2015年07月24日 公開
2023年02月22日 更新
イラスト:谷井建三
ミッドウェー、ソロモン、マリアナ、レイテ…。70年前に終結した太平洋戦争において、日本海軍は多くの艦隊決戦を経験した。しかし、海戦とはそもそもどのように始まり、いかに勝敗を決するのか…。改めて考えると、意外に見落としがちなポイントも多いのではないか。
まず前提として、敵味方の艦隊双方が決戦を求めていなければ、艦隊決戦は起こりません。戦う意志や意図がなければ、その艦隊は即座に逃避するからです。
このことを踏まえて艦隊決戦の始まりを定義すれば、「2つの国の海軍の主力艦隊が、互いに決戦を求めて遭遇した時に始まる」といったところでしょうか。
決戦に要する時間は、日本海軍は2日がかりで考えていました。まずは1日目の夜に水雷戦隊を突入させて、敵艦隊に一定のダメージを与えます。こうして敵の戦力を削いだ上で、2日目の昼戦で艦隊同士の戦いを挑むというものです。
もちろん実戦はケースバイケースで、日露戦争の日本海海戦などは昼戦の後に夜戦が行なわれましたが、基本的に夜から始まる2日がかりの戦いが、日本海軍が描いた決戦のシナリオでした。
戦闘能力を失えば、その艦隊の敗北であり、決戦もそこで終了します。
「戦闘能力を失う」というのは、主力艦艇の過半が沈む、沈まないにかかわらず、戦闘を続行できないほどの被害を受けたと考えればよいでしょう。「艦隊が壊滅」という表現も、この状態を指します。壊滅というとほぼすべての艦艇が沈んだような印象を抱きますが、そうではありません。
ただし、太平洋戦争での日本海軍は、過半の艦艇が沈むまで艦隊決戦を続けました。
昭和19年(1944)のレイテ沖海戦では、日本海軍は戦艦9隻、航空母艦4隻、重巡洋艦13隻などを投入してアメリカ海軍との決戦に臨みましたが、戦艦は武蔵、山城、扶桑の3隻、空母は瑞鶴、千歳、千代田、瑞鳳の4隻すべて、重巡洋艦は愛宕、摩耶、鳥海、鈴谷、筑摩、最上の6隻が沈みました。戦闘不能状態ならまだしも、これだけの沈没は異例です。
また昭和20年(1945)の大和沖縄特攻においては、8、9割の艦艇が沈みました。どの時点まで戦い続けるのかは、両軍が置かれた状況や意図も複雑に絡み、一概にはいえないというのが実情です。
実は、これらの用語に明確な定義はありませんので、ここでは概念をお話ししましょう。
まず頭に入れておくべきは、それぞれ沈んでいないことが前提であり、「沈没」とは異なります。では大破とはどのくらいの損傷を指すかといえば、戦闘能力を完全に失い、艦としての機能をほぼ失っている状態のことです。気息奄々、なんとか海上に浮いているのが大破です。
中破は、戦闘能力を「ほぼ」失っている状態です。戦おうと思えば戦えるものの、無理をすればかなりの確率で沈没するというレベルです。
中破と大破との線引きは、自力で基地に帰れるかどうか――基地に帰れるのならば中破で、帰れなければ大破という見方も出来ます。
最も損傷の少ない小破は、ダメージを受けているものの、大破や中破とは異なり、まだ戦闘を継続できる状態だと考えればよいでしょう。
更新:11月21日 00:05