2018年10月10日 公開
2023年03月31日 更新
上村彦之丞(国立国会図書館蔵)
日露戦争の最中、「無能」と揶揄された提督がいる。
第二艦隊司令長官の上村彦之丞(かみむらひこのじょう)である。
日露戦争が始まると、日本海軍は遼東半島の旅順港を拠点とする旅順艦隊を閉じ込めるべく、旅順港閉塞作戦を実施する。
その一方で、ウラジオストクに拠るウラジオ艦隊も、日本海軍にとっては叩いておきたい存在だった。日本の船舶を攻撃するなど、攪乱作戦を取っていたからである。
そのウラジオ艦隊の排撃を命じられたのが、第二艦隊を率いる上村であった。
上村はウラジオ艦隊の捕捉撃滅を図るが、濃霧に視界を遮られ、なかなか目的を達することができなかった。
それを嘲笑うかのように、ウラジオ艦隊は濃霧を利用して、日本海軍を翻弄。対馬海峡で陸軍の輸送船を次々と攻撃する。
これにより、上村を非難する声が日本中に沸き起こる。政治家は「濃霧というが、逆さに読めば無能ではないか」と上村を揶揄し、国民は「露探」、すなわちロシアのスパイ呼ばわりまでした。
上村は嘉永2年(1849)に薩摩藩士の家に生まれ、戊辰戦争を戦った古武士である。そんな彼にとって、この上ない屈辱だったに違いない。
切歯扼腕する上村は、その後も、ウラジオ艦隊を取り逃がすが、明治37年(1904)8月14日、ついに運命の日がやってくる。
旅順艦隊の支援のために出動してきたウラジオ艦隊を蔚山(ウルサン)沖で発見すると、猛烈な砲撃を加え、ウラジオ艦隊を事実上の壊滅に追い込むのである。
汚名返上した上村は、日本海海戦でも活躍を見せる。
明治38年(1905)5月27日、東郷平八郎率いる連合艦隊は、対馬海峡でバルチック艦隊を迎撃することとなる。
この時、敵艦隊撃滅を目指す東郷平八郎は、敵前大回頭によって、バルチック艦隊の頭を押さえようとする。そして、回頭を終えると、満を持して砲撃を開始。
日本海軍の砲撃の精度は高く、30分もすると、敵艦隊は次々と火災を起こし、一方的な展開となる。
バルチック艦隊は、舵が故障した旗艦スワロフに代わり、ボロジノが先頭を進み、北へと変針。これを見た東郷は、北への遁走を意図していると判断し、左方への一斉回頭を命じる。
しかしこの時、上村とその参謀・佐藤鉄太郎は、東郷の命令に反して左回頭をしなかった。
というのも、ボロジノは北ではなく、南へ逃げようとするのではないかと判断したからである。
その判断は的中しており、上村の第二艦隊はボロジノを押さえ、そこに東郷率いる第一艦隊が加わり、連合艦隊は敵艦隊を挟撃する形となる。結果、連合艦隊はバルチック艦隊の撃滅に成功するのである。
緒戦で非難にさらされた提督は、汚名を晴らすだけでなく、日本海海戦の完勝にも貢献したのであった。
更新:11月21日 00:05