2021年1⽉に逝去した昭和史の語り部、半藤⼀利⽒。⽣前最後の連載原稿を書籍化した『戦争というもの』が刊⾏される。
その本では、太平洋戦争下で発せられた軍人たちの言葉や、流行したスローガンなど、あの戦争を理解する上で欠かせない「名言」の意味とその背景を解説している。「戦争とはどのようなものか」を浮き彫りにした、後世に語り継ぎたい珠玉の一冊である。
本稿は、妻でエッセイストの半藤末利子さんによる解説から、戦中のエピソードや亡くなる直前の半藤氏の言葉を紹介する。
※本稿は、半藤一利 著『戦争というもの』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
私の夫である作家の半藤一利 は、近代史や戦記物を多く書き残しました。 夫もまだ若かったある日のこと、彼は誰かに「お前、戦争にも行かないく せによく偉そうに戦争のことが書けるな」と揶揄されました。
俄然憤慨した彼は、「この野郎!若すぎたから戦場には行かなかったけれど、俺だって戦争体験ぐらいあらー」と、怒鳴り返して、命からがら逃げまどった自身の体験を書くようになりました。
夫の家は向島にあり、商家でした。昭和20年(1945)3月の東京 下町大空襲の時には、向島の真上にも連合軍の爆撃機が飛来して、ボンボンと焼夷弾を落としました。たちまち夫の家も焼け落ちました。
夫は、夫の父と二人で燃え盛る火から逃れ、川に向かって走り続けまし た。火の勢いはどんどん迫ってきます。その途中で夫は、焼け焦げた死体や赤ちゃんを抱っこしている女性の髪がメラメラと燃え上がる様子、つまり人 間が燃えている光景を幾度となく目にしました。
夫はとうとう父ともはぐれてしまいました。心細い限りですが、とにかく川まで走らなければなりません。 夫の母と妹と二人の弟は、一足先に茨城県の母の実家に疎開したので、この空襲には遭わずに済みました。
やっと川に辿り着くことができた夫は、溺れかけている人々の救助を手伝 おうとして、逆に川の中に引きずり込まれてしまいました。追ってくる火の勢いからは逃れましたが、水中に入るとどちらが川面 か川底か見当がつきません。
水の中でしばらく藻搔いているうちに、履いていた長靴がするりと脱げ、 それが沈んでいく方が川底なのだと気づきました。それで川面めがけて頭を出すと、おじさんが彼の坊主頭を摑んで、舟へ引き上げてくれました。
こうして彼は、焼け死ぬことも溺死することもなく、生き残ったのです。 その後、燃え尽きた自宅付近ではぐれた父と再会し、お互いの無事を確認 し合いました。二人ともどんなに嬉しかったことでしょう。夫は紛れもなく、完璧な戦争体験者であり、しかも戦争犠牲者であります。
更新:12月12日 00:05