歴史街道 » #河合敦の記事一覧

#河合敦の記事一覧

なぜ、徳川家の重臣・石川数正は寝返ったのか? チャンスを迎えた秀吉の企み

河合敦(歴史研究家/多摩大学客員教授)

なぜ、徳川家の重臣・石川数正は寝返ったのか? チャンスを迎えた秀吉の企み

河合敦(歴史研究家/多摩大学客員教授)

小牧・長久手の戦いの後、旧武田領内の動揺をおさめるのに手を焼いていた家康。真田昌幸の裏切りと、それを助ける上杉景勝の登場によって、家康は上田城を諦める羽目に。 そして家康にさらなる試練が訪れる。徳川一...

小牧・長久手の戦いは“徳川家康の勝利”と言い切れない理由

河合敦(歴史研究家/多摩大学客員教授)

小牧・長久手の戦いは“徳川家康の勝利”と言い切れない理由

河合敦(歴史研究家/多摩大学客員教授)

本能寺の変、羽柴秀吉は山崎合戦、清須会議、賤ヶ岳の戦いを経て、天下人として振る舞い始める。そんな秀吉に対して、織田信長の次男・信雄が不満を募らせ、徳川家康を頼るようになる。やがて両陣営は決戦へと至るが、は...

武田氏と内通していた? 徳川家康が嫡男・信康に切腹を命じた真相

河合敦(歴史研究家)

武田氏と内通していた? 徳川家康が嫡男・信康に切腹を命じた真相

河合敦(歴史研究家)

徳川家康は、織田信長に命じられ、妻・築山殿と息子・信康を処刑している。一体なぜ、信長はこのような命令を出したのか。歴史研究家の河合敦氏が、徳川家の一大事件について解説する。 ※本稿は、河合敦著『徳川家...

「桶狭間の戦い」が徳川家康の運命を分けた? 今川義元の討死のその後

河合敦(歴史研究家)

「桶狭間の戦い」が徳川家康の運命を分けた? 今川義元の討死のその後

河合敦(歴史研究家)

桶狭間古戦場伝説地(愛知県豊明市) 徳川家康は、幼年より今川氏の人質として過ごしていた。そんな家康が、桶狭間合戦において今川義元が討ち死にした後、いかにして織田軍の攻勢から逃れ、大名として独立するに至っ...

“八月十八日の政変”はなぜ起きたのか? 「幕末京都」の5年間

河合敦(歴史研究家)

“八月十八日の政変”はなぜ起きたのか? 「幕末京都」の5年間

河合敦(歴史研究家)

大政奉還の舞台となった二条城(二の丸御殿) 大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一は、京都にいる一橋慶喜に仕えた。 その京都は、まさに政局の中心地であった。八月十八日の政変から鳥羽・伏見の戦い...

大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一…農民から大実業家へと導いた“5つの転機”

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一…農民から大実業家へと導いた“5つの転機”

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

いよいよ2月14日から放送が始まる大河ドラマ「青天を衝け」。幕末維新で活躍した人物には武士が多いが、そんな中にあって、農家出身の主人公・渋沢栄一の経歴は異色といえる。 何が、栄一を「日本資本主義の父」へ...

これだけは押さえておきたい「日米中の歩み」

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

これだけは押さえておきたい「日米中の歩み」

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

アメリカ大統領選挙の動向を受け、日本、アメリカ、中国のこれからの関係に関心を持つ方は多いことだろう。実際、近現代史においても、日米中の三国関係は一様ではなく、時に接近し、時に対立するなど、時代とともに変化...

明治・大正・昭和…近代日本は「未曽有の危機」にどう立ち向かってきたのか

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

明治・大正・昭和…近代日本は「未曽有の危機」にどう立ち向かってきたのか

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

天災・戦争・恐慌……今回のコロナ禍以外にも、この国は様々な非常事態に直面してきた。月刊誌『歴史街道』2020年8月号の特集1では「『未曾有の危機』に立ち向かった日本人」と題し、日本人がいかにして困難...

自然災害、疫病、黒船来航…近世の日本は「未曽有の危機」にどう立ち向かってきたのか

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

自然災害、疫病、黒船来航…近世の日本は「未曽有の危機」にどう立ち向かってきたのか

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

天災・戦争・恐慌……今回のコロナ禍以外にも、この国は様々な非常事態に直面してきた。月刊誌『歴史街道』2020年8月号の特集1では「『未曾有の危機』に立ち向かった日本人」と題し、日本人がいかにして困難...

大敗、内乱、蒙古襲来…古代・中世の日本は「未曽有の危機」にどう立ち向かってきたのか

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

大敗、内乱、蒙古襲来…古代・中世の日本は「未曽有の危機」にどう立ち向かってきたのか

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

天災・戦争・恐慌……今回のコロナ禍以外にも、この国は様々な非常事態に直面してきた。月刊誌『歴史街道』2020年8月号の特集1では「『未曾有の危機』に立ち向かった日本人」と題し、日本人がいかにして困難...

日本と朝鮮半島の交流史~今だからこそ知っておきたい!

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

日本と朝鮮半島の交流史~今だからこそ知っておきたい!

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

日韓関係は戦後最悪といわれるが、そもそも有史以来、日本は朝鮮半島といかなる関係を築いてきたのだろうか。現在発売中の月刊誌「歴史街道」11月号では、「日本と朝鮮半島の2000年史」と題して、その実相に迫っている。...

維新後、長州藩の奇兵隊はどうなったのか

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

維新後、長州藩の奇兵隊はどうなったのか

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

脱隊諸士招魂碑(山口県山口市)   明治時代になって長州藩で続出した奇兵隊によるクーデター 文久3年(1863)6月、高杉晋作の呼びかけにより、長州藩で「奇兵隊」が産声をあげた。門閥・身分によらな...

日本史において、天皇はいかなる存在だったか【戦国~昭和編】

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

日本史において、天皇はいかなる存在だったか【戦国~昭和編】

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

天皇という存在を読み解く鍵は、激動の時代にこそあるのでは? 現在発売中の月刊誌『歴史街道』6月号では、『「天皇と日本史」の謎』という特集を組み、天皇が戦乱といかに向き合ったかを探っている。しかし、「天皇と...

日本史において、天皇はいかなる存在だったか【古代~応仁の乱編】

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

日本史において、天皇はいかなる存在だったか【古代~応仁の乱編】

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

天皇という存在を読み解く鍵は、激動の時代にこそあるのでは? 現在発売中の月刊誌『歴史街道』6月号では、『「天皇と日本史」の謎』という特集を組み、天皇が戦乱といかに向き合ったかを探っている。しかし、「天皇と...

南北朝時代が60年で終結したとする教科書は間違い?

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

南北朝時代が60年で終結したとする教科書は間違い?

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

賀名生皇居跡(奈良県五條市)   約束を反故にされ、南朝の抵抗は続く…… 後醍醐天皇が京都を脱して、吉野に南朝をたててからおよそ60年後の明徳3年(1392)、南朝の後亀山天皇は、将軍足...

大津事件と西郷隆盛生存説~西郷の亡霊が不平等条約の撤廃交渉を遅らせた? 

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

大津事件と西郷隆盛生存説~西郷の亡霊が不平等条約の撤廃交渉を遅らせた? 

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

  津田三蔵はなぜ、凶行に及んだのか? 明治24年(1891)5月、シベリア鉄道起工式に参列する途中で、ロシア皇太子ニコラス・アレクサンドロビッチ(のちのニコライ二世)は日本に立ち寄った。 この...

大坂夏の陣、毛利輝元は密かに豊臣に内通していた?

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

大坂夏の陣、毛利輝元は密かに豊臣に内通していた?

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

毛利輝元像(山口県萩市)   毛利輝元は大坂方に内通していた? いまの歴史は、残存している史料や遺物・遺構を調査・研究することで、学者によって明らかにされてきた事実が積み重なってできたもの。逆...

志賀親次~島津の大軍を孤塁で撃退!知られざる豊後の名将

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

志賀親次~島津の大軍を孤塁で撃退!知られざる豊後の名将

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

岡城址(大分県竹田市) 「臥牛城」「豊後竹田城」とも呼ばれる難攻不落の山城。大友氏に仕えた志賀親次は、ここで島津軍を撃退した。少年時代を竹田で過ごした瀧廉太郎は、岡城をイメージしながら中学校唱歌「荒城...

厳島の戦い~じつは徹底的な頭脳戦!小早川隆景、冴えわたる智謀

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

厳島の戦い~じつは徹底的な頭脳戦!小早川隆景、冴えわたる智謀

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

  合戦の勝敗を握る「村上水軍」の迷い 厳島は、陸地から1.8キロメートル沖合に浮かぶ、南北10キロメートル、東西4キロメートルの小島である。周知のように、厳島神社が鎮座する信仰の島であり、良港をも...

三方原の戦い~いちばんの敵は味方だった !? 家康を大敗させたダメ家臣団

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

三方原の戦い~いちばんの敵は味方だった !? 家康を大敗させたダメ家臣団

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

  三河武士団は、家康に心服していなかった! 武田信玄が侵攻してきた三方原の戦いで、いったいなぜ徳川家康は負けることを承知で浜松城から出撃したのだろうか―。 巷説では、同盟者の信長に対す...

角倉了以・京都繁栄の礎を築いたアイデアマン~この偉人、知っている?

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授),太田奈緒(AKB48チーム8京都府代表)

角倉了以・京都繁栄の礎を築いたアイデアマン~この偉人、知っている?

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授),太田奈緒(AKB48チーム8京都府代表)

写真撮影:永井浩   この歴史、知らなくてすみません。 日本各地には、教科書には載らなくても語り継ぐべき素晴らしい「歴史」があります。月刊誌「歴史街道」では、2016年8月号から2017年10月号まで...

久坂玄瑞と坂本龍馬は、なぜ「共鳴」できたのか

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

久坂玄瑞と坂本龍馬は、なぜ「共鳴」できたのか

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

   文久2年(1862)1月、久坂玄瑞は長州・萩を訪れた坂本龍馬に対して次のように語りかけた。「藩の枠に囚われることなく、自分たち草莽の志士が起ち上がり、攘夷の義挙に出る以外に道はない」。すなわち、「...

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