圧倒的不利だった日本海軍...真珠湾攻撃を成功に導いた「世界初の空母機動部隊」
圧倒的不利だった日本海軍...真珠湾攻撃を成功に導いた「世界初の空母機動部隊」
現在の真珠湾 空母搭載の航空機の役割は偵察と着弾観測が常識とされる時代、日本海軍は世界初の空母機動部隊を築き上げた。世界が驚愕した、その奇抜ともいえる戦術の発想は、どこから生まれてきたのか? ※本稿...
歴史街道 » #戸髙一成の記事一覧
現在の真珠湾 空母搭載の航空機の役割は偵察と着弾観測が常識とされる時代、日本海軍は世界初の空母機動部隊を築き上げた。世界が驚愕した、その奇抜ともいえる戦術の発想は、どこから生まれてきたのか? ※本稿...
対米戦の中心となった日本海軍は、圧倒的な国力と軍備をもつアメリカに対し、いかに勝つつもりだったのか? そしてなぜ、不利と知りつつ開戦を回避することができなかったのか? ※本稿は、歴史街道編集部編『日米開...
太平洋戦争の最後の決戦といっても過言ではない「マリアナ沖海戦」。日本海軍はなぜ敗れたのか。そしてこの戦いは、その後の日米戦争にどんな影響を与えたのか─。 ※本稿は、歴史街道編集部編『日本陸海軍、失敗の研...
第二次世界大戦を左右した「航空戦力」。世界で最初に機動部隊を創設した日本は、「航空思想」において最先端を走っていた。その力は、真珠湾攻撃で存分に発揮されたものの、やがて日本軍は苦境に陥っていく。その要因は...
(写真提供:HPS) 「もしも山口多聞が機動部隊を指揮していたなら……」強大な米英海軍と戦わざるを得なかった昭和の日本海軍で、最後まで「見敵必戦」の姿勢を貫き、数々の果断を示したのが、海軍少将・...
日清・日露戦争で勝利し、米英に並ぶ「世界三大海軍国」となったが、第二次世界大戦では完膚なきまでに敗れた日本海軍。昭和の海軍は、それまでと何が違ったのか。その実力を組織、教育、技術の面から検証するとともに、...
山本五十六 真珠湾攻撃。その知らせに世界が驚愕したのは、米太平洋艦隊主力を壊滅させた戦果だけではなく、航空攻撃による奇襲という常識を覆す革命的な発想にあった。連合艦隊司令長官山本五十六はなぜ、この博打に...
世界で初めて空母同士が対決した珊瑚海海戦は、試行錯誤の連続だった。それだけに「洋上の航空戦」の戦訓を得る、絶好の機会でもあった。しかし、日本海軍はこのチャンスを見逃して、ミッドウェー海戦へと突入していく。...
古いタイプの将官たちを大量にリストラし、近代的な教育を受けた人材に置き換える。軍備の国産化を進め、陸軍の下に置かれた海軍の地位を改善する。山本権兵衛の下で日本海軍は発展し、その成果が日露戦争の奇跡的な勝利...
日本海軍400時間の証言 400時間にも及ぶ秘蔵の録音テープ……。日本海軍の中堅幹部が、先の大戦について戦後、語り合った肉声が残されていた。それらを収録した『[証言録]海軍反省会』(全...
「史上最大の戦艦」と「万能戦闘機」に日本人は何を託したのだろうか...。現在発売中の月刊誌『歴史街道』8月号の特集1は、「戦艦大和と零戦」と題し、開発の経緯から激闘の軌跡までを辿っている。 その中で、海軍...
北方領土(国後島) ?第116回海軍反省会 平成元年9月26日開催 日本海軍の中堅幹部が、先の大戦について戦後、語り合った肉声を収録した『[証言録]海軍反省会』(全11巻)。今回はその中から...
特攻出撃の準備をする零戦 本稿は平成元年9月26日に行われた、第116回「海軍反省会」において議論された内容である。 『[証言録]海軍反省会』第11巻 に収録されている。 海軍飛行予備学生で要務士であった小池猪...
回天 特攻兵器と作戦を決定したのは軍令部だが…… 本稿は、昭和56年2月13日に行われた、第11回「海軍反省会」において議論された内容である。 『[証言録]海軍反省会』第2巻 に収録さ...
昭和19年10月25日、敷島隊の特攻機が命中した、空母セント・ロー 本稿は昭和58年6月9日に行われた、第42回「海軍反省会」において議論された内容である。 『[証言録]海軍反省会』の第5巻 に収録されている。 ...
海軍大将・及川古志郎 海軍大将 及川古志郎(おいかわこしろう)の海軍大臣時代の評価のあり方について、第66回海軍反省会で、怒声混じりの大議論が繰り広げられた。 及川は第二次、第三次近衛文麿内閣...
山本五十六は戦艦無用論者だったのか? 第29回海軍反省会 昭和57年3月8日開催 太平洋戦争の開戦劈頭、日本海軍は、真珠湾攻撃によりアメリカの戦艦複数に大打撃を与え、また、マレー沖海...
現在の真珠湾 1941年12月8日、山本五十六大将の率いる日本海軍連合艦隊は、ハワイ、オアフ島の真珠湾米海軍基地を空襲し、太平洋戦争の火蓋を切った。当時の海軍戦力の主力であった戦艦に大打撃を与えたこの作戦は、日...
昭和16年(1941)12月、開戦を目前にした軍令部1部幹部。前列左より、第1課長富岡定俊大佐、宣仁親王中佐(高松宮)、第1部長福留繁少将、神重徳大佐(先任参謀)。後列左より、中野政知中佐(軍令部出仕)、内田...
イラスト:谷井建三 艦隊同士の決戦はどう行なわれる? ミッドウェー、ソロモン、マリアナ、レイテ…。70年前に終結した太平洋戦争において、日本海軍は多くの艦隊決戦を経験した。しかし、海戦とはそもそ...
「戦艦」と「軍艦」の違いは? 近年、関心が高まり続けている日本海軍の艦艇。しかし、意外と見落としがちなポイントもあるのでは? 例えば、「軍艦」と「戦艦」の違いは? 「大和」「武蔵」などの名前はどう決まる? こ...
戦後70年の今年、海に沈む戦艦武蔵が初めて発見され、世界中の注目を集めた。また、今年5月、呉市の大和ミュージアムは、開館10年で来館者が1,000万人を突破している。今なお、多くの日本人が戦艦大和と武蔵に特別な感慨...
なぜ本土から遠く離れたラバウルに、航空隊の一大拠点が置かれたのか。なぜ数多くのエースパイロットを輩出したのか。そして苛酷な消耗戦を続けざるをえなかったのはなぜか…。ラバウル航空隊の基本知識を紹介しよ...
「源田サーカス」の異名をとったスター・パイロットで、真珠湾攻撃を航空参謀として成功させた源田実。ミッドウエーの失敗などで毀誉褒貶はあるものの、彼の合理的発想と海軍省を動かす豪腕がなければ、343空は決して...
「源田サーカス」の異名をとったスター・パイロットで、真珠湾攻撃を航空参謀として成功させた源田実。ミッドウエーの失敗などで毀誉褒貶はあるものの、彼の合理的発想と海軍省を動かす豪腕がなければ、343空は決して...
更新:11月23日 00:05