歴史街道 » #大日本帝国海軍艦艇の記事一覧

#大日本帝国海軍艦艇の記事一覧

圧倒的不利だった日本海軍...真珠湾攻撃を成功に導いた「世界初の空母機動部隊」

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

圧倒的不利だった日本海軍...真珠湾攻撃を成功に導いた「世界初の空母機動部隊」

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

現在の真珠湾 空母搭載の航空機の役割は偵察と着弾観測が常識とされる時代、日本海軍は世界初の空母機動部隊を築き上げた。世界が驚愕した、その奇抜ともいえる戦術の発想は、どこから生まれてきたのか? ※本稿...

ガダルカナル島で大敗した日本軍…生還者が語った「この世の地獄」

早坂隆(ノンフィクション作家)

ガダルカナル島で大敗した日本軍…生還者が語った「この世の地獄」

早坂隆(ノンフィクション作家)

「逐次戦闘加入」という下策によって、日本陸軍が米軍の迎撃の前に敗退を重ねたガダルカナルの戦い。「この世の地獄」というべき戦いの実相はいかなるものだったのか――。 ※本稿は、歴史街道編集部編『日本陸海軍、...

最後まで負けを認められなかった日本軍...「マリアナ沖海戦」大敗の3つの理由

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

最後まで負けを認められなかった日本軍...「マリアナ沖海戦」大敗の3つの理由

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

太平洋戦争の最後の決戦といっても過言ではない「マリアナ沖海戦」。日本海軍はなぜ敗れたのか。そしてこの戦いは、その後の日米戦争にどんな影響を与えたのか─。 ※本稿は、歴史街道編集部編『日本陸海軍、失敗の研...

山本五十六は、なぜ真珠湾奇襲攻撃を決断したのか

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

山本五十六は、なぜ真珠湾奇襲攻撃を決断したのか

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

山本五十六 真珠湾攻撃。その知らせに世界が驚愕したのは、米太平洋艦隊主力を壊滅させた戦果だけではなく、航空攻撃による奇襲という常識を覆す革命的な発想にあった。連合艦隊司令長官山本五十六はなぜ、この博打に...

珊瑚海海戦こそ太平洋戦争の岐路だった!~アメリカは学び、日本は学ばず

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

珊瑚海海戦こそ太平洋戦争の岐路だった!~アメリカは学び、日本は学ばず

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

世界で初めて空母同士が対決した珊瑚海海戦は、試行錯誤の連続だった。それだけに「洋上の航空戦」の戦訓を得る、絶好の機会でもあった。しかし、日本海軍はこのチャンスを見逃して、ミッドウェー海戦へと突入していく。...

戦艦大和と零戦――日本が誇る傑作の問題点とは?

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

戦艦大和と零戦――日本が誇る傑作の問題点とは?

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

「史上最大の戦艦」と「万能戦闘機」に日本人は何を託したのだろうか...。現在発売中の月刊誌『歴史街道』8月号の特集1は、「戦艦大和と零戦」と題し、開発の経緯から激闘の軌跡までを辿っている。 その中で、海軍...

陸軍兵力・軍艦数で劣る日本が、日清戦争で勝てた理由

原剛(軍事史研究家)

陸軍兵力・軍艦数で劣る日本が、日清戦争で勝てた理由

原剛(軍事史研究家)

令和元年(2019)の今年は、日清戦争の開戦から125年、日露戦争の開戦から115年にあたる。現在発売中の月刊誌『歴史街道』7月号の特集1では、「日清・日露戦争 名将の決断」と題して、当時のリーダーたちの選択がいかに...

山本五十六はほんとうに「戦艦無用論者」だったのか?~元・海軍中堅幹部たちが語る

海軍反省会

山本五十六はほんとうに「戦艦無用論者」だったのか?~元・海軍中堅幹部たちが語る

海軍反省会

  山本五十六は戦艦無用論者だったのか?  第29回海軍反省会  昭和57年3月8日開催  太平洋戦争の開戦劈頭、日本海軍は、真珠湾攻撃によりアメリカの戦艦複数に大打撃を与え、また、マレー沖海...

壮絶な夜戦!第三次ソロモン海戦~「比叡」乗組員の証言

11月12日 This Day in History

壮絶な夜戦!第三次ソロモン海戦~「比叡」乗組員の証言

11月12日 This Day in History

第三次ソロモン海戦がはじまる 今日は何の日 昭和17年(1942)11月12日 昭和17年(1942)11月12日から15日にかけて、第三次ソロモン海戦が起こりました。壮絶な夜戦が展開された戦いとして知られます。今回は海...

小沢治三郎~近代戦にふさわしい科学的リーダーシップをそなえた名提督

『歴史街道』編集部

小沢治三郎~近代戦にふさわしい科学的リーダーシップをそなえた名提督

『歴史街道』編集部

空母機動部隊の生みの親・小沢治三郎が没 今日は何の日 昭和41年(1966)11月9日 昭和41年(1966)11月9日、小沢治三郎が没しました。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦の指揮官であり、最後の連合艦隊司令長官と...

マリアナ沖海戦~史上最大の機動部隊決戦。日本のアウトレンジ戦法は通用せず

6月19日 This Day in History

マリアナ沖海戦~史上最大の機動部隊決戦。日本のアウトレンジ戦法は通用せず

6月19日 This Day in History

今日は何の日 昭和19年6月19日 マリアナ沖海戦、日本は壊滅的な敗北を喫する 昭和19年(1944)6月19日から20日にかけて、マリアナ沖海戦が起こりました。日米機動部隊が激突した最後の戦いであり、日本海軍は...

勝利を呼び込んだ「東郷ターン」~日本海海戦、ギリギリの決断

5月27日 This Day in History

勝利を呼び込んだ「東郷ターン」~日本海海戦、ギリギリの決断

5月27日 This Day in History

今日は何の日 明治38年5月27日 日本海海戦で連合艦隊がバルチック艦隊を撃滅 明治38年(1905)5月27日、日本海海戦が起こりました。日本海軍の連合艦隊と、ロシア海軍のバルチック艦隊との戦いです。 NH...

大破と中破の違いは? 艦隊決戦12の基礎

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

大破と中破の違いは? 艦隊決戦12の基礎

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

イラスト:谷井建三 艦隊同士の決戦はどう行なわれる? ミッドウェー、ソロモン、マリアナ、レイテ…。70年前に終結した太平洋戦争において、日本海軍は多くの艦隊決戦を経験した。しかし、海戦とはそもそ...

これだけ知っておけば大丈夫! 日本海軍艦艇10の基本

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

これだけ知っておけば大丈夫! 日本海軍艦艇10の基本

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

「戦艦」と「軍艦」の違いは? 近年、関心が高まり続けている日本海軍の艦艇。しかし、意外と見落としがちなポイントもあるのでは? 例えば、「軍艦」と「戦艦」の違いは? 「大和」「武蔵」などの名前はどう決まる? こ...

戦艦大和と武蔵は、日本人の「魂」と「技術力」の結晶だった!

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

戦艦大和と武蔵は、日本人の「魂」と「技術力」の結晶だった!

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

戦後70年の今年、海に沈む戦艦武蔵が初めて発見され、世界中の注目を集めた。また、今年5月、呉市の大和ミュージアムは、開館10年で来館者が1,000万人を突破している。今なお、多くの日本人が戦艦大和と武蔵に特別な感慨...

日本海海戦…日露両艦隊の「総合戦闘力」を比較すると

三野正洋(元日本大学非常勤講師)

日本海海戦…日露両艦隊の「総合戦闘力」を比較すると

三野正洋(元日本大学非常勤講師)

    実際の、連合艦隊とバルチック艦隊の実力は?  これまで多くの類書が、明治日本海軍・連合艦隊(司令長官/東郷平八郎大将)と、ロシア海軍・バルチック艦隊(艦隊司令長官/A・ロジェストウ...

日本海海戦で敵艦隊を震撼させた「下瀬火薬」と「伊集院信管」

『歴史街道』編集部

日本海海戦で敵艦隊を震撼させた「下瀬火薬」と「伊集院信管」

『歴史街道』編集部

下瀬雅允(国立国会図書館蔵)   独自の火薬の凄まじき威力 明治38年(1905)の日本海海戦において、明治連合艦隊がバルチック艦隊相手を撃滅できた背景には、様々な要因があった。そのひとつが、バ...

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