2013年08月02日
八重、兄・覚馬、夫・新島襄とともに、明治の京都を生きる
八重、兄・覚馬、夫・新島襄とともに、明治の京都を生きる
会津藩の消滅と尚之助の悲運に沈む八重のもとに、意外な知らせが届く。死んだと思っていた覚馬からの、京都への招きだった。 そして新たな生活のなかで、八重はキリスト教の価値観と新島嚢に出会う。アメリカ帰りの...
歴史街道 » 本誌関連記事
2013年08月02日
会津藩の消滅と尚之助の悲運に沈む八重のもとに、意外な知らせが届く。死んだと思っていた覚馬からの、京都への招きだった。 そして新たな生活のなかで、八重はキリスト教の価値観と新島嚢に出会う。アメリカ帰りの...
2013年07月26日
島津義弘像 「たせい(多勢)を見てもをそる(恐る)へからす」。九州全土に覇を唱えるだけでなく、明・朝鮮軍から「鬼石曼子(グイシーマンズ)」と恐れられ、関ケ原では東軍の度肝を抜いた戦国の島津軍。 しか...
2013年06月21日
『歴史街道』2013年7月号 より わが生命を賭けて、理不尽を断じて許さず 慶応4年(1868)8月23日。新政府軍が会津藩の城下町若松に乱入した、その日。城下では 200人近くの人々が、自刃して果てた。この壮絶...
2013年05月31日
『歴史街道』2013年2月号[総力特集・八重と幕末会津]より 仇はこの姉がとってやる!七連発スペンサー銃を手に籠城戦へ (この百発を撃ちつくすまで命があればよい)。亡き弟・三郎の形見の着物を身にま...
2013年05月15日
人間、失うものは何もない……なぜ、高橋是清は「日本の運」をつかみ得たのか 「顧みれば予の前半生もまた波瀾重畳、種々なる逆境を嘗めて来た」 自身が述懐するように、高橋是清の前...
2013年05月02日
『歴史街道』』2013年5月号 より いざ天下分け目の大戦へ! 渾身の決断に見る漢たちの魅力 三成の西軍か、家康の東軍か…。天下分け目の戦いに臨んだ武将たちの決断を、後世の価値観をもって判...
2013年04月01日
昭和63年 (1988) 4月に創刊された月刊誌「歴史街道」は、今月で25周年を迎えます。 創刊以来、弊誌は「時代を見抜く座標軸」をキーワードに、歴史の中から現代に活かせる生き方・考え方を探ってまいりました。読者...
2013年03月28日
大正18年(1590)、徳川家康が入封するまで、江戸城のまわりは湿地だらけで、竹の生い茂る荒れ地だった。 そんな関東の片田舎の江戸を、100万の人口を擁する大郡市に変貌させた男がいる。南光坊天海。家康の宗教政...
2013年03月12日
『歴史街道』2013年4月号 より 山本覚馬の墓(京都市) 「今、日本にとって急務なのは、内戦ではない」。 戊辰戦争の最中、薩摩藩に幽閉されながらも、日本の近代化を進めるための方策を、新政府...
2013年02月02日
『歴史街道』2013年2月号 より 「戦う女」八重の獅子奮迅の働き 新島八重−旧姓・山本八重は、幕末の弘化2年(1845)に会津藩の砲術(銃術)師範の家に生まれ、会津戦争では当時最新鋭の7連発式スペンサー...
2013年02月01日
『歴史街道』2013年3月号 [特集・川中島合戦の謎]より 謙信と信玄、名将2人の決戦は戦国史上最も謎に満ちていた! 意外にも、川中島合戦の実態はほとんどわかっていない。 その理...
2013年01月09日
《 『歴史街道』2013年1月号 より/ イラスト:山下正人 》 <滝山> は、大奥に40年以上奉公し「大奥の生き字引」といわれる御年寄(大奥最高位)。新参の娘 <おささ> の教育のため、その質問に答えます。 &...
2012年11月24日
《『歴史街道』2012年12月号より》 「内府は獅子身中の虫。治郎少はそういうてきたのではないのか」 昌幸の問いかけに信幸は応える。 「されど父上、内府はわが舅にございまする」 慶長5年(160...
2012年11月08日
『歴史街道』2012年12月号では、真田信之と幸村兄弟を取り上げ、戦国時代の歴史の狭間で信じる道を貫いた2人の生き様を描いています。 ※本稿は、『歴史街道』2012年12月号総力特集「真田信之と幸村」より、内容を一...
2012年10月23日
「源田サーカス」の異名をとったスター・パイロットで、真珠湾攻撃を航空参謀として成功させた源田実。ミッドウエーの失敗などで毀誉褒貶はあるものの、彼の合理的発想と海軍省を動かす豪腕がなければ、343空は決して...
2012年10月23日
「源田サーカス」の異名をとったスター・パイロットで、真珠湾攻撃を航空参謀として成功させた源田実。ミッドウエーの失敗などで毀誉褒貶はあるものの、彼の合理的発想と海軍省を動かす豪腕がなければ、343空は決して...
2012年10月11日
(画像はイメージです) 「忍び」といえば、まず伊賀、甲賀である。忍びの強さは「神妙奇異の働き」として全国に鳴り響いていたというが、実際にはどのような人物が忍びとして生きていたのだろうか。伊賀、甲賀で中心...
2012年09月21日
没後間もない時期に書かれた『太平記』や『梅松論』ですでに智略あふれる英雄として描かれ、戦国時代には、あの竹中半兵衛が「昔楠木、今竹中」と評され、江戸時代には講談などで庶民のヒーローとなり、さらに幕末の志士...
2012年07月27日
「目に見えぬ 神にむかひてはぢざるは 人の心のまことなりけり」 権力者には常に厳しい倫理を持って相対し、国民には自愛に満ちた御心で臨まれた明治天皇。それは日々祈りを捧げられ、御製を通じて御心を磨かれ、...
2012年03月08日
その生涯において、3度もの「奇跡」を起こした樋口季一郎。彼はどんな状況においても、「日本人として大切にすべき人道」と「合理的な思考に立脚した正しい決断力」を失うことはなかった。樋口を通して見えてくる、当時...
更新:11月21日 00:05