2019年11月13日 公開
正確な記録はないが、千両富が始まったのは文化文政期(1804~30年)と思われる。一枚二朱の富札が千両に化けるのだから、庶民の間で熱狂的な人気となった。
江戸期の物価を現代に換算するのは難しいが、二朱は約1万円、千両は約1億3000万円ほどだろうか。江戸期の庶民の年収は200万円から400万円ほどだったから、まさに夢の富籤である。女房や娘を売ってでも、富札を買おうとした者が少なくなかったのは、想像に難くない。
ただし、富札一枚1万円というのは、高額過ぎたのも事実である。2018年の年末宝くじは一枚の価格が300円だったから、33倍以上である。おいそれと買うことはできなかった。
私は9月に『天保十四年のキャリーオーバー』という七代目市川団十郎を主人公にした時代コンゲーム小説を上梓したのだが(それは何のジャンルの小説なのだろう)、そのために江戸期の富籤についてかなりな勢いで調べていった。
わかったのは、江戸期における富籤が現代の宝くじとほぼ同じシステムだった、という事実である。賞金の高騰、抽せん方法、当たり番号に前後賞や組違い賞があるのも、江戸期から変わっていない。
原理的に簡単な博奕であり、管理体制に問題がなければイカサマを防止することもできた。ある意味で「安全な」博奕だったため、幕府も認可したのだろう。
さて、この10年、宝くじを買い続けている者として、怖いのは賞金の高額化である。
2018年の年末ジャンボ宝くじの賞金は、一等、前後賞合わせて10億円という額だった。ここまでくると、庶民のささやかな夢というレベルではない。
もう一度言うが、10億円である。洒落にならない金額で、おかしなことを考える者が出てきても不思議ではない。更に言えば、LOTO7においては、この原稿を書いている2019年10月の段階で、キャリーオーバーが29億円を超えているのである。
IR推進法の成立により、10年以内に日本国内にカジノが誕生するはずだが、10億、20億という金が動くカジノは、日本において存在しないと思われる。ギャンブル依存症を懸念して、IR法案に反対する人がいるが、それよりも宝くじの高額賞金の方がよほど危険だ、と私は思っている。
今年の年末ジャンボで、私は結構な勢いで宝くじを購入する予定である。何が怖いって、私は自分が怖い。お後がよろしいようで。
更新:11月23日 00:05