徳川幕府はなぜ、260年も続いたのか~家康の巧妙な分断政策
徳川幕府はなぜ、260年も続いたのか~家康の巧妙な分断政策
優れた大名が数多く存在した戦国時代において、なぜ家康は天下人たりえたのか。また、徳川幕府はなぜ260年も続いたのか。 現代的視座から多角的な比較・分析を行い、家康が行なった巧妙な分断政策、世界に例を見な...
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優れた大名が数多く存在した戦国時代において、なぜ家康は天下人たりえたのか。また、徳川幕府はなぜ260年も続いたのか。 現代的視座から多角的な比較・分析を行い、家康が行なった巧妙な分断政策、世界に例を見な...
松平春嶽像(福井市・福井市立郷土歴史博物館前) ペリー来航をきっかけとして幕末動乱の幕が上がった。「開国か、攘夷か」の争いが倒幕運動へと転じていく中で、「尊王敬幕」の姿勢を貫き、挙国一致による新国家樹立...
庄内藩士が西郷隆盛の言葉を記録した『西郷南洲遺訓』。ここでは、仕事や人生に役立つ名言をピックアップし、現代風にアレンジして紹介する。 人生に関する金言 何事も、人間が決め手だ ...
英雄とか、英傑とかいわれた人たちは、よく言行録を残しているが、西郷隆盛の場合にはそれがない。福沢諭吉や勝海舟など同時代人が、膨大な自伝とか、言行録を書いたにもかかわらず、西郷はけっしてそういうものを残さな...
2018年大河ドラマの主人公、西郷隆盛。激動の時代こそ、この男に学べ。 西郷隆盛は、とても不思議な人物である。戦前と戦後で、歴史上の人物への評価が大きく変わるなか、西郷だけは一貫して慕われ続けて...
勝海舟はもとは身分の低い御家人だったが着々と出世し、徳川幕府が倒れる寸前には幕府の終戦最高責任者として江戸無血開城を果たした。 その後は明治新政府に参加し海軍大臣や枢密顧問官にもなっている。つまり勝は...
勝海舟 流れにのりながら自己を確立した横井小楠 ものごとは機に臨み、変に応じて処置せよ。 これは勝海舟の言葉ではない。横井小楠の言った言葉を彼が引用している。 「今まで会った人間...
勝海舟の人材観 勝海舟は、人材登用法についてこんなことを言っている。 「ぜんたい、薩摩から樺山資紀だの松方正義だのといって、名高い政治家が出ているのは、何の不思議なこともないのだ。薩摩...
※本記事は、童門冬二著『勝海舟の人生訓』より一部を抜粋編集したものです。 形式にとらわれていては、腹を割った話ができません 芯と芯とで話す、というのは勝海舟の一貫した接遇態度だった。それ...
※本記事は、童門冬二著『勝海舟の人生訓』より一部を抜粋編集したものです。 勝海舟という男は、西洋の学問を学んだから、かなり合理的な人物である。日本人的なウエットさはあまりない。その考え方や、感じ方や、...
※本記事は、童門冬二著『勝海舟の人生訓』より一部を抜粋編集したものです。 行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず この言葉は、勝海舟の全思想を表わしている。彼はこういう態度で自分の...
『歴史街道』2012年2月号 より 平家が源氏によって滅ぼされたため、歴史上、悪人のレッテルを貼られた平清盛。しかし、そのスケールは鎌倉幕府を開いた源頼朝を遥かに凌ぐ。なぜ清盛は旧弊な身分社会に風穴を開け...
更新:11月24日 00:05