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当たって砕けるには容器をこわせ~勝海舟の人生訓

2018年10月03日 公開
2022年07月05日 更新

童門冬ニ(作家)

勝海舟

※本記事は、童門冬二著『勝海舟の人生訓』より一部を抜粋編集したものです。
 

形式にとらわれていては、腹を割った話ができません

芯と芯とで話す、というのは勝海舟の一貫した接遇態度だった。それが、彼に、死を超越させた。つまり、いつも、

「死ぬ覚悟」で事に当たっていた。

慶応2年(1866)9月、勝は、一橋慶喜に命ぜられて、急に召し出され、長州に和平交渉に出かけた。

14代将軍徳川家茂の死んだ直後で、一橋慶喜は将軍になりたい気は充分あったが、目前の長州藩をどう処理するかで苦労していた。長州の鼻息が荒く、征伐に出かけてもどうも勝つ見込みがなさそうである。そこで、勝に和平交渉をさせて、長州側が恭順した形で、何とか和平にもち込めないか、という虫のいい役を勝にさせたのだ。勝は馬鹿馬鹿しいと思ったが、ともかく出かけた。

談判の場所に指定されたのは、安芸(広島県)宮島である。宮島には、長州人や勝を開国論者としてかねてから狙っている刺客がうようよ歩いていた。が、そんなことは今始まったことではないので、勝は平気だった。9月2日、宮島の大願寺で交渉が行なわれた。やってきたのは広沢真臣や井上馨達である。

この時の勝の官位は従五位で、安房守の官名をもっていた。また役職は幕府軍艦奉行である。広沢や井上は、その頃メキメキと売り出した長州藩の若手実力者だったが、そうはいうものの、この時代はまだ陪臣の身だ。つまり大名の家来だ。格が違う。談判とはいうものの、平等な立場で交渉はできない。広沢達は礼儀正しかった。

彼等は、大願寺の本堂の縁側に座って恭しく勝に頭を下げ、そこから動かない。勝は座敷の奥にいる。上座に座っている。いつまで待っても広沢達は入ってこない。そこで勝は言った。

「そこではお話ができませんから、どうかこっちへお通りなさい」

が、広沢達は、首を振って、

「いえ、幕府高官とご同席はできませんので、ここでお話を承ります」

と言った。勝は、

「いやどうも、大変にお行儀がよろしくて、おそれ入りました。しかし、私の方でも、大きな声を出さなければならないので、すみませんがどうかこっちへ通ってくれませんか」

もう一度誘った。広沢達は頑として動かない。もちろん、勝を警戒していることもあるが、それ以上に礼儀を守っているのだ。

(長州藩というのはなかなかしつけがいいな)

と感心しながら、勝は、さらにこう言った。

「とにかく、そこにいらっしゃったんじゃ話も何もできやしません。あなた方がお嫌だとおっしゃるのなら、私の方からそっちへでかけていきますよ」

そう言って、向こうが座っている場へのこのこ出かけて行った。広沢達は青年だ。笑い出した。そして、

「陽気がすずしいのに、あなたに風邪をおひかせしては申しわけありません。お言葉に甘えて、私どもがそちらに参りましょう」

そう言って座敷の中に入ってきた。やがて談判が始まった。しかしこの時勝は、

「長州藩主は、朝廷に対して無礼をはたらいたので、百日の閉門をさせなさい」

という軽い罰で済ませる案を話した。広沢達は目をみはり、

「本当にそんな程度で済みますか」

と聞いた。勝は、

「私が責任をもって済ませます」

と応じた。広沢達は、和平に応じた。が、これは結果として、勝が広沢達を騙したことになり、一挙に長州藩の信頼を失った。なぜなら一橋慶喜が勝の留守中に、天皇に強要して、

「先代将軍が亡くなったので、急拠講和を命ずる」

という勅語を出させてしまったからである。それも、長州藩主が恐れ入る、という形をとれ、と言っていた。つまり、長州藩が自発的に侵略地から兵を引け、というのだ。が、これは理屈に合わない。侵略したのは幕軍の方だったからだ。だから、勝のやったことは、二重に長州藩を騙して、時間をかせいだと思われた。

しかし、宮島での交渉は、勝の、

「当たって砕けろ精神」

が遺憾なく発揮された事件である。彼は、

「人間が腹を割って、芯と芯で話をするには、まず容器からぶち壊さなければ駄目だ」

と思った。それを実行した。それは、普通、こういう談判の席というのは、儀式がやかましくて、座る場所や、口のきき方なども、いろいろと面倒なものだが、そういう形式を一切かなぐり捨てた。そんな暇はない。腹を割った話をいきなりぶつけ合おう、という態度に出たのである。広沢達長州藩の青年は、勝に好感をもった。そして、

「幕府に、まだこういう人がいるなら、あるいは、平和交渉が成立するかもしれない」と、事実、平和裡に交渉を終らせたのである。それを一橋慶喜がぶち壊した。勝が腹を割って、大きなところで勝負に出たのに、トップの慶喜の方が、小細工を弄して、せっかくの勝の扱いをぶち壊してしまったのである。

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