館蔵) 独自の火薬の凄まじき威力 明治38年(1905)の日本海海戦において、明治連合艦隊がバルチック艦隊相手を撃滅できた背景には、様々な要因があった。そのひとつが、バ...
響き渡り続けた砲声 「最強の艦を先頭に据える」――戦艦三笠を的確に運用し、明治38年(1905)の日本海海戦において、バルチック艦隊相手に完全勝利を収めた明治連合艦隊。 三笠の「運用」...
慶応4年3月20日(1868年4月12日)、秋山真之が生まれました。日露戦争時の連合艦隊参謀で、日本海海戦勝利に尽力したことで知られます。 今回は秋山が晩年の、日本海海戦から12年後の大正6年(1917)に発表した『秋山海...
更新:12月04日 00:05