2017年02月08日
二度即位した女帝・斉明天皇と飛鳥の歩み
二度即位した女帝・斉明天皇と飛鳥の歩み
当時の即位には適齢期があった 飛鳥〈あすか〉時代前後から奈良時代にかけて(七〜八世紀)、推古〈すいこ〉天皇から称徳〈しょうとく〉天皇まで、六人の女性天皇が即位しました。その...
歴史街道 » 本誌関連記事
2017年02月08日
当時の即位には適齢期があった 飛鳥〈あすか〉時代前後から奈良時代にかけて(七〜八世紀)、推古〈すいこ〉天皇から称徳〈しょうとく〉天皇まで、六人の女性天皇が即位しました。その...
2017年02月05日
謙信の実像に迫る 上杉謙信というと、どんなイメージをお持ちでしょうか。まず武田信玄との川中島合戦を想起する方が多いかもしれません。義に篤く、「敵に塩を送る」話もよく知られて...
2016年11月23日
宇喜多秀家の義兄にあたる明石掃部 明石掃部頭全登。〈あかしかもんのかみ〉までは読めるとして、全登は何と読むのでしょう? 最近は〈てるずみ〉とふりがなを振るケースが多く、「真田丸」でもその説を...
2016年11月21日
歌川広重「義士仇討之図」(赤穂市立歴史博物館蔵) 徳川家康が開いた江戸幕府は、三代将軍家光の治世には将軍権力を確立したと言われる。「武断政治」とも称される、幕府の強大な軍事力を背景とした...
2016年07月26日
写真:栗林快枝氏蔵、撮影:佐々木悦久 ──自分はいずれ、この島で命を落とす。 昭和19年(1944)11月末、硫黄島に赴いた西氏は、島の惨状を見て悲壮な覚悟を固めた。ところが&hel...
2016年07月15日
幕末、京都の治安を守り、過激な不逞浪士相手に日々、最前線で斬り結んだ最強の剣客集団・新選組。その中でも屈指の剣士とされるのが、斎藤一であった。 副長助勤、組長を務め、池田屋事件、天満屋事件で活躍。局長...
2016年06月26日
豊臣秀長と千利休 千利休は豊臣秀吉の御茶頭として、秀吉の茶の師匠でした。それと同時に利休は、秀吉の側近の一人として、政治的な役割も担っています。 たとえば大和大納言豊...
2016年06月19日
信繁は昌幸・信幸と一緒に出陣していた? 天正17年(1589)12月、豊臣秀吉は北条征伐の動員令を下し、翌天正18年(1590)2月より、各地の大名は北条領に向けて進撃を始めます。 この...
2016年06月13日
なぜ北条氏政は上洛しなかったのか 天正11年(1583)、天正壬午の乱がほぼ終息、対立していた北条氏と徳川氏が手を結ぶことになり、徳川家康の娘督姫が北条氏直に嫁ぎます。併せて、武田...
2016年06月06日
誤解されやすい男 いつの時代にも、誤解されやすい人はいます。たとえば、組織を円滑に運営するために嫌われ役、汚れ役を務めなければならない立場の人なども、それに当てはまるでしょう。 人間は...
2016年03月13日
北条・徳川の和睦と沼田城問題 天正10年(1582)10月27日、徳川と北条両氏の和睦が成立し、翌日、和睦覚書が作成されて、本能寺の変以後に生起したいわゆる「天正壬午の乱」は幕を閉じます。しかし同...
2016年03月06日
真田信尹による牧之島城の謀略 真田昌幸の弟・信尹〈のぶただ〉(加津野信春)は、武田家の部将として活躍していましたが、武田家滅亡後は兄を頼って信濃に逃れ、兄・昌幸とともに上杉家に従属します...
2016年02月28日
北条氏直の信濃侵攻 天正10年(1582)6月18日、19日の神流川〈かんながわ〉の合戦で滝川一益勢を破った北条氏直軍は、上野国の制圧に乗り出し、北は沼田の手前、西は信越国境、東は厩橋城周辺を除いた...
2016年02月22日
「歴史街道」2015年10月号より 「勢いが肝心よ」北条を脅かし、徳川に築城させ、上杉が後ろ盾の強かさ 「上杉勢に備えるため、海士淵に大兵を集められる城を築くことこそが肝要」 真田昌幸の主張に、徳...
2016年02月21日
滝川の脱出を助けた真田と依田 神流〈かんな〉川の合戦で北条に敗れた滝川一益は、箕輪城に帰還して敗軍をとりまとめると、天正10年(1582)6月20日に城を出立、信濃に向かいます。この時、滝川は上野...
2016年02月16日
「歴史街道」2015年10月号より 父祖伝来の地は渡さぬ!真田昌幸、獰猛徳川勢を迎え撃つ 「徳川勢など何万騎押し寄せようと恐れるに足りず。家康は三方ケ原で大屋形様(信玄)に散々に打ち破られ...
2016年02月15日
「歴史街道」2016年2月号より 真田信繁 大敵に挑んだ「六文銭」の誇り 「真田信繁(幸村)は死に場所を求めて大坂の陣に臨んだ」…。時にそう語られることがあるが、果たして事実か? 温和で誰か...
2016年02月12日
現在発売中の弊誌3月号特集「鍋島直正と近代化に挑んだ男たち」では、昨年 に 世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成要素のひとつ、「三重津海軍所跡」についても触れています。今回は、本誌には載...
2016年02月07日
武田旧領の統治と上杉攻め 天正10年(1582)3月に武田家が滅亡すると、織田信長は武田旧領を功績のあった者たちに分け与えました。まず武田攻略の先陣を務めた滝川一益には、上野一国及...
2016年01月31日
『加沢記』にみる昌幸の動き 『加沢記』という史料があります。沼田真田藩の家臣で、祐筆を務めた加沢平次左衛門によって江戸時代初めに書かれた手記で、真田幸隆、昌幸、信幸三代を利根・吾妻の興...
更新:11月22日 00:05