2015年06月11日 公開
2023年01月16日 更新
7月号「木曾義仲」特集、大きな反響をありがとうございます。義仲生誕の地、埼玉県・嵐山町のとある書店さんでは、店内が義仲一色になるほど(!)、弊誌販売を盛り上げていただいております。頭が下がると共に、やはり義仲という人は現代においてもこんなに愛されているのかと、改めて感じ入る次第です。
さて、今日は先週とは少し趣向を変え、後世において熱烈に彼を敬愛した、とある人の残した言葉から、義仲の魅力を探ってみたいと思います。
その人物とは、芥川龍之介。言わずと知れた明治の文豪です。
義仲を慕った文化人といえば、まず松尾芭蕉が思い浮かぶかもしれません(何しろ、同じ寺で墓を並べている二人です)が、芥川も芭蕉に劣らぬ「義仲愛」を炸裂させています。
それが顕著に形になっているのが、芥川が東京府立第三中学校に在学中に書いた論文「木曽義仲論」。
若き日に書いたものだけあって、素朴な熱意にあふれた「名作」です。
これを読むだけで、義仲という人の人間性が、よくよく身に沁みます。
有名な一節、「彼の一生は失敗の一生也。彼の歴史は蹉跌〔さてつ〕の歴史也。彼の一代は薄幸の一代也。然れども彼の生涯は男らしき生涯也。」
は、弊誌7月号の終章にも引用してありますが、この論文には他にも数々、印象的な言葉がちりばめられています。
「彼は彼が熱望せる功名よりも、更に深く彼の臣下を愛せし也。」
「我木曾冠者義仲が其燃ゆるが如き血性と、烈々たる青雲の念とを抱いて何等の譎詐〔けっさ〕なく、何等の矯飾〔きょうしょく〕なく、人を愛し天に甘ンじ、悠然として頭顱〔とうろ〕を源家の呉児に贈るを見る、彼が多くの短所と弱点とを有するに関らず、吾人は唯其愛すべく、敬すべく、慕ふべく、仰ぐべき、真個の英雄児たるに愧ぢざるを想見せずンばあらず。」
「彼が彼たる所以、唯此一点の霊火を以て全心を把持〔はじ〕する故たらずとせむや。彼は赤誠の人也、彼は熱情の人也」
「彼の社会的生命はかくの如く短少也。しかも彼は其炎々たる革命的精神と不屈不絆の野快とを以て、個性の自由を求め、新時代の光明を求め、人生に与ふるに新なる意義と新なる光栄とを以てしたり。」
文語調なのですっと読むのは難しいところもありますが、彼のほとばしる思いが伝わってきます。何しろこの論文は、この調子で3万字も続くのです……!
それにしても、芥川のように鬱屈とした人間が、こんな竹を割ったかのごとく一直線な武将に入れ込むとは、いささか不思議な気もします。
(義仲は決して、「ぼんやりとした不安」で自殺するような人ではないでしょう……)
7月号の総論でご登場いただいた武久堅先生は、こうおっしゃっていました。
(以下、本誌では泣く泣くカットした部分です)
「芥川は、江戸の下町で養父母に育てられた人なんです。それが芥川の、近代作家としての大きな屈折点だと思いますが……とにかく彼は、江戸の下町の独特のムードが嫌いでした。実際、芥川は永井荷風を嫌っていましたしね。
だからこそ、野生児としての木曾義仲のさっぱりした力強さ、そういうものにとても憧れたんではないでしょうか。しかも義仲も、自分と同じく養父母に育てられている。どこか自分と似ているところもあるのに、性格は正反対。
これが、芥川が義仲を愛した最大の理由ではないでしょうか」
時代を超えて愛され続ける義仲。戦後、いったん忘れ去られたかのように見えますが、弊誌今号に寄せられるご意見を拝読していると、彼こそ、いま再評価されるべき「熱情の」武将なのではないかと、思わずにはいられません。
更新:11月24日 00:05