夫・半藤一利の最後の言葉
夫・半藤一利の最後の言葉
2021年1?に逝去した昭和史の語り部、半藤?利?。?前最後の連載原稿を書籍化した『戦争というもの』が刊?される。 その本では、太平洋戦争下で発せられた軍人たちの言葉や、流行したスローガンなど、あの戦争を理解す...
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2021年1?に逝去した昭和史の語り部、半藤?利?。?前最後の連載原稿を書籍化した『戦争というもの』が刊?される。 その本では、太平洋戦争下で発せられた軍人たちの言葉や、流行したスローガンなど、あの戦争を理解す...
2021年1?に逝去した昭和史の語り部、半藤?利?。?前最後の連載原稿を書籍化した『戦争というもの』が刊?される。 その本では、太平洋戦争下で発せられた軍人たちの言葉や、流行したスローガンなど、あの戦争を理解す...
庄内藩士が西郷隆盛の言葉を記録した『西郷南洲遺訓』。ここでは、仕事や人生に役立つ名言をピックアップし、現代風にアレンジして紹介する。 人生に関する金言 何事も、人間が決め手だ ...
英雄とか、英傑とかいわれた人たちは、よく言行録を残しているが、西郷隆盛の場合にはそれがない。福沢諭吉や勝海舟など同時代人が、膨大な自伝とか、言行録を書いたにもかかわらず、西郷はけっしてそういうものを残さな...
勝海舟はもとは身分の低い御家人だったが着々と出世し、徳川幕府が倒れる寸前には幕府の終戦最高責任者として江戸無血開城を果たした。 その後は明治新政府に参加し海軍大臣や枢密顧問官にもなっている。つまり勝は...
勝海舟 流れにのりながら自己を確立した横井小楠 ものごとは機に臨み、変に応じて処置せよ。 これは勝海舟の言葉ではない。横井小楠の言った言葉を彼が引用している。 「今まで会った人間...
<<国際金融論の専門家である真田幸光氏。愛知淑徳大学の教授を務めつつ、官民問わず多くの顧問やアドバイザー業務、メディア出演、論文・雑誌の寄稿を多数行う。世界各国に独自の情報網を築き、各国の政治経済動向に精...
※本記事は、童門冬二著『勝海舟の人生訓』より一部を抜粋編集したものです。 行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず この言葉は、勝海舟の全思想を表わしている。彼はこういう態度で自分の...
今日は何の日 昭和23年4月17日 終戦時の宰相・鈴木貫太郎が没 昭和23年(1948)4月17日、鈴木貫太郎が没しました。太平洋戦争終結時の首相として知られます。今回はいくつかのエピソードを紹介しましょ...
板垣退助が愛国公党を結成 今日は何の日 明治7年(1881)1月12日 明治7年(1881)1月12日、板垣退助が愛国公党を結成しました。板垣退助は幕末の土佐藩士、維新後は自由民権運動に尽力し、「板垣死す...
「石門心学」の祖・石田梅岩が没 今日は何の日 延享元年9月24日 延享元年9月24日(1744年10月29日)、石田梅岩が没しました。江戸時代の思想家で、「石門心学」の祖として知られます。 梅岩は貞享2年、...
今日は何の日 文政11年8月18日 小林虎三郎が生まれる 文政11年8月18日(1828年9月26日)、小林虎三郎が生まれました。維新後、長岡藩大参事を務め、「米百俵」の逸話でも知られます。今回は虎三郎の...
今日は何の日 明治25年(1892)8月17日 ミッドウェーの闘将・山口多聞が生まれる 明治25年(1892)8月17日、山口多聞が生まれました。昭和の日本海軍きっての闘将で、ミッドウェー海戦で敵に一矢報い...
今日は何の日 寛永13年5月24日 独眼竜・伊達政宗が没 寛永13年5月24日(1636年6月27日)、伊達政宗が他界しました。奥州の覇者、独眼竜の異名であまりにも有名な戦国武将です。 「仁に過ぐれば弱く...
今月のお題は「名言」。編集部女子が好きな言葉は、室町時代の歌謡集『閑吟抄(かんぎんしょう】』に収められた一節 「何しょうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」 。どうせ一生は夢のようなものなのだから、まじめくさ...
更新:11月21日 00:05