かの西郷隆盛が愛読したことで知られる『言志四録』は、少し敷居が高い古典と思っている人も多いのでは。しかしそのイメージとは裏腹に、現代人の不安な心を、ふわりと軽くしてくれる言葉が、数多く記されているのだ。
『言志四録』は、江戸時代晩期の大儒学者・佐藤一斎が書き残した4部にわたる著書の総称である。
佐藤一斎は、西郷隆盛・吉田松陰・坂本龍馬……といった幕末の英傑たちが師事し、その生涯にわたる門弟は延べ3千人。そんな一斎が、人々の心に響く言葉を箇条書き風につづったのが、『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志耋録』の4部から成る『言志四録』だ。
一斎が42歳から83歳にかけて書き続けたその内容は、儒学の高邁な論理から、日常の些細な教えに至るまで、じつに幅広い。
本稿では、その4書全1133項目という膨大な数の内容から、新型コロナウイルスの騒動によってダメージを受けているわれわれの心を、少しでも軽く、明るくしてくれる言葉の原文書き下しの一部とともに、筆者なりの解釈も含めてご紹介していきたい。
年末年始、まずは一節、触れてみてはいかがだろうか。
※本稿は、雑誌『歴史街道』2020年7月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。
人には、誰でも「役割」というものが天より与えられている。では、その「役割」とはどんなものか。元より「天」が与えたものなのだから、他人に分かるはずがない。誰かに教えられたり、強制されたりするようなものでもない。
だったら、その「役割」をどうやって知るのか。「自分は何のために生きているか」という問いに、どう答えを導き出すのか。
簡単な話である。自分で勝手に答えを決めてしまえば、よいのだ。「自ら」考えて「自ら」判断する。「私は、こう生きる」と、自分の心で決めてしまえば、それでよい。
それが、大きいものか小さいものか、そんな事の大小は、どうでもよい。誰かたった一人の大切な人の人生を手助けすることでも、どんな分野であれ自らが願う理想を世の中に広く訴えることでも、自分が「こう」と決めたのなら、それが自らの「役割」なのだ。
自らの「役割」を自ら決めてこそ、人生は、本当に明るく楽しく、充実感を得られるものとなる。
周囲に見える自然の姿を、心静かに眺めてみよう。川は上流から下流に流れ、春になれば花が咲く。その変化には、何の「無理」もない。
川が無理矢理に下流から上流に流れることもなければ、花が無理をして冬に咲くこともない。皆、何の「無理」もせず、その変化は、元より「あるがまま」のこととして存在している。
私たち人間も、自然の一部だ。だから、あるがままでいれば、それでよい。「あるがままの自分」に素直に納得し、それを認めればよい。
自らの人生に、自ら「無理」を強いることは、本来あるべきではない。
心とは乱れるものではない。外から乱されるものだ。心が何かに迷い、苦しむとしても、心そのものに罪はない。自らの心を責める必要も、ましてや否定する必要もない。
外の世界に何が起ころうと、身近にどんな難問が起ころうと、それでも「私は私だ。私はこれでよいのだ」という強い自信さえあれば、心の中に乱れは入ってこない。
外に生じた問題に対して「なんだ。こんなことで私は乱されないぞ」と思えれば、いつでも気持ちは晴れ晴れとしていられる。
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今人おおむね口に多忙を説く。その為す所を視るに、実事を整頓するもの十に一、二。【言志録31】 >
更新:11月21日 00:05