2015年07月16日 公開
2023年01月16日 更新
夏……蒸し暑い……不快だ……。
同じ不快感なら、得体のしれない怖さで背筋をぞわっとさせるほうがよっぽど良いのに!
というわけで、今回は江戸の呪いの気配ただようスポットをご紹介しましょう。
普段なにげなく歩いている場所にも、実は怨念が染みこんでいるかも……?
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都内には、ざっと挙げただけでもこれだけの鳥肌スポットが点在しています。
そしてもちろん、すべての場所には、相応の「いわく」が。
その中から、特にぞぞっとするものをいくつか。
上野公園は、実は昔から多くの霊が現われた場所です。慶応4年(1868)、旧幕臣たちの義勇軍・彰義隊は上野山で新政府軍に敗れ、その死骸は見せしめのために放置され、梅雨の時期に腐りながら累々と転がっていました。
これを見かねた南千住の円通寺の和尚が死骸を火葬にしますが、それでは霊たちの気が収まらなかったのでしょう、亡霊の目撃談が相次ぐようになりました。
それを鎮めるために彰義隊の墓の目の前に西郷隆盛の銅像が立てられたともいわれています。
また不忍池には、池の両端に住んでいながら、その恋が実らなかった感応丸と柳の前という男女の霊が出るといいます。
ある夜、一人で帰路を急ぐ男は、紀伊国坂の闇の中でさめざめと泣く女中と出くわしました。狢(むじな)が出ると怖れられているこんな場所に若い女がひとりでいるのはよくないと、親切心から声をかけた男でしたが……。
小泉八雲が『怪談』で紹介したこの話は、「狢」というより「のっぺらぼう」として親しまれています。
現代でも、「坂の片側には古い堀が深く広く横たわっている」という表現通りの風景が残り、夜にお堀側の歩道を歩くと、交通量の多い道路であるにもかかわらず、少し不安な気分になってきます。
醜い姿であったがために、夫・伊右衛門に騙されて殺されたお岩さん。鶴屋南北『東海道四谷怪談』でも、戸板に打ち付けられたまま怨霊となって現われるという「戸板返し」の場面を知っている人も多いでしょう。
しかし田宮家の言い伝えによれば、実際のお岩さんと伊右衛門の夫婦仲は良く、彼女は田宮家の再興を果たした評判の貞女だったのことです。
ただ、今でも歌舞伎や講談、演劇などで四谷怪談を公演するときには、関係者はこの神社に参拝するといいます。
歌舞伎役者の参詣の便を考慮して、神社の本社が移転したほど。
三遊亭円朝が得意とした『怪談乳房榎』の舞台です。
絵師・菱川重信が浪人者の浪江(なみえ)によって惨殺され、重信の妻と財産は浪江の手に渡ります。妻はショックで乳が出なくなりますが、重信の亡霊が現われて、乳を出す不思議な榎の木を教えます。そして亡霊の怨念はやがて浪江を追い詰めていき……。
円朝は、菱川重信が南蔵院の天井に描いた「雌龍雄龍」の絵をもとに、この怪談を考え出したようですが、残念ながら空襲で焼け、絵は残っていません。
鳥肌スポット、本当はまだまだあります。
夏の休日は、霊気に当たりに、お出かけされてはいかがでしょうか。
※本記事は、『歴史街道』2006年9月号より一部抜粋しております。
更新:11月22日 00:05