歴史街道 » 本誌関連記事 » 日米開戦を「近衛総理に一任」した及川古志郎海相を、元・海軍中堅幹部はどう評価するのか

日米開戦を「近衛総理に一任」した及川古志郎海相を、元・海軍中堅幹部はどう評価するのか

2018年12月18日 公開
2022年07月13日 更新

海軍反省会

御前会議で及川海相は外交継続をはっきり主張した

大井 それで非常にいいんですけど、それだからね、質問のやつは、それほど曲がってないですよ。曲がってないけど私言うのは、ここのところにもう少しね、この、ここに非常に簡単に書いてあるですな。

6時間も議論したと書いてあるが、杉山(元・士12)参謀長は2月までにと、これは書いてないんだ、そのものには。

それから及川(古志郎・兵31)海相は第三項を、「我が要求を貫徹し得る目的ない場合は、自存自衛のため最後的方策を遂行する」と、こういうふうに修正を出したんです。

そうしたらね、この案を書いてきたのが、参謀本部の若い連中だとかあるいは、小野田捨次郎(兵48)さんあたりなんかが一緒に書いたんじゃないかと思うんですが、及川(古志郎・兵31)さんは黙っておってもね、(案には)開戦を決意すると書いてあったんです、最初の案は。

何とかして交渉、それこそ9月5日までかな、交渉まとまらない場合は開戦を決意すると、私も今そのもの持ってないから、記憶で言っているんですがね、開戦を決意する、とあった。

及川(古志郎・兵31)さんは、そんな開戦を決意するなんてことされたら大変だと。御前会議の前ですよ。

それだから開戦を決意させないようにしてこの第三項を、「目的ない場合は、自存自衛のため最後的方策を遂行する」と言ったわけです、及川(古志郎・兵31)さんは。

それは何かというと、自存自衛のためというのはね、自存自衛というのは非常に難しいんですけど、日本がどうしても。日本という国がなくなると、いうような場合。支那からの撤兵とか、北部仏印からの撤兵なんていうのは、
(テープ切り変え)
アメリカの案に譲歩するか、譲歩しないで戦争するかという、このことはそのとき決めましょうということなんです、これは。そういうことを主張したんですよ。

そうしたらそれを分かったわけです、みんなが。

それでそれじゃ困るというわけで、延々非常に議論したんです。

そうしたら岡敬純(兵39)がね、今の案のように直したんだ。あんまり参謀本部が頑張るものだから。

それから及川(古志郎・兵31)さんも非常に頑張ったんです。これは譲れんと。

そして両方とも頑張ったものだから、岡敬純(兵39)さんが、我が要求を貫徹し得る目的ない場合は何とか。その場合は何したかな。私もその本物ないものだからね。これ非常に重要なんですがね。

そのときに、要するに、そのときに最後的方策を決定するというのやったかな。何かね自存自衛のためなんです。

「我が要求を貫徹する目的ない場合は、以下原文通りとする」。原文、「十月上旬頃に至りてなお我が要求を貫徹し得ない場合は直ちに開戦を決意する」と、こうあったわけなんです。

こいつを直したんです、及川(古志郎・兵31)さんは。非常に頑張ったんです、このとき。

それでね、これがその後で、もう一回私の修正点なんですが、御前会議の席でもまたこれが出るんです。

それでね、あと同文というのはどこが同文なのか、本物見ればあるんですがね。ここで岡敬純(兵39)さんがやったために、ぼけちゃったんです。ぼけたまま。

しかし及川(古志郎・兵31)さんは、自分の案を主張した通りだな、ということにして及川(古志郎・兵31)さんは承諾した。

ところが玉虫色なんだな。参謀本部とか、ほかの開戦主張派のほうは、また自分の主張に近いほうに直ったんだなと思って妥協したんですよ。そうしてそのものを御前会議に出した。

そうして今度は、原嘉道(枢密院議長)から、この案に質問するわけだね。

この案は戦争を決意するようにもなるし、そうでもないようだと彼の、先ほどの原(嘉道)さんの質問のやつはこれ。

杉山(元・士12)メモによく出ていますよ。あとのことはね。

それでこの項はね、原嘉道さんが言うと、杉山(元・士12)あれがね、立とうとしたというんですよ。

ところがその前に及川(古志郎・兵31)さんがスクッと立っちゃって、そして原(嘉道)さん、原(嘉道)議長の言われるように、我々は外交を主とするようになっております、と言った。

それで原嘉道が、私はそのとき知らなかったんだけれども、原(嘉道)さんが近衛(文麿)に言われて質問したというんですね、近衛(文麿)から。

それでね及川(古志郎・兵31)さんはスクッと。あの人は控え目な人ですよ、いつも。すぐパッと立った。

それで、あれと同じようにして、我々は外交を主とするようになっております。

と言ったら原(嘉道)さんは、ああそうですか、それでよろしゅうございます、と、こういうふうになるんです。

これ非常に大事なんだ、及川(古志郎・兵31)さんの立場から言うと、海軍の立場から言うと。

そこでね、そこで今度は杉山(元・士12)さんなんか書いてあるんですよ、自分のメモ(『杉山メモ』〈上下〉1967年、原書房)に。

自分は実はね、あとで誰に言ったかな。実は自分が立とうと、すぐ自分が答えようと思ったら、海相がグッと立ったものだから自分は先手を打たれて言えなくなった、というんだね。

そこに今度、天皇陛下がね、統帥部が、なぜ統帥部が答えないのかと、そうくるわけです。

ここで、四方の海 みなはらからと、と。(注:昭和天皇は御前会議で明治天皇の御製「四方の海 みなはらからと思う世に など波風の立ち騒ぐらむ」を読み上げ、外交の継続を求めたとされている)

このへんのことはね。それからかなりね、今まで発表されているものは、種村(佐孝・士37)があんな本を出したもんだから非常に一般に誤解されている。

次のページ
荻外荘会談における及川発言「近衛総理に一任」の実際 >

歴史街道 購入

2024年12月号

歴史街道 2024年12月号

発売日:2024年11月06日
価格(税込):840円

関連記事

編集部のおすすめ

真珠湾攻撃は失敗だった?~元・海軍中堅幹部たちの述懐

海軍反省会

山本五十六はほんとうに「戦艦無用論者」だったのか?~元・海軍中堅幹部たちが語る

海軍反省会

南雲忠一の自決~日本海軍は人事で負けた?

7月6日 This Day in History

日本海軍400時間の証言録・海軍反省会ダイジェスト【Web特別連載】

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)