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直江兼続 みずからの収入を減らしてまで、藩の財政逼迫を立て直した贖罪

2018年09月26日 公開
2023年03月27日 更新

日本史・あの人の意外な「第二の人生」より

上杉景勝と直江兼続
上杉景勝(左)と直江兼続(右)像
 

直江兼続 直江状、関ケ原のその後

日本史・あの人の意外な「第二の人生」背が高く容姿端麗。忠信厚く聡明で学問にも通じており、ひとたび戦場に身を置けば、愛染明王の化身となって軍略の才を発揮する。そんな「完璧超人」が、上杉景勝に仕え、上杉家を守ることに生涯を捧げた直江兼続(1560~1619)だ。

彼をよく知る豊臣秀吉はこう語る。「政治を安心して任せられる数少ない人物のひとりじゃわ」。豊臣政権下で景勝が120万石の会津(現在の福島県)の城主および五大老のひとりになれたのは、腹心の兼続が石田三成と深い絆を結んでいたからともいわれる。主君の景勝も兼続に全幅の信頼を寄せ、政務のほぼすべてを一任。領地の4分の1にあたる米沢(現在の山形県)30万石を授けたというから、その信頼度の高さがうかがえる。

だが兼続は頭がよく回るためか、ときにすさまじい「煽りスキル」を発揮した。

最も被害にあったのは、ご近所の伊達政宗だろう。徳川政権下でのある日のこと。

江戸城の廊下ですれ違っても挨拶がなかったことを政宗がとがめると、兼続はしれっと「ああ、これは無礼なことを。戦場では何度もお見かけしていましたが、いつも逃げ帰る後ろ姿しか見ていなかったもので(笑)」とひと言。伊達男の政宗は、体面を気にして怒りをのみ込んだようだが、もちろんブチ切れられることもあった。

それが徳川家康に出した有名な手紙「直江状」に端を発する会津攻めだ。これは家康と戦う覚悟を決めたうえでの挑発だったともいわれるが、実際に攻め込まれるとは思っていなかったような気もする……。

どちらにせよ、この対決は途中で関ヶ原の戦いが勃発したため、小競り合いだけで終幕を迎えたが、家康と対立した上杉家は西軍側。無論処断は免れず、景勝はあわや遠流となりかける。ときに兼続41歳。上杉家一筋の忠臣としては焦ったに違いない。翌1601(慶長6)年、兼続は「西軍に与した責はすべて自分にあります」と、家康に訴え出て必死の交渉を開始。結果、上杉家は米沢30万石に減封のうえ、なんとか許されることとなった。

ではその後、兼続はどうしたのだろうか。知行がもとの4分の1ともなれば、今までのように家臣を養っていくことが難しくなり、当然、上杉家の財政は逼迫する。通常であれば、多くの家臣をリストラするものだが、兼続は「人こそ家の財産なり」と、家臣の解雇を極力回避。責任を感じたのか、自身に与えられた6万石のうち5000石のみを自領とし、残りを景勝に返上して藩財政の立て直しを図った。

このとき、景勝に従った家臣は3万人余りだったと伝えられている。それに対して、当時の米沢は小さな町だった。城下町に住めたのは上級武士だけで、下級武士たちは郊外に小屋をつくって住まうしかなかった。そこで兼続は、荒地ではあったが足軽にも約150坪の土地を与え、そこで牛馬を飼育したり、柿や栗などを育てたりすることを推奨。さらに田畑として利用できる土地を開墾するように指示し、開いた土地は農民の半分の年貢で開墾者が所有することを認めた。

また、それと同時に城周辺の水路を整備すると、次は分水路をつくって灌漑用水を確保。堤防を建設するなど治水工事にも心を砕き、町割りも整備していく。

そして鋳物や鉄砲の熟練職人を高給で招くなど、藩の殖産興業にも注力し、改革がひととおり終わったのは、1611(慶長16)年。兼続、52歳。転封から10年後のことだった。その甲斐あって、米沢藩は表高30万石に対し、実収50万石といわれるまでに富国。完璧超人だからこそなしえた偉業といえるだろう。

このように兼続は改革を推し進める一方、倹約を奨励し、自身も厳しく律した。

食事はご飯とわずかに山椒三粒。雁(がん)の吸い物を出されたときは「なんて贅沢なものを」と、怒って箸をつけず、その家の使用人を追放したという。衣服もあくまで慎ましく、羽織は裏地に継ぎ切れを縫い合わせたものを使っていたといわれている。

そして1619(元和5)年、兼続は江戸で60年の生涯を終える。子に先立たれていたため、跡継ぎは不在。景勝から幾度となく養子を迎えることを勧められたが、それを断って直江家断絶の道を選んだという。その胸中は推測するしかないが、自身の失態から上杉家のピンチを招いたことに対する贖罪、あるいは純粋に私利私欲を捨てての最後の忠節だったのかもしれない。

※本記事は、「誰も知らない歴史」研究会編著『日本史・あの人の意外な「第二の人生」』より一部を抜粋編集したものです。

参考文献
『上杉景勝』児玉彰三郎 著(ブレインキャスト)

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『歴史街道』編集部
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