そうして今度は20年6月9日、米国の大統領が中国の宗子文に対し、ヤルタ秘密協定を履行するということはソ連の対日作戦参加上、必要である旨を強調しているわけです。そうして6月15日にヤルタ会談の秘密協定の内容を米国の駐華大使が蔣介石にそれを通報しているんです。こういうような関係があるんですが、これが今度は米国のほうから言うと、終戦という問題にソ連が入ってくると非常に面倒だと。だからソ連が対日参戦をしない前に終戦に持っていきたいというのが、米国の焦りであります。まあそういうような関係が日ソ中立条約とヤルタ会談の関係になっております。
次に今度は中国と和平交渉の関係という項目があります。これは日本の支那事変が起こって、中国に対して宣戦布告というものをやっておりませんので、日ソ中立条約というものは表向きには何の役目も果たし得ないわけです。これは日中宣戦布告があって、日中が戦争状態であるということが国際法上適用されれば、ソ連が日ソ中立条約でしばられて蔣介石政権を援助するということができない効力が発生するはずなんです。ところが日中戦争は国際法上の戦争になっておりませんので、ソ連に蒋介石政権の援助をやめてくれということを正式に申し上げる何の根拠もないわけです。だからそういうところに大きな手抜かりがあって、日ソ中立条約というものは日本にとっては何の有効な役目もしなかった。
ところが16年6月22日に独ソ開戦ということが出てきますと、この中立条約を最も有効に活用したのが、ソ連であります。これは日本がソ満国境でソ連に仕掛けてくることが絶対にないという安心感を与え、それでシベリアの兵力をヨーロッパに送って、対独作戦に全力を挙げることができたわけです。それはね、日独伊三国同盟がありながら日本はドイツに何の力も与えていない。そして独ソ戦で(ソ連が)盛り返したのは日ソ中立条約のおかげで、ソ連が東を安心して西の戦争に向かった。そしてそれがやがて独ソ開戦でソ連が勝利を決める結果になったわけです。だからこれをもう少し端的に考えてみれば、日独伊三国同盟というもので、日本が本来ならばドイツを有利にするような働きをしなきゃならんはめになるのですが、実際は何の力にもなり得なくて、結局三国がついに第二次大戦で敗戦の憂き目に遭うという発端を、日ソ中立条約が担っていると見ても過言ではなかろうと思う。そういうような関係が日ソ中立条約の大きな影響であると思う。だから日中和平工作というのはドイツが先に中に入るわけですが、結局、陸軍が押しまくって、「蒋介石相手にせず」で、結局戦争の和平をする相手がないということになってくるので、これは和平に持っていく可能性がなくなるわけ。それに対しては参謀次長の多田(駿・士15)中将が猛烈に反対したんですが、結局「蔣介石相手にせず」の声明を出すことになるわけです。そのために今度は大本営政府連絡会議っていうのがその件を契機として第二次近衛(文麿)内閣ができるまでの間は中絶をする。そしてその間は五相会議とか四相会議とかっていうのが国の動きを決めていくはめになってですね。閣議というものが非常に軽く見られる世の中が現出をしているわけです。
本来ならば国家の動きを決めるのは閣議一致で決めなくてはならんはずの問題でありますが、それが四相会議、五相会議なんていう特定の閣僚だけが集まって色々決める。その決める五相会議、四相会議の中心人物は、陸軍大臣と海軍大臣であります。この陸軍大臣、海軍大臣になる人事と、それからこの背景っていうことを選択しなくてはならんわけでありますが、それをまた補佐すべき陸軍の軍務局長、それから海軍の軍務局長っていうのが問題になりますので、こういうのは別途に研究をする必要があります。
(後略)
更新:11月24日 00:05