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日米開戦を「近衛総理に一任」した及川古志郎海相を、元・海軍中堅幹部はどう評価するのか

2018年12月18日 公開
2022年07月13日 更新

海軍反省会

戦後に流布した「及川批判」には嘘がある

大井 私もあるんですがね。

9月6日の御前会議の前にね、いわゆる連絡会議やったですね。

そして午前11時から午後の6時まで延々7時間にわたって話をしたことが。

及川(古志郎・兵31)さんが提言をしたために非常に議論が、非常に長引いた。

これ(三代原稿)はね、あれ見ているでしょうね、参謀本部の戦争指導課の日誌、『機密作戦日誌』、あの種村(佐孝・士37)のやつ(『大本営機密日誌』1952年)、ダイヤモンド社から発行したやつじゃなくて本当の(当時未刊。1998年に『大本営陸軍部戦争指導班機密戦争日誌』〈全2巻〉大本営陸軍部戦争指導班著、錦正社で公刊)。

あれ(1952年刊)はデタラメと言ったら悪いけど大抵噓があったり何とかして、適当にやってるんだ。

そうじゃなくて本物があるんです、あのとき肉筆で書いたやつ。

これにね、このところのことが非常によく書いてある。

そしてね、これがその、実にあの、及川(古志郎・兵31)さん、私は及川(古志郎・兵31)さんを弁護する側なんですが、及川(古志郎・兵31)さんを弁護する私の一つの大きな理由なんです、これ。

三代 これは普通、種村(佐孝・士37)君のやつが採られていますわな。

大井 あれは、種村(佐孝・士37)が書いたか、原四郎(士44)が書いたか、誰が書いたか知りませんが、原文は。

しかしあの字はね、毛筆みたいなもので書いたのがあるんです。

三代 それ誰が書いたの。

大井 戦争指導課というんですかな。

三代 種村(佐孝・士37)もそのあれだな。

大井 おったんだけど、種村(佐孝・士37)が印刷(出版)したときには適当に直して、自分がその、戦争反対に、反対と言うと悪いけどね、戦争をやったのは参謀本部じゃないかと言われんように、そういうふうに思われんように直して書いているわけですよ、あれは。

直しているんです、非常に。

これ私も北部仏印進駐のとこ見ても、どこでもそうなんです。

非常に、あんなもの出してね、実に思想、戦史を混乱させていますよ。あんなもの出してやったから。

種村(佐孝・士37)が、ほれロシア(抑留)から帰ってきて、そうして急いで自分が書いたもんだから。

それをね、戦史室というかあの当時は。戦史室の中に取って置いて、そいつは誰も見せない。当時は誰にも見せなかった。

私が、そいつをあるところから手に入れた。

三代 最近になってね、井本(熊男・士37)とか、ああいうのが書いたのがあるよ。そういうやつには何も書いてねえかね。

大井 私は井本(熊男・士37)氏はどうか知らんけれども、井本(熊男・士37)氏はあのとき作戦課におったかな。

三代 井本(熊男・士37)君が我々と同じ時期にね、作戦課におったんだ。

大井 とにかくね、今のところはね、作戦というよりは戦争指導のところですね。だから戦争指導課で書いているわけですね。

三代 一課だ。

大井 一課のうちの戦争指導課のところで書いているわけ。その日記があるわけです。

三代 日記ね。さあ知らないな。

大井 『機密作戦日誌』、というのがあるんです。『大本営史』と。

これは見ている人おるでしょうな。

三代 何を見れば分かるかね。海軍あたりは採用しているのはね、種村(佐孝・士37)のやつを採っているのが多いんだよ。

大井 種村(佐孝・士37)、種村(佐孝・士37)が噓書いているから私、問題だと。

噓書いているというのがね、噓といっても大噓だと私は思うんですけれども、非常に直しているんです。

三代 貴様何で見たか。何で見た。

大井 それ見るというと、私に見せた人にちょっと具合悪いから。

見ているのはここの水交会長の内田(一臣・兵63)君は、もちろん中見ているでしょうね。あるいは野村(実・兵71)君だとか。そういう人は見ていますよ。あそこ(防衛研究所戦史室)で。

われわれ行ったって、金網張っているところに入ってあったし、これは見せられないんだと。これは絶対見せられない。

原四郎(士44)がそれを適当に使って、北部仏印進駐書くときにね、おかしいんですよ、違うんですよ、種村(佐孝・士37)が書いたものと。

種村(佐孝・士37)書いたのは、私の記憶とも違うし。

大噓だと思ったから、それ見せてくれと言ったところが、ここにあれがいるわ、末国(正雄・兵52)さん、同志だ。末国(正雄・兵52)大佐おられるわ。

そこでね、これは末国(正雄・兵52)さんおったら、なおさら私、見せた人言うわけいかんわな。あなたからだんだん伝えられて見せたということになると。私だってね、新聞記者じゃないけどスクープやりますよ、やっぱり。

三代 わしはね、とにかく種村(佐孝・士37)のやつしか知らんもんだから。

大井 それだからね、それだから私は。

三代 それであいつは何かやっているかもしれんなんて言うんで、あまりわしとしても信用してないんだ。

直接この参謀本部の連中とは話をしているからね、それで書いているんだよ。

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