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大津事件と西郷隆盛生存説~西郷の亡霊が不平等条約の撤廃交渉を遅らせた? 

2019年04月10日 公開
2023年01月05日 更新

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

西郷隆盛
 

津田三蔵はなぜ、凶行に及んだのか?

明治24年(1891)5月、シベリア鉄道起工式に参列する途中で、ロシア皇太子ニコラス・アレクサンドロビッチ(のちのニコライ二世)は日本に立ち寄った。

このとき、とんでもない事件が起こるのである。5月11日、ロシア皇太子が琵琶湖に遊覧して京都へ戻る帰途、大津町を通り過ぎようとしたとき、見物人を整理していた巡査の一人が、急にロシア皇太子の御乗車を追いかけ、にわかに抜刀するや二度ほど皇太子の頭部に斬りつけたのである。皇太子は車から転げ出た。かぶっていた帽子は地に落ち、鮮血があたりに飛び散った。なおもその巡査は皇太子に追いすがり、まさにとどめを刺そうとしたその刹那、行動をともにしていたギリシャ皇太子が素早く鞭で巡査を打ち、車夫の向畑三郎、北賀市太郎らが剣を奪って巡査を捕縛したのである。

これが、いわゆる大津事件である。巡査の名は津田三蔵といった。津田は、ロシア皇太子の来日目的を、日本を侵略するための内地偵察であり、なおかつ天皇に謁見する前に各地を巡検するのは天皇に対して無礼だと憤り、この凶行におよんだとされる。

だが、別の犯行動機を大胆に推測する人々がある。

津田は、「停泊中のロシア軍艦には西郷隆盛が乗っていて、皇太子の来日とともに西郷が帰国して政界復帰すれば、西南戦争での自分の勲功が剝奪される」。そう恐れて犯行におよんだというものだ。一見、突拍子もない説のように思えるが、実はなかなか当を得ている。

周知のように、西郷隆盛は明治政府に対して挙兵し、政府軍に敗れて明治10年(1877)に自害している。ところが、その死の直後から生存伝説が生まれてくる。

とくにロシア皇太子来日の前年、西郷は国賊の身分を除かれ正三位を追贈されている。それ以降とみに西郷再臨の噂が遠慮なく語られるようになり、連日のように新聞紙上を飾った。最終的に噂は、「西郷は逃亡中にロシア軍艦に救われ、ウラジオストックでロシア軍に訓練をほどこしており、欧州巡歴中の黒田清隆(政府の薩摩閥の首領)と密会して帰国を約束、ロシア皇太子とともに来日する」というところに集約された。政府は生存説をやっきになって否定するが、西郷は果たして人々の前に姿を現すか否か、その一点に国民の耳目は集まった。

すなわち西南戦争で活躍した津田が、被害妄想に陥る社会的状況は十分すぎるほど整っていたのである。

いずれにせよ、大津事件の出来によって、西郷再臨どころではなくなった。ロシアは日本に隣接する大国。相手がその気になれば、大軍で日本を占拠して植民地にすることはさして難しくはなかった。

ために、政府も国民も必死になって、ロシア皇太子にお詫びをし、そのご機嫌をとった。皇太子の傷は軽傷であったが、閣僚や皇族らはこぞって療養先の京都へ急行して皇太子を慰労し、明治天皇までも皇太子のもとへお見舞いに出向いたのである。他方、国民もあらゆる団体が京都へ代表を差し向け、皇太子をなだめようとした。

東京帝国大学医学部のお雇い外国人で医者のエルウィン・ベルツは、この混乱状態を、

「この事件があるまでは、次第に増大した外人憎悪感が全盛の有様で、日本人の高慢さ加減には際限がなかった。この高慢さが打って変わって今では、度はずれの卑屈さ、びくびく振りとなった」(『ベルツの日記』トク・ベルツ編、菅沼竜太郎訳 岩波文庫)

そう日記のなかで冷笑している。

そこまでしてまだ不安が消えなかった政府は、犯人の津田三蔵を死刑にしようと、「ロシア皇太子をわが国の皇族に対する犯罪と同等に扱い、津田を死刑にせよ」と大審院(現在の最高裁判所)に圧力をかけた。だが、大審院院長の児島惟謙はこれに応じず、津田を普通謀殺罪の未遂事件として処理し、無期徒刑の判決をくだし、司法権の独立を守ったのである。

なお、この大津事件の責任をとって山田顕義法務大臣、西郷従道内務大臣、青木周蔵外務大臣が辞任した。

もし津田が西郷隆盛の亡霊におびえて凶行におよんだのなら、西南戦争に与しなかった実弟の従道がこの事件で辞職するというのはなにか因縁を感じる。だが、日本の将来にとって痛恨だったのは、むしろ青木外相の辞任であった。

青木はこのとき、不平等条約の撤廃に力を注いでおり、すでに大国イギリスから領事裁判権の撤廃や関税自主権の一部回復について同意を得ていた。もし大津事件が起こらなければ、もっと早く、日本は不平等条項を撤廃できたのである。

ちなみに次の外務大臣は、親ロシア派の榎本武揚だった。たぶんこの人選は、ロシアに対する日本政府の配慮であろうが、これにより改正交渉は停滞してしまった。

※本稿は、河合敦著『テーマ別で読むと驚くほどよくわかる日本史』(PHP研究所)より一部を抜粋編集したものです。

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