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#史記の記事一覧

始皇帝の死後、「陳勝・呉広」はなぜ反旗を掲げた? 農民反乱の火種となった圧政

島崎晋(歴史作家)

始皇帝の死後、「陳勝・呉広」はなぜ反旗を掲げた? 農民反乱の火種となった圧政

島崎晋(歴史作家)

↑陳勝・呉広が挙兵した大沢郷の渉故台(写真:筆者、以下同) 大ヒット漫画『キングダム』を読み、秦王政、のちの始皇帝に興味を抱いたという方も多いだろう。彼の時代を知るための史料といえば『史記』があるが、そ...

「秦王政を討て!」のちの始皇帝を襲った、刺客・荊軻の恐るべき暗殺計画

島崎晋(歴史作家)

「秦王政を討て!」のちの始皇帝を襲った、刺客・荊軻の恐るべき暗殺計画

島崎晋(歴史作家)

↑河北省易県の荊軻塔(写真:筆者、以下同) 大ヒット映画『キングダム 大将軍の帰還』を観て、秦王政、のちの始皇帝に興味を抱いたという方も多いだろう。彼の時代を知るための史料といえば『史記』があるが、その...

キングダムの時代を書き残した『史記』が別格な理由は? 司馬遷の革新的な筆致

島崎晋(歴史作家)

キングダムの時代を書き残した『史記』が別格な理由は? 司馬遷の革新的な筆致

島崎晋(歴史作家)

(国立公文書館蔵) 大ヒット映画『キングダム 大将軍の帰還』を観て、古代中国の戦国時代に興味を抱いたという方も多いのではないか。その時代を知るための史料といえば『史記』が有名だが、その史書としての真価といえば、ほ...

「法の弊害、これほどか...」自ら制定した法律で落命した“商鞅の悲劇”

島崎晋(歴史作家)

「法の弊害、これほどか...」自ら制定した法律で落命した“商鞅の悲劇”

島崎晋(歴史作家)

秦公一号大墓(陝西省宝鶏市鳳翔区)。春秋時代後期のもので、東西86.3メートル、南北20メートル、深さ14.6メートルに及ぶ 商鞅は秦の君主・孝公に仕え、法家思想を基に刑法を次々に制定し、のちに天下統一を果たす秦...

嫉妬心で韓非を死に追いやり...始皇帝に仕えた李斯の“したたかな処世術”

島崎晋(歴史作家)

嫉妬心で韓非を死に追いやり...始皇帝に仕えた李斯の“したたかな処世術”

島崎晋(歴史作家)

李斯(西安市内にある二世皇帝胡亥陵公園にて) 秦王・政を支えた3人の臣下、李斯・韓非・尉繚。それぞれ優れた頭脳を持って王に献策をしたが、時には策略にはまり窮地に陥ることも。韓非の人生を狂わせた李斯の嫉妬と...

なぜ呂不韋は相国に登りつめた? 人質だった子楚を見出した「商人の才覚」

島崎晋(歴史作家)

なぜ呂不韋は相国に登りつめた? 人質だった子楚を見出した「商人の才覚」

島崎晋(歴史作家)

秦の昭王と趙の恵文王が和議を結んだ秦趙会盟台(河南省三門峡市澠池県) 呂不韋は類まれなる頭脳を武器に、秦の相国にまで昇りつめた傑物だ。元々は韓の商人だった男が、いかにしてその地位を得たのか。先見の明によ...

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