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高知の博物館、記念館が熱い!

2018年04月26日 公開
2023年10月04日 更新

『歴史街道』編集部

高知城の成り立ちと山内家の所蔵品の数々

山内一豊像
高知城の山内一豊像

 山内一豊が築城を始めた大高坂山城(現・高知城)は、長宗我部氏も一度は本拠にしようとしたが放棄している。

 それは治水の難しさにあった。高知城がある市内の中心市街地は、もともと鏡川(当時は潮江川)や江ノ口川から流出した土砂が堆積して出来上がったデルタ(三角州)地帯である。南国土佐は、台風の通り道。年間降水量も多く、豪雨も頻繁にあり、そのたびに河川が氾濫していた。長宗我部氏が大高坂山城に入城して後、何度となく水害に見舞われて城下が水浸しになり、しかたなく浦戸城へ移ったのである。

 治水の難しさは一豊も承知していたが、長宗我部氏配下の新領主への不満を感じとり、大高坂山の治水工事を成し遂げて築城を成功させることで治国を図ろうという意図もあったと思われる。

 一豊は、近江出身の百々綱家(どどつないえ)を築城奉行に任命し、大工事にとりかかった。鏡川や江ノ口川の治水工事をし、大高坂山も盛り土を施し、水害を防ごうとした。また一豊は、新城となる地を大高坂山から「河中山(こうちやま)」と改めた。二つの川の中州にあるという意味である。

  その後、城郭の完成を待たずして一豊が没し、家督を継いだ甥の忠義(ただよし)は城郭完成とともに「高智山(こうちやま)」とふたたび改称した。あいかわらず洪水が起こっていたため「河中」という呼び名を嫌ってのことだと言われる。そして「高智」が「高知」のはじまりとされている。

高知城
高知城

 高知城の追手門前に昨年開館したのが、「高知城歴史博物館」である。国宝や重要文化財を含め、山内家伝来の歴史資料や美術工芸品を約6万7000点も収蔵・展示している。また、年間を通じてテーマや季節に沿った企画展や催し物を開催している。博物館の展望ロビーからは美しい高知城の天守閣や追手門を一望できた。

高知城歴史博物館
高知城歴史博物館の内観

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