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黒田如水と金森長近、秀吉に仕えた二人の意外な晩年とは?

2025年07月25日 公開

鷹橋忍(作家)

福岡城

人生とは何が起こるかわからないもので、それは戦国時代も変わらない。才知をもって家を守り抜いたかと思えば、晩年に思わぬ辛さを味わう者もいれば、城から追われる悲運を味わいながら、悪くはない最期を迎えた者もいる。ここでは、豊臣秀吉に仕えた二人の武将の晩年を紹介しよう。

 

戦さに明け暮れた男が迎えた風雅な日々・黒田如水

黒田如水は、天文15年(1546)11月、黒田職隆の嫡男として、播磨国姫路に生まれた。幼名を万吉という。のちに祐隆、孝隆(考隆)、孝高などと名乗り、48歳の時に出家して、如水と号した。

父・職隆は、播磨国守護赤松氏の一族とされる小寺家の重臣で、如水も小寺家に仕えた。

天正3年(1575)ごろ、織田と毛利が勢力を拡大するなか、如水は主君の小寺政職らに、織田信長への従属を進言した。

のちに如水自身が織田家に属するようになり、本能寺の変で信長が死去したのちは、羽柴秀吉の天下統一事業のために力を尽くしていく。

天正15年(1587)に秀吉が九州を平定すると、如水は豊前六郡を与えられた。

天正17年(1589)、44歳のとき、嫡男の黒田長政に家督を譲る。だがその後も如水は、文禄・慶長の役に出陣。関ケ原合戦では東軍として、長政は関ケ原で、如水は九州で戦った。

関ケ原合戦後、長政に筑前一国(怡土郡の一部を除く)が与えられ、黒田家は52万石の大大名に上り詰める。このとき如水は55歳、晩年を迎えていた。

細川幽斎と並び称される文化人だった如水は、連歌と茶の湯を特に好んだ。福岡城の築城中には、連歌師の信仰を集める太宰府天満宮のそばに仮住まいを作り、神官たちを招いて、和歌や連歌三昧の日々を謳歌したという。戦いに明け暮れた如水にとって、筑前の風雅な日々は、心癒されるものだっただろう。

だが、穏やかな日々は、長く続かなかった。慶長8年(1603)から如水は体調を崩し、翌慶長9年(1604)3月20日、京都伏見で客死した。享年59だった。

辞世の句は おもひをく 言の葉なくて  つゐに行く 道はまよはじ   なるにまかせて である。「思い残すことはない。あとは潔く、なるにまかせる」(諏訪勝則『黒田官兵衛「天下を狙った軍師」の実像』)。 

戦国乱世を全力で駆け抜けた如水にふさわしい句である。

 

後半生の都市建設が現代に繫がった――金森長近

「都市建設の名手」といわれる金森長近は、大永4年(1524)に、美濃国で生まれた。父は大畑定近といい、近江国野洲郡金森(滋賀県守山市金森町)に移ったことから、金森氏を称したという。

長近は天文10年(1541)、18歳のとき、尾張の織田信秀(信長の父)に仕官し、当時八歳だった信長の養育係になったといわれる。初名を可近といったが、信長から一字を与えられ、長近と名を改めた。

天正3年(1575)、戦功により、越前国大野(福井県大野市)に封じられ、53歳になった長近はこの地に城下町を築き、自身の構想で都市建設を行なったという(越澤 明『近江国金森と金森長近 都市計画と産業振興の名手』)。

信長の死後は、秀吉に仕えた。

天正13年(1585)、長近は秀吉に命じられた飛騨平定を成功させている。その功績により、飛驒国3万3000石(3万8000石とも)を与えられ、天正14年(1586)8月に入国した。

長近はすでに63歳になっていたが、飛驒を繁栄させるため、商業や経済に重点を置いた町作りをはじめた。高山城(岐阜県高山市)と城下町の建設に着手して、街道を整備し、流通の利便性を向上させた。さらに職人を保護し、鉱山資源や山林資源の開発にも取り組んだ。

長近は秀吉の死後、徳川家康に仕え、慶長13年(1608)8月12日、伏見で亡くなった。享年85という長寿であった。

この金森長近にゆかりがあることから、令和2年(2020)2月、滋賀県守山市、福井県大野市、岐阜県高山市の三つの市の間に、「災害時相互応援協定」が締結され、災害時には互いに助け合うという。 長近もきっと喜ぶに違いない。

 

【鷹橋忍(たかはし・しのぶ)】
昭和41年(1966)、神奈川県生まれ。洋の東西を問わず、古代史・中世史の文献について研究している。著書に『戦国武将の合戦術』『滅亡から読みとく日本史』などがある。

 

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