歴史街道 » #日本の海戦の記事一覧

#日本の海戦の記事一覧

海軍乙事件の全容 漂流する中将らが投棄した“機密文書”が、その後の戦局を左右した

源田孝(元防衛大学校教授)

海軍乙事件の全容 漂流する中将らが投棄した“機密文書”が、その後の戦局を左右した

源田孝(元防衛大学校教授)

マリアナ沖海戦の3カ月前、日本海軍はその後の作戦に大きな影響を及ぼすミスを犯していた。昭和19年(1944)3月、機密文書を紛失したのである。世にいう「海軍乙事件」だが、日本海軍はその対処においても、過誤を重ねてしま...

圧倒的不利だった日本海軍...真珠湾攻撃を成功に導いた「世界初の空母機動部隊」

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

圧倒的不利だった日本海軍...真珠湾攻撃を成功に導いた「世界初の空母機動部隊」

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

現在の真珠湾 空母搭載の航空機の役割は偵察と着弾観測が常識とされる時代、日本海軍は世界初の空母機動部隊を築き上げた。世界が驚愕した、その奇抜ともいえる戦術の発想は、どこから生まれてきたのか? ※本稿...

最後まで負けを認められなかった日本軍...「マリアナ沖海戦」大敗の3つの理由

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

最後まで負けを認められなかった日本軍...「マリアナ沖海戦」大敗の3つの理由

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

太平洋戦争の最後の決戦といっても過言ではない「マリアナ沖海戦」。日本海軍はなぜ敗れたのか。そしてこの戦いは、その後の日米戦争にどんな影響を与えたのか─。 ※本稿は、歴史街道編集部編『日本陸海軍、失敗の研...

「闘将」山口多聞はいかにして生まれたか

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

「闘将」山口多聞はいかにして生まれたか

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

(写真提供:HPS) 「もしも山口多聞が機動部隊を指揮していたなら……」強大な米英海軍と戦わざるを得なかった昭和の日本海軍で、最後まで「見敵必戦」の姿勢を貫き、数々の果断を示したのが、海軍少将・...

山本五十六は、なぜ真珠湾奇襲攻撃を決断したのか

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

山本五十六は、なぜ真珠湾奇襲攻撃を決断したのか

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

山本五十六 真珠湾攻撃。その知らせに世界が驚愕したのは、米太平洋艦隊主力を壊滅させた戦果だけではなく、航空攻撃による奇襲という常識を覆す革命的な発想にあった。連合艦隊司令長官山本五十六はなぜ、この博打に...

山口多聞とミッドウェー海戦~稀代の提督が示した「勝利の要諦」とは

山内昌之(歴史学者/東京大学名誉教授)

山口多聞とミッドウェー海戦~稀代の提督が示した「勝利の要諦」とは

山内昌之(歴史学者/東京大学名誉教授)

※本稿は『歴史街道』2012年6月号に掲載されたものです。 北太平洋のハワイ諸島北西・ミッドウェイ島 「兵は拙速を尊ぶ」。孫子以来語り継がれている、戦いの極意の1つである。日米の機動部隊が激突したミッドウ...

珊瑚海海戦こそ太平洋戦争の岐路だった!~アメリカは学び、日本は学ばず

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

珊瑚海海戦こそ太平洋戦争の岐路だった!~アメリカは学び、日本は学ばず

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

世界で初めて空母同士が対決した珊瑚海海戦は、試行錯誤の連続だった。それだけに「洋上の航空戦」の戦訓を得る、絶好の機会でもあった。しかし、日本海軍はこのチャンスを見逃して、ミッドウェー海戦へと突入していく。...

陸軍兵力・軍艦数で劣る日本が、日清戦争で勝てた理由

原剛(軍事史研究家)

陸軍兵力・軍艦数で劣る日本が、日清戦争で勝てた理由

原剛(軍事史研究家)

令和元年(2019)の今年は、日清戦争の開戦から125年、日露戦争の開戦から115年にあたる。現在発売中の月刊誌『歴史街道』7月号の特集1では、「日清・日露戦争 名将の決断」と題して、当時のリーダーたちの選択がいかに...

壮絶な夜戦!第三次ソロモン海戦~「比叡」乗組員の証言

11月12日 This Day in History

壮絶な夜戦!第三次ソロモン海戦~「比叡」乗組員の証言

11月12日 This Day in History

第三次ソロモン海戦がはじまる 今日は何の日 昭和17年(1942)11月12日 昭和17年(1942)11月12日から15日にかけて、第三次ソロモン海戦が起こりました。壮絶な夜戦が展開された戦いとして知られます。今回は海...

小沢治三郎~近代戦にふさわしい科学的リーダーシップをそなえた名提督

『歴史街道』編集部

小沢治三郎~近代戦にふさわしい科学的リーダーシップをそなえた名提督

『歴史街道』編集部

空母機動部隊の生みの親・小沢治三郎が没 今日は何の日 昭和41年(1966)11月9日 昭和41年(1966)11月9日、小沢治三郎が没しました。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦の指揮官であり、最後の連合艦隊司令長官と...

マリアナ沖海戦~史上最大の機動部隊決戦。日本のアウトレンジ戦法は通用せず

6月19日 This Day in History

マリアナ沖海戦~史上最大の機動部隊決戦。日本のアウトレンジ戦法は通用せず

6月19日 This Day in History

今日は何の日 昭和19年6月19日 マリアナ沖海戦、日本は壊滅的な敗北を喫する 昭和19年(1944)6月19日から20日にかけて、マリアナ沖海戦が起こりました。日米機動部隊が激突した最後の戦いであり、日本海軍は...

勝利を呼び込んだ「東郷ターン」~日本海海戦、ギリギリの決断

5月27日 This Day in History

勝利を呼び込んだ「東郷ターン」~日本海海戦、ギリギリの決断

5月27日 This Day in History

今日は何の日 明治38年5月27日 日本海海戦で連合艦隊がバルチック艦隊を撃滅 明治38年(1905)5月27日、日本海海戦が起こりました。日本海軍の連合艦隊と、ロシア海軍のバルチック艦隊との戦いです。 NH...

大破と中破の違いは? 艦隊決戦12の基礎

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

大破と中破の違いは? 艦隊決戦12の基礎

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

イラスト:谷井建三 艦隊同士の決戦はどう行なわれる? ミッドウェー、ソロモン、マリアナ、レイテ…。70年前に終結した太平洋戦争において、日本海軍は多くの艦隊決戦を経験した。しかし、海戦とはそもそ...

日本海海戦…日露両艦隊の「総合戦闘力」を比較すると

三野正洋(元日本大学非常勤講師)

日本海海戦…日露両艦隊の「総合戦闘力」を比較すると

三野正洋(元日本大学非常勤講師)

    実際の、連合艦隊とバルチック艦隊の実力は?  これまで多くの類書が、明治日本海軍・連合艦隊(司令長官/東郷平八郎大将)と、ロシア海軍・バルチック艦隊(艦隊司令長官/A・ロジェストウ...

祖国のため、敵・バルチック艦隊の動向を報せた世界各地の日本人たち

平間洋一(元防衛大学校教授)

祖国のため、敵・バルチック艦隊の動向を報せた世界各地の日本人たち

平間洋一(元防衛大学校教授)

  バルチック艦隊を見ていた男  日露戦争は、まさしく国民が一丸となって戦った戦争であった。ある日、戦地に赴く兵が馬車に乗ると、御者から「お国のために運賃は要らない」と告げられた。理由を訊くと、...

日本海海戦で敵艦隊を震撼させた「下瀬火薬」と「伊集院信管」

『歴史街道』編集部

日本海海戦で敵艦隊を震撼させた「下瀬火薬」と「伊集院信管」

『歴史街道』編集部

下瀬雅允(国立国会図書館蔵)   独自の火薬の凄まじき威力 明治38年(1905)の日本海海戦において、明治連合艦隊がバルチック艦隊相手を撃滅できた背景には、様々な要因があった。そのひとつが、バ...

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