2015年08月04日 公開
2021年08月11日 更新
独立宣言起草博物館前でパレードを待つインドネシアの若者。独立の背景には、日本将兵の存在があった。手にはスカルノ大統領の写真
――折しも、「安倍談話」がまもなく発表される予定です。
井上 今、日本人がどうして卑屈になっているのか。それは、大東亜戦争で実際に日本と戦ったわけでもない中華人民共和国と韓国に難癖をつけられているからです。
中華人民共和国が出来たのは1949年であり、韓国に至っては、共に戦った立場です。実は、中華人民共和国を創設した毛沢東ですら、昭和39年(1964)に訪中した日本社会党の佐々木更三委員長らに「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、我々が権力を奪取することは不可能だったのです」(『毛沢東思想万歳』下)と語っているのです。
そういうことを、残念ながら日本人はあまりにも知らなさすぎますね。だから、外から何か言われたら「我々の先人達が何か悪いことをしたんじゃないか」と思ってしまうのです。そして謝る必要がないことに謝ってしまい、より外交関係が歪(いびつ)になる…。世紀の大捏造事といえるいわゆる“従軍慰安婦”や、いわゆる“南京大虐殺”にしても、これがフィクションであるから、彼らは証拠を提示することができないし、また執拗に騒ぎ立てるわけです。
安倍首相は今年4月、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議で、日本が国際社会に復帰する際にアジア・アフリカの国々が後押ししてくれたことに感謝すると語りました。
これは非常に重要なことで、なぜアジア・アフリカの国々が日本を後押ししたかといえば、大東亜戦争で日本が米英に対して起ち上がったことが、それまでの欧米列強支配の世界に楔をうち、アジアやアフリカの国々が独立のきっかけとなったからです。安倍首相のスピーチは万雷の拍手を受けましたが、このスピーチこそがまさしく大東亜戦争の精神であり、我々はそろそろ、今まで囚われていた虚構、フィクションから脱出しなければならないでしょう。
――今年は、終戦70年を迎えた特別な年です。
井上 今、多くの戦争を体験した方々が亡くなっていっています。恐らくは、「戦後80年」の時には、戦争体験を証言してくださる方は、残念ながら、いらっしゃらなくなっている可能性が高いでしょう。
その中で、従来のフィクションが生き続けるということは、将来の日本の子供たち、孫たちに負の遺産を遺すことになる。だからこそ、あの3年8カ月の戦いを、正しく、客観的に見直すことは、将来の日本人に対する最大の贈り物だと思います。そしてそれは、今を生きる我々の義務でもあるでしょう。そうでなければ、将来の日本人は中国と韓国にいわれなき理由で不当に批判され続けることになりますし、また日本のため、アジア解放のために雄々しく戦った日本軍将兵たちは、中国、韓国に永遠に冤罪を着せられたままになってしまいます。そんなことが許されていいはずがありません。
謝るとするならば、あの戦争に負け、日本に期待をしていたアジアの人々をがっかりさせたことでしょう。日本が負けたことで、大東亜戦争中に独立を果たしたベトナムには、フランスやイギリスが戻り、インドシナ戦争が起きました。第1次、第2次インドシナ戦争でベトナム人は、あまりに大きな苦難に見舞われました。また、インドネシアにもオランダやイギリスが戻り、独立戦争が起きましたが、ここでも多くのインドネシアの人々が殺されています。もし、大東亜戦争で日本が負けていなければ、彼らはあの塗炭の苦しみを味あわずに済んだはずなのです。
そして、もう1つ、忘れてはいけないことがあります。実は日本軍将兵の中には、戦後も現地に残って各地の独立軍戦争を戦った者も多かったのです。ベトナムでは800人、インドネシアでは2,000人にのぼりました。
インドネシアのカリバタ国立英雄基地に眠る元日本兵。インドネシア独立のために命を賭した
彼らの中には終戦の詔勅に「朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず」とあることに胸打たれ、諸盟邦、つまりはアジアの国々に残って独立のために戦うことを決意した人もいたといいます。まさに彼らは、大東亜戦争の理念の総仕上げを成し遂げようと起ちあがったのです。もちろん、祖国には愛する家族がおり、会いたかったはずです。そんな思いを擲(なげう)って、アジア解放のために戦ったのです。
このような日本軍将兵が行なったのは、「侵略戦争」だったのでしょうか。現地を歩けば、そんな論がいかに馬鹿げた話か分かりますし、今の日本のメディアや政治家は自分の足で情報を得ていないため、真実をまったく知らないと感じずにはいられません。だからこそ自分の手で大東亜戦争の「事実」を手に入れ、自分の頭で考えることが必要なのではないでしょうか。拙著がその手段のひとつとなれば、それ以上の喜びはありません。
更新:11月22日 00:05