
四方を海に囲まれた日本では、普段「国境線」を意識することはあまりありません。しかし世界の大半の国々にとって、国境とは「隣と地続きの、ただの地面」。いつ侵略されてもおかしくない「大陸国家」と、海という「最強の防壁」を持つ「海洋国家」とでは行動原理が全く異なるといいます。大陸国家が侵略や拡大を繰り返してきた理由とは…?ロシアがウクライナに執着する宿命など、世界の紛争を地図から読み解きます。
※本稿は、宇山卓栄著『「地理で考える」は武器になる』(秀和システム新社)より一部抜粋・編集したものです。
私たちは日本という島国に住んでいるため、「国境線」というものをあまり意識せずに暮らしています。私たちにとっての国境は海であり、そこは誰も住んでいない、物理的に渡るのが難しい壁です。
しかし、世界の大半の国にとって、国境とは「隣の家の庭とつながっている、ただの地面」です。そこには壁もなければ、関所が建っているだけのこともあります。もし隣国が悪意を持てば、戦車や歩兵がそのまま歩いて入ってくることができるのです。
地政学において、戦争のリスクを決定する最大の要因は「陸続きの国境をどれだけ抱えているか」です。この地理的条件の違いが、国家を「ランドパワー(大陸国家)」と「シーパワー(海洋国家)」という、全く異なる行動原理を持つ生き物に分けます。そして、歴史上の大規模な戦争の多くは、「恐怖に駆られたランドパワー」によって引き起こされているのです。
ロシア、中国、ドイツ、フランス。これらユーラシア大陸の強国には、共通する精神構造があります。それは「慢性的な包囲恐怖症」です。
彼らの国境は、平原や低い山で隣国と接しています。360度、どこから敵が攻めてくるかわからない。しかも、一度国境を突破されたら、首都まで一気に攻め込まれてしまうかもしれない。この「防御の脆さ」が、彼らを攻撃的な行動へと駆り立てます。
彼らが編み出した生存戦略は、非常にシンプルです。
「やられる前に、領土を広げて、敵を遠ざける」
これしかありません。
自宅(首都)が泥棒に入られやすいなら、庭(領土)を広げて、隣の家までの距離を稼げばいい。そうすれば、敵が攻めてきても、庭で戦っている間に迎撃の準備ができます。この、首都を守るために外側に置くクッションのような役割をする領土を「緩衝地帯(バッファゾーン)」と呼びます。
ランドパワーの国々が、歴史的に侵略や併合を繰り返すのは、彼らが生まれつき暴力的だからではありません。「隣国との間に、もっと広いスペースがないと夜も眠れない」という、地理的な不安に苛まれているからです。彼らにとっての「防衛」とは、すなわち「膨張」を意味します。国境線を外へ押し広げ続けることこそが、唯一の安全保障なのです。
一方、イギリス、日本、アメリカ(実質的な島国)といった「シーパワー」のメンタリティは全く異なります。彼らには、海という「最強の防壁」があります。海を渡って軍隊を上陸させるというのは、軍事的に最も難易度が高く、コストがかかる作戦です。
13世紀、当時世界最強だったモンゴル帝国軍でさえ、海と台風に阻まれて日本を征服できませんでした。ナポレオンもヒトラーも、ついぞドーバー海峡を渡ってイギリスを占領することはできませんでした。
この「攻められにくい」という地理的安心感が、海洋国家の政治をリベラルで寛容なものにします。彼らは、巨大な陸軍を常駐させて国境を監視する必要がありません。その分のリソースを、海軍や貿易、経済活動に回すことができます。また、彼らが戦争をする場合、それは「本土防衛戦(負ければ国が滅ぶ)」ではなく、遠く離れた場所での「利益確保のための戦争(負けても自国に帰ればいい)」であることがほとんどです。
海洋国家の戦略は「領土を広げること」ではありません(植民地など、領土を広げたこともありましたが)。「海の自由を守ること」です。彼らにとって、よその大陸領土そのものに大きな価値はありません。面倒な統治コストがかかるからです。その代わり、大陸の重要な港や、海峡といった「点」と「線」だけを確保し、自由に商売ができればそれで十分なのです。
ここにおいて、ランドパワー国家とシーパワー国家の間には、決定的なコミュニケーション不全が生じます。
ランドパワー国家はこう考えます。
「我々の安全のためには、周辺国を支配下に置いて緩衝地帯にしなければならない。(恐怖の論理)」
シーパワー(アメリカなど)はこう考えます。
「国境を勝手に変更して他国を支配するのは許されない。すべての国は自由に貿易し、自決する権利がある。(自由と利益の論理)」
この二つは、見ている地図が違うため、永遠に話が噛み合いません。西側諸国が「ロシアの侵略は許しがたい暴挙だ」と非難しても、ロシアからすれば「これはNATOという脅威から自国を守るための、正当な防御行動だ」と本気で信じているのです。
戦争をする国としない国の差。それは道徳心の差ではなく「枕を高くして眠れる地理的条件にあるかどうか」の差と言えるでしょう。
ロシアは、世界最大の国土を持つ国です。その面積は日本の約45倍。地球の陸地の約8分の1を占めています。これほど巨大な領土を持っていれば、さぞかし堂々としていられるだろうと思うかもしれません。
しかし、ロシアの歴史は、常に「恐怖」との戦いでした。彼らは、自分たちの国が大きすぎて守りきれないこと、そして外の世界へ出る出口を他国に塞がれていることに、数百年もの間、怯え続けているのです。
ロシアの指導者たちが、時代を超えてウクライナに執着し続ける理由は、この巨大な不安を解消するための、たった二つの地理的パズルを埋めるためです。それが「緩衝地帯(バッファゾーン)」と「不凍港(暖かい海)」です。
まず、ロシアの西側、ヨーロッパ方面を見てみましょう。ここには「東ヨーロッパ平原」と呼ばれる、山も谷もない、見渡す限りの平らな大地が広がっています。フランスからドイツ、ポーランドを通り、ウクライナ、そしてロシアの心臓部であるモスクワまで、遮るものが何一つありません。
これは、戦車や軍隊を動かすには最高の地形です。つまり、ロシアにとって西側の国境は「玄関のドアが開けっ放しの状態」なのです。実際、歴史上、ロシアを脅かしたナポレオンやドイツ帝国、ヒトラーといった敵のほとんどは、この平原を通って西から攻め込んできました。モスクワは、地理的にあまりに無防備なのです。
この恐怖に対抗するために、ロシアが採用したのが「空間を盾にする」という戦略です。敵がモスクワに到達するまでに、できるだけ長い距離を歩かせ、疲弊させ、冬将軍(寒さ)の餌食にする。そのために、自国の国境をできるだけ西へ、ヨーロッパ側へと押し広げようとします。
この戦略において、「ウクライナ」は決定的に重要です。もしウクライナがNATO(西側軍事同盟)に加盟し、そこに米軍の基地やミサイルが置かれたらどうなるか。モスクワまでの距離はわずか500キロメートル程度になり、平坦な道を通って一気に攻め込まれるリスクが生じます。ロシアにとってウクライナとは、単なる隣国ではなく、モスクワの喉元を守るための「絶対に必要な時間稼ぎ」なのです。
「ウクライナは兄弟国だ」というプーチンの感情的な言葉の裏には「ここを敵に渡したら、ロシアの安全保障が崩壊する」という、地理的計算があります。
ロシアのもう一つの、そしてより深刻な地理的悩みは「海」です。「海なんていくらでもあるじゃないか。北は北極海、東は太平洋に面している」と思うかもしれません。しかし、それらの海は、ロシアにとってあまり役に立ちません。なぜなら「凍る」からです。
冬になると、ロシアの主要な港は氷に閉ざされます。サンクトペテルブルク(バルト海)も、ウラジオストク(太平洋)も、冬の間は砕氷船なしでは自由な航行が制限されます。また、北極海は言わずもがなです。貿易立国を目指すにも、強力な海軍を持って世界に睨みをきかせるにも「一年中凍らない港(不凍港)」がなければ話になりません。
ロシアにとって、世界への唯一の確実な出口。それが南にある「黒海」です。黒海は温暖で、冬でも凍りません。ここからボスポラス海峡(トルコ)を抜ければ、地中海、そして大西洋やインド洋へと自由にアクセスできます。この黒海における戦略的拠点が、ウクライナの南部にぶら下がっている「クリミア半島」であり、そこにある軍港「セヴァストポリ」です。
セヴァストポリは、ロシア黒海艦隊の本拠地であり、ロシアが「海洋国家」として行動するための生命線です。2014年、ウクライナで親欧米派の政権が誕生したとき、プーチンが電光石火でクリミア半島を併合した理由は、ここにあります。もしウクライナがNATOに入り、クリミア半島が西側の手に落ちれば、ロシアは黒海へのアクセスを失い、凍りついた内陸国へと逆戻りしてしまいます。それは、超大国としての「死」を意味します。
西側諸国から見れば、現代において「NATOがロシアに戦車で攻め込む」などということはあり得ない妄想に見えます。しかし、ナポレオンとヒトラーに二度も国を蹂躙された記憶を持つロシアにとって、それは妄想ではなく「地理と歴史が証明した現実」なのです。
大平原の穴を埋めたい(バッファゾーンの確保)
暖かい海への出口を守りたい(不凍港の確保)
この二つの「地理的宿命(呪縛)」が、ロシアという国を領土拡張へと駆り立てています。ウクライナ侵攻は、プーチンという個人の狂気だけで説明できるものではありません。それは、帝政ロシア時代から数百年続く、「ユーラシア大陸の広すぎる平原」と「北に寄りすぎた位置」が生んだ、地理上の必然なのです。
更新:08月03日 00:05