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「日本軍が侵略した」と騙るすべての人へ

2015年08月04日 公開
2021年08月11日 更新

井上和彦(ジャーナリスト)


神風特別攻撃隊の慰霊祭で日の丸の旗を持つフィリピン・バンバン村の子供たち(写真:井上和彦、以下同)

 2年前、10万部を突破した『日本が戦ってくれて感謝しています』(産経新聞出版)で話題を集めたジャーナリストの井上和彦氏が、新著『ありがとう日本軍』を上梓した。
 「写真集を手にする感覚でご覧いただき、先の大戦を追体験していただきたい」「今こそ、日本人としての誇りを取り戻してほしい」。「そこまで言って委員会NP」をはじめ数多くのテレビ番組のコメンテーター、キャスターも務める井上氏が、戦後70年のタイミングで執筆した本書に込めた想いを伺った。
 

現地で一度も耳にしなかった、日本軍への非難

――『日本が戦ってくれて感謝しています』と比べると、カラーを含めた写真が非常に多く掲載されています。

井上 「百聞は一見にしかず」という言葉がありますが、かつての戦場に立てば、わずかでも日本軍将兵の苦労や想いを追体験することができ、そして封印された歴史の真実が見えてきます。私は、そんな大東亜戦争の真実を求めて、今も各地の戦跡を訪ね続けています。

 マレーシア、シンガポール、インド、タイ、インドネシア、フィリピン…。そうした東南アジア諸国の他にも、日本人がリゾート地としてよく訪れるグアムやサイパン、テニアン、ペリリュー、そして沖縄で、私がこの足で歩いて出会い、カメラにおさめた「事実」を、皆さんにご覧いただきたかった。そうすることで、大東亜戦争を追体験して欲しかった。特に写真には、時には文字以上に事実を雄弁に語る力があります。そこから、「あの戦争とはいったい何だったのだろう」と考えるきっかけにしていただきたいと思い、筆をとりました。

――実際に各国を歩いて回り、胸に残ったことは何でしたか?

井上 よく、日本では「日本軍はアジアで酷いことをしていた」と教えられます。しかし私は一度も、1人たりとも、日本軍を悪し様に語る方に出会いませんでした。これは事実です。むしろ、どうすれば「日本軍にこんな酷いことをされた」と語る方に現地で遭えるのか、大げさでなく、教えて欲しいくらいです。

 現地の人々にとって、日本軍は植民地支配を続ける欧米諸国からの「解放軍」として目に映ったといいます。第2次世界大戦前、世界の多くが欧米列強の植民地であり、被征服民は人間の尊厳も奪われまさしく奴隷として酷使されていました。それこそ、教育も施されずに、馬や牛のように働かされていたといいます。そんなところにやってきて、彼らを解放しようとしたのが、同じアジアの民族である日本軍だったのです。
 

「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した」

――しかし、日本軍がアジアを「侵略」をしたと語られることもあります。

井上 日本が大東亜戦争を戦った理由、それは自存自衛とアジアの解放に他なりません。戦後、タイ王国のククリット・プラモード首相は、

 「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか」

 と書き記しています。この言葉が、あの戦争が何であったか、そのすべてを表わしているでしょう。

 また、「日本軍=侵略者」と騙(かた)る際に、日本人が現地の人々にビンタなどの「暴力」をふるったと指摘されることもあります。しかし、私はテニアンで、日本軍が現地の人々に厳しく接したことへの感謝の言葉に出逢いました。そこで出会った日本人女性が、テニアンの年配者から聞いたというこんな話をしてくれたのです。この女性によれば、

 「この島のお年寄りたちは、『戦後やってきたアメリカは、たしかに援助はしてくれた。けれど、気づけばビザとハンバーガーとペプシコーラを与えられるだけで、島民はおかしくなってしまった。ところが比べて日本時代は、確かに日本人は厳しかったが、モノをただ与えられる今に比べてほんとうに幸せな時代だった』と言ってますよ。皆、日本時代を懐かしがっているんですよ…」

 というわけです。働くことや学ぶことに日本人は厳しかったが、そこには現地の人々の暮らしを向上させようとする“愛”があったのです。だからこそ日本時代を知る年配者は、日本時代への郷愁を感じているのです。

 まさかテニアンで、こんな話を聞けるとは思っていませんでした。世界中がこうした事実を知っているからこそ、私自身、各地で「日本軍を尊敬している」「日本軍に憧れている」、そして「ありがとう、日本軍」と声をかけられたのです。

――『ありがとう日本軍』に掲載している中で、印象に残っている写真はありますか?

井上 数多くありますが、昭和19年(1944)に撮影されたもので、ビルマ戦線でインド国境を突破し、ともに万歳をする日本軍将兵とインド国民軍の写真は何度見ても、胸を打たれます。

 当時、展開されたインパール作戦は戦後、日本陸軍の愚策の1つとされてきましたが、作戦の本質は日印連合軍による「対英インド独立戦争」でした。事実、インドはインパール作戦を「インパール戦争」と呼び、独立戦争として捉えています。「日本の侵略戦争」などとは誰も思っていませんし、作戦の『事実』を端的に表わす1枚でしょう。

 また、昨年訪れたインドネシアの「独立宣言起草博物館」に展示されていたスカルノ大統領手書きの独立宣言の起草案も掲載していますが、非常に印象的です。インドネシアは日本が敗戦した2日後の昭和20年(1945)8月17日、オランダからの独立を高らかに宣言しましたが、スカルノは日付を「17-8-′05」と記しています。

 この「05」とは、果たして、何を指すのか。実は、「皇紀2605年」なのです。彼らは独立しても、なお、日本の暦を用いたのです。もしも日本のことを恨んでいたのならば、独立にあたって誰が皇紀を用いるでしょうか。こうした写真を見るだけでも、「日本が侵略をした」という論がいかに事実無根であり、むしろ、アジア諸国の方々に、いかに感謝され、讃えられたかが分かると思います。さらにいえば、その後のインドネシア独立戦争の中心を担った『郷土防衛義勇軍(PETA)』を戦時中に作ったのも日本軍であり、現在、PETA博物館前に建つ兵士像は日本兵と見分けがつきません。

著者紹介

井上和彦(いのうえ・かずひこ)

ジャーナリスト

昭和38年(1963)、滋賀県生まれ。法政大学社会学部卒業。専門は軍事・安全保障・外交問題・近現代史。テレビ番組のコメンテーターを務めるほか、書籍・雑誌への寄稿で活躍。著書に『こんなに強い自衛隊』(双葉社)、『日本が戦ってくれて感謝しています』(産経新聞出版)、『パラオはなぜ「世界一の親日国」なのか』(PHP研究所)ほか多数。

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