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常陸坊海尊~源義経の伝説的な家臣は弁慶だけじゃない!

2020年07月21日 公開
2022年03月18日 更新

鷹橋忍(作家)

恐ろしい「疫病神」のように

弁慶にしても、海尊にしても、その活躍が描かれるのは、義経が華々しく歴史の舞台に登場し、天才の名をほしいままにした源平合戦ではなく、義経の失脚後からである。

義経と頼朝との対立が激化し、文治元年11月3日、義経は都落ちした。伝承によると、弁慶はもちろんのこと、海尊も義経に同道したという。

『吾妻鏡』によれば、義経一行は11月6日(『玉葉』では5日)に、大物の浦(現兵庫県尼崎市)から出航しているが、急な疾風によって難破。一行はバラバラになってしまい、義経は残った一行と摂津の天王寺付近で一夜を過ごしたのちに、消息を絶っている。

その頃の出来事として、『義経記』では海尊の活躍を描いている。

大物の浦で、海尊と弁慶は褐の直垂を纏い、弁慶はその上に黒革縅、海尊は黒糸縅の鎧を身につけ、小舟を駆って、敵船のなかに突入している。その光景は、疫病神が列をなしたような、恐ろしげなものだったという。

敵方の武士・小溝太郎はたった二人で乗り込んできたのが海尊と弁慶だと知ると、「それならば手に負えない」と大物の浦の方向に船を向けさせているので、二人の武勇は知れ渡っていたようだ。

その後も、義経を取り巻く状況は、どんどん厳しくなっていく。頼朝に義経追討の宣旨が下り、諸国に守護・地頭の設置が勅許され、軍事権、警察権を鎌倉幕府が掌握。翌文治2年(1186)には、義経に対する大捜索網が形成された。

その結果、義経の縁者が次々と捕らえられ、誅殺、あるいは自害に追い込まれていく。

追い詰められた義経は、再び藤原秀衡を頼ろうと、文治3年(1187)2月十10日、山伏に姿を変えて、妻子とともに、第二の故郷ともいうべき奥州へ下った。

このとき『義経記』によると、義経一行が山伏に化けて奥州へ逃れようとする際に、弁慶は「小先達は海尊がいい」と提案し、自分は大先達を務めている。

先達とは、修験道で登山する際に、同行者の先頭に立って、案内・指導をする者を指す。そのうち、先輩格を大先達、後輩の者を小先達というので、二人の立場は弁慶が上だったのかもしれない。前述の大物の浦においても、弁慶は海尊へ船を漕ぐよう命じている。

また、この逃避行でも海尊は、臆病で逃げ足の速い人物として描かれている。

『義経記』によれば、義経一同は関所で関守に疑われた。しかし、弁慶の機転で何とか切り抜けることに成功。すると、「常陸坊は人より先に出でたりけるが、後を顧みければ、判官と武蔵坊は未だ関の縁にぞ居給へり」と、ここでも主君である義経や、弁慶を置いて、誰よりも先に、その場から立ち去ろうとしているのだ。
 

衣川合戦のとき、海尊は…

このように、『義経記』で語られる海尊像は、ときに弁慶と対比的だ。おそらく、弁慶という伝説のヒーローの誕生に伴い、海尊像も創作され、膨れあがっていったとみられている。いわば海尊と弁慶は、合わせ鏡なのだ。

海尊と弁慶が際だって対照的に描かれているのは、衣川合戦だろう。衣川合戦とは、かの有名な「弁慶の立ち往生」の伝説を生んだ、義経の最後の戦いである。

頼朝の大捜索網をくぐり抜け、義経一行は、文治3年2月末までに、無事に奥州に辿り着いた。『義経記』によれば、藤原秀衡は義経を歓待したという。

奥州藤原氏は、平泉を拠点に、東北地方に勢力を誇った大豪族である。三代目当主である秀衡は最盛期を築き、「北方の王者」と呼ばれた。

頼朝といえども、迂闊には手出しができず、義経はしばらくは平和な日々を送った。

だが、同3年10月29日、その秀衡が、没してしまった。当主の座を継いだ泰衡は、ほぼ1年半の間、頼朝の圧迫に耐えたが、文治5年(1189)閨4月30日、衣川の居館にいた義経らを急襲した。

『義経記』によれば、敵方の500騎に対して、義経の軍勢は弁慶以下、僅かに8人。圧倒的劣勢のなか、弁慶は義経を守って戦い抜き、大薙刀を杖に、笑いながら立ち往生するという壮絶な最期を遂げ、義経も31歳という若さで、妻子と自害した。

この最大の見せ場ともいうべき最後の戦いに、海尊は参戦していない。なぜなら、戦い当日の朝、海尊をはじめとする11人の者たちは、近くの山寺へ参拝に出かけたまま、戻ってこなかったからだ。

海尊らを「義経を逃亡させるための先遣隊だった」とする見方もある。だが、『義経記』では、「常陸坊を初めとして残り11人の者ども、今朝より近きあたりの山寺を拝みに出でけるが、その儘帰らずして失せにけり、言ふばかりなき事どもなり」とあり、海尊らの行動を嘆いたり、非難の目を向けたりしているようにも受け取れる。わざわざ海尊の名前だけが挙げられているのは、彼が主導した裏切りだったからだろうか。

いずれにせよ、いかにも逃げ足の速いとされた海尊らしい逸話である。同時に、これは新たなる海尊伝説の始まりでもあった。

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