寺崎 あの、末国(正雄・兵52)さんね。人事問題は中央問題だと思うんです。今はあのソ連の状況、及び今後のですね、あなたから見て例えば北方領土なんかの問題があるわけだ。ああいうのはとっても絶望だと私なんかは思っている。ソ連の条約破り。大事な問題に対してね、違反を平気でやる国だと私は思うんですよ。そういう点を一つ。
末国 これはね、ソ連という国の歴史を日本に関係するところだけ眺めても日露戦争の原因になった、清国とロシアの条約の蹂躪、それから日ソ条約の蹂躙。こういうようなソ連の伝統があるわけです。こういうものから見ると千島の返還をいくら言ってもね、これは世界の世論が出てこない限り、日本がいかに言っても蟷螂の斧に過ぎない。
(テープ切り替え)
端的に言えばね、日本は八方美人的に振る舞う以外には、日本を保全していく方法はまず百年待っても出てこないというのが私の独断的考えで、これは機会があったらね、私が日本の国防とはなんぞやという論文をある程度まとめてどっかで発表しようと思って、気の付いた事項は書き留めているんです。それはね、経済戦争とか思想戦争とかね、技術戦争とか色んなものがあるわけ。これがみんなことごとく一種の戦争なんですよ。その戦争に負けるか勝つかっていうことが日本領土を保全するかってことなんです、と思う。
寺崎 だいたい、いいですか。
大井 あのね、東清鉄道ね。日本買収したでしょ、あれはいつでしたか。日ソ不可侵条約か日ソ中立条約か。なんだかの意味で関係あると思うんですが。
末国 日ソ不可侵条約はね、ソ満国境なんですね。
大井 あの、ハルピンからずっとこう鉄道を買ったでしょ。
末国 鉄道の権利ということには日ソ中立条約にはふれていない。
大井 うん、それでね、条約には触れておらんかもしれないけれど、買ってますからね。買ったのは、私がアメリカに行っている頃じゃないかと私は思うんですがね。昭和5年か6年か。あの頃だろうと思うんです、って言うのはね、あの頃はソ連からたくさん日本にスパイが来たわけだ。東清鉄道を売るから。その売る代わりにね、日本の工場とか色んなものを見せてくれと言われて、そのためにヨハン・タラニっていう人が本を書いていますけれども。日本に来て、大阪の工場だとかあそこの工場だとかざーっとやってね。そしてこのスパイがうんと来ているわけです。ところがこれがちょうどその日ソ不可侵条約を盛んに向こうが横から言ってきている頃なんですね。
末国 そのあたりにね、ソ連の魂胆があるんじゃないか。それからね、ソ連が日本の樺太利権を日本が放棄すれば、こういうことをやってもいい、というのを申し出ている時期があるんです。それと関連してね、私は今後シベリアの開発問題ですね。シベリアの開発にですね、日本が投資をして協力することは不見識だと。そこで私が考える問題は、北方領土を返すならば、シベリアの開発に日本は協力してもいいというようなことを思い切ってね、ソ連に提案するだけの政府に勇気があるかどうか。
そういう問題も私は今考えているんです。だから北方領土を返せと、そしたら日本はシベリアの開発に相当の協力をするということは、シベリアの開発投資の金で千島を買い取るっていうことになるんですね、裏を返せば。だからシベリアに投資をして開発したってね。すぐソ連に没収されてしまうことは明白ですからね。だから経済界がシベリア開発に協力をするという態度を日本が取るということは、経済界はよほど考えてもらわんといかんということを私は考える。
大井 それからね。不可侵条約と中立条約っていう名前は(内容が)どの程度変わるんですか。
末国 名前はね、「日ソ中立条約」っていうのが本物らしい。
大井 しかし前は中立条約なんてあんまりほかのところでは言いませんわな。何で中立なんていうことを言ったか。あれがまたこういう、向こう側が出したのかこっち側が出したのか。
末国 これは陸軍の甲谷(悦男・士36)ですよ。彼がね、これを参謀本部の戦争指導課が言い出したのはね、本当に誤りだったっていうのを彼は戦争後にそれを言っているわけ。それまでは陸軍はこれがうまくやったと思っていたわけ。これは失敗です。というのはね、日支事変なるものが戦争状態でないということを忘れているわけ。
大井 その中立条約なんてね、名前あんまりほかで使わないのをね、どうして特別に中立って(使ったのか)。前にあなたの調べたのを見ると、全部「不可侵条約」と書いてあるのに。なんで「中立条約」っていうふうにしたか、そこのところね、日本側の気持ちがあるわけですね。
末国 第一条の中にね、「締約国の領土の保全及び不可侵を尊重することを約す」となっている。
大井 じゃ、不可侵条約でいいじゃない。
末国 だけど外務省が決めた公布条約の官報があるでしょ。あの条約を決めたときには官報で公布しますね。その官報に確かに中立条約と書いてあったと思う。
豊田 それはね、結局、松岡(洋右)の外交のことだからね。だから日本の背中を安全にしておいて、そして太平洋に全海軍の力を見せつける。そしてソ連が入らないぞという形を作って、そして対米交渉をね。日米交渉をやっている途中だから。松岡(洋右)が自分の考え方でやろうというプランを描いていたから。
大井 あれね、松岡(洋右)がヒトラーと会ってきてさ、その帰りにあの条約をやる。
豊田 だからね、ドイツ側から非常に止められた、やっちゃいかんて。
寺崎 だいたい説明が終わったみたいですから、何かご質問のある方、日ソ関係。
大井 松岡(洋右)、海軍省の大講堂で大演説をしたね。スターリン(Joseph Stalin)に抱きつかれたなんていう話をしてね。
寺崎 今、末国(正雄・兵52)さんが説明した通りだと思いますが。ただね、僕、ピエトル大帝時代からずっとあのソ連のやり方を研究してみて、平泉(澄)博士なんかは、南樺太の返還問題な、明治維新か、あるいはその前から青木(周蔵)っていう外務大臣かなんかおったんだが、あれが行ったときにね、南樺太は自分のものだって言って頑張っておった。あれ君のところの天文台を案内してくれって見たいからって言ったら、天文台の地図には南のほうは日本領って書いてあるそうだ。
そういうのが自分では分かっておるんだけれども、噓八百言っておって、その自分の野心を通そうっていうそういうあてにならない国だって言って、平泉(澄)博士は歴史的にこんこんと言われた。そういうところは昔からあの国は自分の侵略っていうか南に出たいっていう、そういうことが伝統的なんだな。取ったところは返さない。本当の彼らの真意を理解しないと、日本では間違った判断を下すんじゃないですかね。
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更新:11月24日 00:05