歴史街道 » 本誌関連記事

本誌関連記事

2013年08月02日

八重、兄・覚馬、夫・新島襄とともに、明治の京都を生きる

童門冬二(作家)

八重、兄・覚馬、夫・新島襄とともに、明治の京都を生きる

八重、兄・覚馬、夫・新島襄とともに、明治の京都を生きる

童門冬二(作家)

会津藩の消滅と尚之助の悲運に沈む八重のもとに、意外な知らせが届く。死んだと思っていた覚馬からの、京都への招きだった。 そして新たな生活のなかで、八重はキリスト教の価値観と新島嚢に出会う。アメリカ帰りの...

2013年07月26日

鬼島津戦記~剽悍無類!大敵に勝つ薩摩の意地

山内昌之(歴史学者/東京大学名誉教授)

鬼島津戦記~剽悍無類!大敵に勝つ薩摩の意地

鬼島津戦記~剽悍無類!大敵に勝つ薩摩の意地

山内昌之(歴史学者/東京大学名誉教授)

島津義弘像 「たせい(多勢)を見てもをそる(恐る)へからす」。九州全土に覇を唱えるだけでなく、明・朝鮮軍から「鬼石曼子(グイシーマンズ)」と恐れられ、関ケ原では東軍の度肝を抜いた戦国の島津軍。 しか...

2013年05月02日

大関ケ原 渾身の決断に見る漢たちの魅力

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

大関ケ原 渾身の決断に見る漢たちの魅力

大関ケ原 渾身の決断に見る漢たちの魅力

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

『歴史街道』』2013年5月号 より いざ天下分け目の大戦へ! 渾身の決断に見る漢たちの魅力 三成の西軍か、家康の東軍か…。天下分け目の戦いに臨んだ武将たちの決断を、後世の価値観をもって判...

2013年04月01日

『歴史街道』創刊25年によせて/編集長・辰本清隆

『歴史街道』編集部

『歴史街道』創刊25年によせて/編集長・辰本清隆

『歴史街道』創刊25年によせて/編集長・辰本清隆

『歴史街道』編集部

 昭和63年 (1988) 4月に創刊された月刊誌「歴史街道」は、今月で25周年を迎えます。  創刊以来、弊誌は「時代を見抜く座標軸」をキーワードに、歴史の中から現代に活かせる生き方・考え方を探ってまいりました。読者...

2013年03月28日

江戸を大都市にした天海が、街に仕込んだ「秘密の仕掛け」

宮元健次(作家/建築家)

江戸を大都市にした天海が、街に仕込んだ「秘密の仕掛け」

江戸を大都市にした天海が、街に仕込んだ「秘密の仕掛け」

宮元健次(作家/建築家)

大正18年(1590)、徳川家康が入封するまで、江戸城のまわりは湿地だらけで、竹の生い茂る荒れ地だった。 そんな関東の片田舎の江戸を、100万の人口を擁する大郡市に変貌させた男がいる。南光坊天海。家康の宗教政...

2013年03月12日

山本覚馬・動乱の渦中で常に日本を見据え、戦い続けた不屈の会津藩士

中村彰彦(作家)

山本覚馬・動乱の渦中で常に日本を見据え、戦い続けた不屈の会津藩士

山本覚馬・動乱の渦中で常に日本を見据え、戦い続けた不屈の会津藩士

中村彰彦(作家)

『歴史街道』2013年4月号 より 山本覚馬の墓(京都市)   「今、日本にとって急務なのは、内戦ではない」。 戊辰戦争の最中、薩摩藩に幽閉されながらも、日本の近代化を進めるための方策を、新政府...

2013年02月02日

幕末のジャンヌ・ダルクー山本八重を生んだ会津藩の「教育」の凄み

中村彰彦(作家)

幕末のジャンヌ・ダルクー山本八重を生んだ会津藩の「教育」の凄み

幕末のジャンヌ・ダルクー山本八重を生んだ会津藩の「教育」の凄み

中村彰彦(作家)

『歴史街道』2013年2月号 より 「戦う女」八重の獅子奮迅の働き 新島八重−旧姓・山本八重は、幕末の弘化2年(1845)に会津藩の砲術(銃術)師範の家に生まれ、会津戦争では当時最新鋭の7連発式スペンサー...

2012年11月24日

犬伏の別れ~真田昌幸、信幸、幸村。三者三様、漢たちの決断

秋月達郎(作家)

犬伏の別れ~真田昌幸、信幸、幸村。三者三様、漢たちの決断

犬伏の別れ~真田昌幸、信幸、幸村。三者三様、漢たちの決断

秋月達郎(作家)

《『歴史街道』2012年12月号より》 「内府は獅子身中の虫。治郎少はそういうてきたのではないのか」 昌幸の問いかけに信幸は応える。 「されど父上、内府はわが舅にございまする」 慶長5年(160...

2012年10月23日

第343航空隊「剣」…米軍を圧倒した新戦法

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

第343航空隊「剣」…米軍を圧倒した新戦法

第343航空隊「剣」…米軍を圧倒した新戦法

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

「源田サーカス」の異名をとったスター・パイロットで、真珠湾攻撃を航空参謀として成功させた源田実。ミッドウエーの失敗などで毀誉褒貶はあるものの、彼の合理的発想と海軍省を動かす豪腕がなければ、343空は決して...

2012年10月23日

史上最強の戦闘機隊「343空」を生んだ、源田実の“合理的発想”

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

史上最強の戦闘機隊「343空」を生んだ、源田実の“合理的発想”

史上最強の戦闘機隊「343空」を生んだ、源田実の“合理的発想”

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

「源田サーカス」の異名をとったスター・パイロットで、真珠湾攻撃を航空参謀として成功させた源田実。ミッドウエーの失敗などで毀誉褒貶はあるものの、彼の合理的発想と海軍省を動かす豪腕がなければ、343空は決して...

2012年10月11日

徳川家康も重用した...伊賀、甲賀の「忍び」列伝

『歴史街道』編集部

徳川家康も重用した...伊賀、甲賀の「忍び」列伝

徳川家康も重用した...伊賀、甲賀の「忍び」列伝

『歴史街道』編集部

(画像はイメージです) 「忍び」といえば、まず伊賀、甲賀である。忍びの強さは「神妙奇異の働き」として全国に鳴り響いていたというが、実際にはどのような人物が忍びとして生きていたのだろうか。伊賀、甲賀で中心...

2012年07月27日

明治天皇が自ら体現された「無私のまこと」

中西輝政(京都大学名誉教授)

明治天皇が自ら体現された「無私のまこと」

明治天皇が自ら体現された「無私のまこと」

中西輝政(京都大学名誉教授)

「目に見えぬ 神にむかひてはぢざるは 人の心のまことなりけり」 権力者には常に厳しい倫理を持って相対し、国民には自愛に満ちた御心で臨まれた明治天皇。それは日々祈りを捧げられ、御製を通じて御心を磨かれ、...

2012年03月08日

樋口季一郎~ユダヤ人救出、キスカ撤退、占守の戦い…「3つの奇跡」を起こした男

中西輝政(京都大学教授)

樋口季一郎~ユダヤ人救出、キスカ撤退、占守の戦い…「3つの奇跡」を起こした男

樋口季一郎~ユダヤ人救出、キスカ撤退、占守の戦い…「3つの奇跡」を起こした男

中西輝政(京都大学教授)

その生涯において、3度もの「奇跡」を起こした樋口季一郎。彼はどんな状況においても、「日本人として大切にすべき人道」と「合理的な思考に立脚した正しい決断力」を失うことはなかった。樋口を通して見えてくる、当時...