なぜ徳川家康は“織田家の菩提寺”を移転させた? 名古屋に残る「関ケ原の影響」
なぜ徳川家康は“織田家の菩提寺”を移転させた? 名古屋に残る「関ケ原の影響」
写真:名古屋城の天守と本丸御殿 関ケ原合戦で徳川の天下が定まったように見えるが、戦いは終わったわけではなかった。それを強く感じ取れる場所こそ、名古屋だ。豊臣政権の創始者・秀吉、徳川家康、そして加藤清正。この三...
歴史街道 » #加藤清正の記事一覧
写真:名古屋城の天守と本丸御殿 関ケ原合戦で徳川の天下が定まったように見えるが、戦いは終わったわけではなかった。それを強く感じ取れる場所こそ、名古屋だ。豊臣政権の創始者・秀吉、徳川家康、そして加藤清正。この三...
戦国武将のイメージの「通説」は江戸時代以降に作られたものが多い。鈴木眞哉著『「まさか!」の戦国武将 人気・不人気の意外な真相』(PHP文庫)では、名将たちの意外な評価を解き明かしているが、ここでは本書より...
加藤清正像 「早く戦に出て、華々しい手柄を……!」。逸る気持ちで出陣する者もいれば、敵におびえ、前に進めない者も──。後に名を残す武将たち、それぞれの初陣。 ※本稿は歴史街道2020年6月号特集...
心優しき猛将・立花宗茂 立花宗茂は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将だ。筑後(福岡県)柳川に拠点を構え、豊臣秀吉に可愛がられた。秀吉が宗茂を知ったのは、島津征伐のときだ。当時、北九州を...
今日は何の日 永禄5年6月24日 加藤清正が尾張国中村に生まれる 永禄5年6月24日(1562年7月25日)、加藤清正が尾張国中村(現在の名古屋市中村区)に生まれました。豊臣秀吉子飼いの家臣で、賤ヶ岳七本槍の一人...
今日は何の日 慶長15年6月3日 加藤清正が名古屋城の天守台石垣を普請 慶長15年6月3日(1610年7月22日)、名古屋城の天守周辺が加藤清正によって築かれました。天守台石垣は、清正の極めて高度な技術によって築...
今日は何の日 寛永9年5月22日 肥後熊本の加藤忠広が改易 寛永9年5月22日(1632年7月9日)、加藤忠広が幕府より改易を命じられ、父・清正から受け継いだ肥後熊本藩を失いました。幕府に警戒されたためともいわ...
『歴史街道』2014年11月号 [総力特集:官兵衛と関ヶ原より 「天下惣無事」崩壊…九州を切り取り、第三極のキーマンを目指す 大名間の領地をめぐる私戦は一切許さず、従わない者は天皇の...