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大破と中破の違いは? 艦隊決戦12の基礎

2015年07月24日 公開
2023年02月22日 更新

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

勝敗をわけるポイントは?

 艦艇の数や種類が勝敗のポイントなのは、間違いありません。

 では、彼我の戦力が拮抗していた時の決め手は何かといえば、「索敵」が大きな要素です。一刻も早く敵艦隊を見つけて、味方の艦隊を有利な態勢に導くことが非常に大きな意味を持ちました。

 特に空母機動部隊同士の戦いでは、先制攻撃で敵空母の飛行甲板に穴を開けさえすれば航空機は使用できず、空母はたちまち無力化されます。その意味でも、敵艦隊の布陣や位置をつかむ索敵は極めて重要なのです。

 昭和17年(1942)6月のミッドウェー海戦では、重巡洋艦利根の水上索敵機四号機の発艦が予定よりも遅れたため、アメリカ機動部隊を先に発見することができなかったといわれてきました。

 この件に関しては、近年の研究では時間通りに発艦しても敵機動部隊は発見できなかったとされ、議論の余地があります。とはいえ、連合艦隊が索敵に失敗し、それがミッドウェー海戦の敗戦の要因になったのは間違いありません。

 

「機動部隊」「遊撃隊」って何?

 まず機動部隊とは、本来はある特定の任務を帯びた、機動力(迅速に行動する力)を有する部隊を意味します。日本海軍においては、主として空母機動部隊のことを指します。すなわち空母を基幹とした艦隊のことで、太平洋戦争前、日本が世界に先駆けて、機動部隊としての「第一航空艦隊」を生み出しました。

 なお、太平洋戦争開戦時には、第一航空艦隊の実力は世界一であり、互角に渡り合える機動部隊は他に存在しませんでした。日本海軍にとっては誇るべきことでしょう。

 一方の遊撃隊は、作戦に合わせて特殊な目的を課せられた、一種の任務部隊の呼称です。基本的には、艦隊の主力部隊とは別に編成され、作戦によって任務も異なります。

 レイテ沖海戦において、西村祥司中将が率いた艦隊も遊撃隊でした。彼らは栗田艦隊とは別ルートで、レイテ湾に突入するという任務を帯びていました。

 

主砲の撃ち方の決まりは?

 日本海軍が通常用いた砲撃法が「一斉撃ち方」です。連装砲(二門)の場合に一門ずつ撃つもので、「交互撃ち方」ともいいます。

 なぜ交互に撃つのでしょうか。ひとつは、艦艇の動力の許容を超さないためです。

 また、艦隊決戦では彼我の艦隊は常に移動しており、敵艦の位置を完全に把握することは至難の業です。そのため、絶えず敵艦との距離を測り、好機を逃さぬよう、即座に撃てる準備を整えておかなければなりません。

 例えば、一門が1分間に一発撃てるとすると、二門同時に撃てば次の砲撃まで1分間待たねばならず、その間に好機が来ても撃てません。一斉撃ち方で一門ずつ撃てば、30秒に一発ずつとなり、そのリスクを減らすことができるのです。なお、一度に全砲を撃つのは「斉発」といいますが、以上の理由により、実戦ではあまり行なわれませんでした。

 一方、戦艦大和のように三連装の主砲ははどう撃ったのでしょうか。

 この場合は、各砲塔をA、B、Cとすると、「A・B」「C」と二門と一門を交互に撃つか、「A・B」「B・C」「C・A」と各砲とも2回撃って1回休むサイクルを採っていました。並外れた強度の大和といえども、46cm砲を三門同時に撃つと、その衝撃に艦体が耐えられなかったともいいます。


戦艦大和

主砲の射程距離はどのくらい?

 射程距離は「最大射程」「有効射程」の2つの計算方法がありました。最大射程とは、目標物に命中するか否かを問わず、砲弾を飛ばせる距離のことです。一方の有効射程は、狙い撃って目標に命中させられる距離のことです。

 最大有効射程はおよそ最大射程から4,000mを引いた程度で、戦艦大和でいえば最大射程は約4万2,000mですから、最大有効射程は3万8,000mということになります。

 日本の砲戦開始時期の基本(最大砲戦距離)は、最大射程より約1,000m引いた距離から目標に撃ち始めて、間合いを徐々に詰めていく戦い方です。そして砲撃の際には、確実に敵艦に命中させるために、「とにかく接近して撃て」という教育が施されていました。

 しかし、いざ実戦になると、損害を恐れて最大射程より近づかず、訓練通りに命中させることはできませんでした。というのも、日本はアメリカよりも艦艇数が遥かに少なく、「沈めてはならない」という意識が現場の指揮官に強かったのです。日本とアメリカの物量の差は、戦い方にまで影響を及ぼしていました。

 

「雷撃戦(魚雷戦)」といえば? 

 昭和17年8月8日から翌9日にかけて行なわれた第1次ソロモン海戦が有名です。この戦いは、日本海軍が伝統的に訓練してきた雷撃戦に則るものでした。すなわち夜間に戦場に突入して敵を発見し、即座に魚雷で攻撃を仕掛け、反撃を受ける前にUターンをして脱出するというものです。

 このガダルカナル島(ガ島)をめぐる第1次ソロモン海戦で、日本海軍は圧倒的な勝利を収めました。米英豪海軍で構成された連合国の艦隊は重巡洋艦6隻のうち4隻が沈没、1隻が大破。駆逐艦も8隻のうち大破と小破が1隻ずつという甚大な被害を受けたのです。

 日本海軍がこれほどの戦果をあげることができたのは、訓練の賜物であるとともに、まだ敵にレーダーがなかったためでもありました。やがて連合国側は優れたレーダーを導入し、日本海軍は劣勢に立たされることになります。

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著者紹介

戸高一成(とだか・かずしげ)

呉市海事歴史科学館館長

1948年、宮崎県生まれ。多摩美術大学卒。財団法人史料調査会理事、厚生労働省所管「昭和館」図書情報部長などを歴任し、2005年より現職。海軍史研究家。著書に、『海戦からみた日清戦争』(角川書店)ほか多数。

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