2019年03月26日 公開
2019年2月23日、戊辰が終わって150年を迎えた福島では、あるツアーイベントが催された。
テレビでもおなじみの歴史作家・河合敦先生と行く、1泊2日で戊辰戦争ゆかりの地を巡るスペシャルツアーだ。ゆかりの地では、河合先生の講義もある。
アプリ「ニッポン城めぐり」で実施した戊辰150年スペシャルスタンプラリーにおいて、戊辰戦争の関連エリアを巡った人たちの中から選ばれた20名が参加。北は山形、南は長崎と、全国から福島へ集まった。
一行は郡山駅から、まずは二本松へ。河合先生の最初の授業は、二本松隊士館で行なわれた。
戊辰戦争の悲劇というと白虎隊が有名だが、二本松少年隊はそれを上回るほど悲劇的だ。
奥羽越列藩同盟に加わった二本松藩は、兵の数が足りず、12歳から17歳の少年たちまでも動員された。
河合先生の口から語られる少年隊士たちの奮闘ぶりに、参加者たちは真剣に耳をかたむける。
講義の後は昼食タイム。お店から特別に、二本松の名物料理「ざくざく」が提供され、参加者たちは郷土の味に舌鼓を打った。
次に向かったのは、二本松城跡。別名、霞ヶ城・白旗城とも呼ばれる。
「二本松藩自尽の碑」で、河合先生から説明が……。
この碑は、徹底抗戦を主張した丹羽一学と城代・服部久左衛門、小城代・丹羽新十郎の3名が、敗戦の責任をとって自決した場所に建っている。
二本松藩の第11代藩主・丹羽長国は、勝ち目がないことを悟り、妻と娘3人とともに庄内へ脱出。城主不在となった二本松城は慶應4年(1868)7月29日、丹羽が城に火を放たせて落城したという。
二本松少年隊の像は、箕輪門前にある。河合先生は、「ぜひ見ておいて欲しい」と、一行をある場所へ。
そこには小さな石碑があり、「二本松少年隊 成田才次郎14才 戦死之地」と記されている。
「14歳で亡くなった成田才次郎くんのことを話します」と河合先生は切り出した。
二本松城の戦いで重傷を負って仲間とはぐれ、そこに通りかかった長州藩兵に、たった一人で立ち向かった成田才次郎。部隊長を討ち取るも、絶命したという。
このとき部隊長は、討たれたことを「自分の不覚だからこの少年を殺すな」と、部下に言い残して亡くなったとのこと。
ただその願いは届かず、少年は亡くなってしまう……。参加者の表情に、やりきれなさが浮かんでいた。
更新:12月04日 00:05